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小川山廻り目平
荒川 洋児

山行日 1990年10月20日~21日
メンバー (L)荒川、菅原、川又、佐藤(明)、飯島、鈴木(章)、服部、牧野、飯塚、斎藤

 6月以来今年2回目の小川山である。が、しかし、この原稿を書いているのは既に91年2月でありほとんど覚えていなかったりする(服部さんごめんなさい)。なんとか記憶を掘り出して書いてみよう。

 19日夜、菅原号と服部号に分乗して廻り目平に着く。着いてからは例によってまず飲んだと思うのだが記憶に無い(別に飲みすぎて覚えていない訳では無い)。

 20日。この日は服部氏と牧野さんは小川山遠征組として頂上アタックに出発。残りのメンバーでガマルートを登りに行く。
 最初のガマスラブにトップロープをセットしてしばらく遊んだ後、いざガマルートヘ。わたしはこのルートは小川山4回目にして初めての経験である。わくわく。
 わたしと菅原氏をトップにして4人ずつに分けて登り出した。 1ピッチ目中間のスラブで、いきなりズルズル滑り落ちる。あら?きっと多くの人が登るから磨かれて滑り易くなっているのだ、と自分を納得させておく。入門ルートだと思って甘く見ていたら、やはり5.9というのは甘くはないと思い知らされた。
 2ピッチ目の最後が傾斜がきつくなってちょっときびしい。フレンズを1個セットしてえいやと越える。このルート、ボルトも打ってあるが、フレンズも持っていた方が安心して登れる。
 途中、歩きの部分で迷いそうになりながらも、全員無事項上までたどりつく。ま、遭難するような所じゃないわな。
 この夜は肉(と酒)を買い出しに行って焼き肉で宴会になった(と思う)。かなり盛り上がっていたのだが、これも記憶がおぼろである。(これに関しても断じて酒の影響では無い。少なくともわたしの場合は。)一部のメンバーはかなり飲んでいたようだ。

 21日。廻り目平周辺散策組と、クライミング組に別れる。散策組は早めに出発して温泉に寄って帰る事にした。当然こちらのグループには服部氏、明氏が入り、他に川又氏、章子さん、牧野さんも加わって服部号で出発した。
 一方クライミング組は幕場から近いと言うことで八幡沢左岸スラブに行く。一部に体調が悪いと言って少し遅れて来た方もいたが、本人の名誉のためにも、けっして二日酔いだなどとは言うまい。章子さんと川又氏も少しだけと言ってこちらに合流した。
 ここでブラック・アンド・ホワイトにトップロープをはったつもりだったが、5.10aにしてはやけに難しくてまるで歯が立たない。変だ変だと思っていたが、後で他パーティーの人が話すのを聞いていたら5.10cから5.12のピッチにセットしてしまったようだ。そら難しいはずだわ。
 次に前回敗退したジャーマンスープレックスをリード。前回このルートの出だしで落っこちて捻挫して以来、雪辱を期して本でこのルートの登り方を研究しておいたのだ。が、核心部でずりずりずり・・・。あら、今度こそ、ずるずるずる・・・。これならどうだずずず・・・。そのたびにザイルにぶら下がる。ビレイの菅原氏はなにやら章子さ んと話し込んでいて、なかなかザイルを張ってくれない。ヌンチャクをつかみながら「あのー、張ってくださーい」菅原氏はお喋りに加えて昨夜の酔いがまだ残っていたらしい。数回やり直してやっとこさ登り切った。
 最後にバス・トイレ付をトップロープで登った。
 こうしてみると、前回も参加した菅原氏と飯島氏は全く同じ所を登る羽目になってしまって、申し訳ないことをした。これに懲りずに次回も来て下さいね。
 帰りには、どことなく常磐ハワイアンセンターを思わせる、近くにある温泉に寄って帰った。

〈小川山コースタイム〉
幕場(金峰山荘)(11:40) → 唐沢ノ滝への分岐(12:34) → 小川山(14:22~40) → 展望台(景色バツグン)(15:17~20) → 唐沢ノ滝(16:06) → 幕場(16:40)
尾根道は踏み跡あるがヤブっぽい。


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