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平成三年度春山合宿 後立山連峰・五竜岳集中
その2 白馬敗退組分離独立五竜隊
服部 寛之

山行日 1991年5月4日~6日
メンバー (L)服部、荒川、阿部、大久保

 5月3日
 這々の体で白馬駅前まで逃げ帰ってきた我々は、観光協会の紹介で駅から5分の六捨刈いう民宿に2部屋を取った。宿に行く前にとりあえず駅前の食堂で無事生還のカンパイをし、全員一番安いザルソバを摂取する。
 宿に着くと部屋に上る前に庭の物干しを借りてさっそくシュラフ等を干す。人の好さそうな元気のいい宿のおやじさんは、初節句の孫のために鯉職の綱張りに忙しい。長いポールを立てるのを何人かが手伝う。天気はもうすっかり回復して、5月の陽気な日射しが暑い程だ。宿の庭からは遠見尾根がよく見えている。尾根の上部から山にかけてはまだ厚い雲が貼り付いたままだ。その上の空は、これまでの冬の様な天気が嘘のように穏やかな水色だ。
「やっぱ5月の空はこうでなくちゃなあ」
「そうですよねぇ。これまでの天気、何だったのかしらねぇ」
「本当だったら今頃稜線を気持ちよおく歩いておったハズなんだがなあ~、くやしいなあ~」
「ベース隊の連中はラッキーだったね。着いたとたん、晴れたんだからね」
「今どのあたり登ってるんでしょうね? あのガスの中ですかね?」
「ガスの中、吹雪てるといいな。ケケケ」
もはや願うは他人のわざわいである。
 濡れた物を干し終えると、風呂が沸いていた。その後、夕食の時間まで各自ブラブラ過ごす。明日の予定は、すぐに帰りたいという者もいるし、チャリンコを借りて風呂廻りというのもいる。18時の交信を遠見尾根の見える部屋から試みるが、だめであった。東京の播磨さんに電話を入れ、明日全員帰京する旨告げる。
 夕食は、この値段で!!と思う程のご馳走であった。実は、宿を捜す時の必須条件は、とにかく安い!ということであったので、食事は期待していなかった。もう寒い思いして自分達で作らなくても、ペーパーで食器を拭かなくてもよければいいや、と思っていたのである。この民宿は独自の体育館を備えて学生等の合宿で勝負しており、ボリュームある食事は経営戦略の最重要項目となっているらしいのである。思いもかけぬ儲けもん、というかんじであった。
 満腹して食欲が満たされると、疲れが安堵感と共に一遍に押し寄せてきて、山本(信)、佐藤明、大久保、吉江の4名は部屋に戻るなりバタンキューであった。風上側のダメージの大きかったテントに入っていて夜行列車以来睡眠らしい睡眠を取っていなかったこの4名にとっては、正に「ああっ! あたしもうダメ」的至福に達した瞬間であったろう。
 風下側でダメージの小さかった3人用テントの阿部、荒川、服部の3名は、別部屋でテレビの「天空の城ラピュタ」を見ていたが、男2名はそのうち寝入ってしまった。あとで阿部さんに聞くと、「最後まで見ました」と言っていたので、恐らくあの恐怖の吹雪谷の中でずうずうしくも一番ぐっすり眠っていたのは、 一見神経が細やかそうに見える彼女だったのかもしれない。
 翌4日は5月晴れの見本のようなピーカンとなった。空はきのうよりも一層碧く、山には雲ひとつない。7時の交信で、白岳の上りにかかっている大泉ベース隊と連絡が取れ、他隊の様子も聞くことができた。
 朝食時の話し合いで、予定を変更して4名がまだ何とか使える3人用テントでベース隊を追って遠見尾根に登ることとなった。紺碧の空の下に輝く白い峰々を見てしまったら、素直に登るのが正常な人間というものだ。はみ出すひとりは、ベース隊のジャンボ・テントに紛れ込めばわからないだろう。明日も天気が良ければ、五竜に登れるかもしれない。新隊のメンバーは、大久保、荒川、阿部、服部。都合で今日の夜に帰らねばならない明氏と、仲良く雪溪にアイゼンを片方づつ埋めてきてしまったゲンさんと吉江君は、予定通り帰京することとなった。遠見尾根の話が出ると吉江君は、ゲンさんがきのう白馬駅に捨ててしまったアイゼンの片方をすっとんで捜しに行ったが、努力は報われなかった。連れて行ってあげたいのはやまやまだが、アイゼンがなければ仕方がない。
宿の玄関で皆と別れた我ら4人は、白馬駅からタクシーで遠見のテレキャビン駅へ向かった。スキーヤーの長蛇の列に並んで30分程すると、どこかで見たような3人が駅から出てきた。ビールの買い出しという重要な使命を帯びた田原会長と勝部氏と、今日帰る川森氏である。これから会長の車で風呂に行くところだという。
 テレキャビンからリフトを乗り継いで地蔵の頭に上り行動食を食っていると、あれほど晴れていた空からにわかにガスが下りてきた。荒川君は自分の責任を否定するが、それを客観的に証明するものは何もない。登るにつれて視界は狭まり、小遠見山にかかる頃には完全にガスの中となった。二本目の休憩から5分と歩かないうちにジャンボ・テントが現われたと思ったら、丁度時を同じくして反対側からベース隊の連中が帰ってきた。
「モトォ!」
「やーやー」
と言い合ううちにテントを張る。やがて岩ルートの金子隊4名も帰り、夕暮れ近くでかい声がしてビールが田原会長と勝部氏に担がれて無事到着した。
 5日、荒川、阿部、服部の3名は5時10分、五竜岳目指して出発。昨夜うちらのカレーをわけてあげた中沢氏は、律儀にも早起きして我らの晴れの出発を見送ってくれた。大きな顔してジャンボ・テントにもぐり込んだ大久保氏は、今回下山する連中と一緒に帰京する予定なので、当然起きてなどこない。
 ピーカンの空の下、アイゼンも効いて快調に登り、白岳を6時半に通過、五竜岳頂上に7時25分に到着した。360度の絶景。五竜山荘からの先着パーティが2~3いた。すぐシーバーを出すと、7時半に菅原氏の声が飛び込んできた。昨夜キレット小屋に幕を張り、現在こちらに向かいつつあると言う。その交信を聴いていたベース隊は、菅原隊を待つ数名を残して金子隊と共に下山するということで、我々はあと3時間程で五竜頂上に来るという菅原隊を五竜山荘で待つことにした。頂上でのんびりして五竜山荘8時50分着。
 五竜山荘は、以前春山合宿で来た時よりも見違える程きれいになっており、入口の土間しか入らなかったが、天井に化粧板まで貼ってあるのには驚いた。コーヒーを注文し、テーブルで行動食をかじりながら菅原隊を待つが、来ると言った10時半を過ぎても頂上にはそれらしき姿は現われない。定時の交信も五竜岳の山体に遮られて入らない。しかし、天気も良いし、他にやることもないし、まあ気長に待つことにする。そのうちにベース隊の居残り組もビールを求めて山荘まで上って来た。皆で山荘の土間を出たり入ったり、頂上を見上げてはあっちを眺めこっちを眺め、またあっちを眺めては頂上を見上げて待つことン時間。結局菅原隊が五竜山荘に辿り着いたのは2時近くであった。吹雪を乗り越して無事再会した5人を伴って皆でベースヘ向かったのが14時10分であったから、我々3名はコーヒー一杯で5時間ねばった訳である(あとからベース居残り組のビールの追加もあったけど)。コーヒー一杯で5時間!というのは、わたくしの最長不到(不当?)記録である。ベース帰着15時10分。
 翌6日、6時半に撤収、テレキャビン山頂駅8時着。そこでスキーをしてから車で帰るという田原氏らと別れ、残り全員は下のテレキャビン山麓駅からタクシーで最近できたという「みみずくの湯」へ。ここは先日泊まった民宿六拾刈のすぐ裏手であった。みみずくの湯は大変展望の良い風呂で、私はこの日初めて白馬岳の「代馬」と乗鞍岳の「鶏」の雪形を見た。その後白馬駅前で食事をして、混み合う特急に揺られて帰京した。

タクシー 白馬駅 → 遠見テレキャビン駅 1,650円
タクシー 遠見テレキャビン駅 → みみずくの湯 1,960円
民宿六捨刈 一泊二食付 6,200円 電話0261-72-2340
みみずくの湯 400円
(テレキャビン山麓駅前の施設地下にも風呂があるが、12時からの営業であった。)


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