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皇海山
吉江 信也

山行日 1991年4月20日~21日
メンバー (L)菅原、服部、大久保、井上(博)、城甲、荒川、阿部、吉江

 4月20日(土)
 朝9時に新宿スバルビル前に集合して、菅原さんの車で念願の皇海山登頂を目指し、いざ出発。9時半に出発して、空は青すぎるほど青く、日射しも暖かく、最高の天気に恵まれ、楽しいハイキング気分だった。 1時半ごろまで車が入れる所まで入り、そこから今日、目指す庚申山荘へ。今回はあのせまいテント生活ではなく、山小屋を利用する計画だったので、荷物は軽く快適そのものだった。 半袖でいいぐらい暖かったので、車にアイゼンを置いたりピッケルも置いていく人もいた。
 林道を2時10分まで歩き、10分休んで、登山道へ。山道を歩き、3時15分に庚申山荘に到着。その途中で僕(吉江)は、今日の夕食の主食、みんなのエネルギーの源であるα米を8人分全部家に忘れたことを、菅原氏に「α米持ってきた?」と聞かれて初めて気づきました。前日の夜酔っ払いながらパッキングしたのが原因で、せっかくのポカポカ陽気のハイキングも、この瞬間、「ダイエット山行」又は「食糧不足時における山行訓練」に変わりました。それからの二日間、執劫に「腹が減った」「ご飯が食べたい」「シャリ、シャリ」など言われ、米を忘れたことを深く反省する次第であります。
 庚申山荘は三階建てで、タタミの部屋もあり、広く、きれいな山荘で、炊事場、トイレ、そしてふとんまでありました。宿泊費が一人2千円で、この日は、この小屋を経営している町の役場の人たちが来ていたので、しっかりと全員2千円ずつ払いました。
 米がないので晩飯は、マーボー茄子に、次の日の朝食用のもちを、ストーブがあったので、ストーブで焼いて食べました。酒も入って、8時半には布団で寝る者とシュラフで寝る者など、好き勝手に寝ました。

 4月21日(日)
 4時に起床してもちを一個ずつの雑煮を食べて、5時45分、庚申山荘を出発して一路皇海山へ。庚申山を経て鋸山に出る道は崖崩れのためか通行困難ということなので、六林班峠を経て鋸山に行くことになりました。庚申山荘の標高が1490mぐらいで、1時間あるいても標高が1550mぐらいで平らかな道でした。天気もくもっていて今にも雨がふりそうで、視界も悪く何も見えず、ただ黙々と歩き、8時にようやく六林班峠に着きました。15分ほど休んで、今度は鋸山へ。雪もずいぶんあり、またヤブこぎもあり、体力がいりました。このころから腹が減ってきた。雪も所々あるので、ピッケルがあったほうがいい道が続いた。鋸山につく手前は、本当に鋸のようにギザギザで、けっこう恐い思いもした。9時半にやっと鋸山に着き、そのまま登りだと標高150mぐらい登れば皇海山なのに、ここから150mぐらいの下りがあり、ピッケルとアイゼンが必要な斜面だった。しかし、この時分から天気も回復してきて晴れ間もでて、ようやく景色も見えてきた。みんなの「腹が減った」攻撃をかわしながら、11時にようやく皇海山に到着。天気もよく、遠くまでよく見え、なかなかよかった。
 11時半に今来た道をもどった。12時25分に鋸山、10分休んで出発。1時20分に六林班峠に着いたがハラペコで、早く帰って飯が食いたかった。庚申山荘に戻ったのが3時10分で、下りの合言葉は「ビール」「温泉」「飯」で、これを唱えると力が湧いた。3時40分に庚申山荘を出て、4時40分に駐車場に到着。そして温泉に出発。
 この日は10時間程歩いたので、けっこう疲れた。


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