トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ276号目次

北八ヶ岳ニュウ変更天狗岳
吉江 信也

山行日 1991年3月16日~17日
メンバー (L)荒川、井上(雅)、小川、吉江、(富田)

 3月16日(土)
 前日の夜11時に新宿に集まって、中央線で八ヶ岳へ。列車の中はスキー客でいっぱいで、メンバー全員は座れないほどだった。いかに列車の中で寝れるかによって、明日の山行が快適になるか、バテバテになるかを左右すると言うのに、寝れそうにもなかった。その中を、井上さんを始め小川さんも床に大の字に寝っころがって気持ちよさそうに寝ていたのには驚いた。小淵沢駅に5時半ごろ着き、待合室で小海線の始発を少し待って、松原湖に着いたのが、だいたい7時半ごろだった。そこでタクシーを呼んで、3630円で8時ごろ稲子湯に到着。
 元々の予定では、稲子湯からニュウに行き、黒百合の方に行く予定だったそうだが、雪が深くてニュウではスキーでないと入れないと言うことを聞いていたリーダー荒川さんは、コースを変更して、しらびそ小屋やミドリ池を経て中山峠に出てニュウヘ行くことにした。天気はくもりで、雪の少ない、トレースの付いた道を歩いて、ミドリ池に10時40分に到着、1時に中山峠に着いた。中山峠に着く手前の道が険しくて、峠に着いた時は汗びっしょりだった。ニュウに行くにはラッセルが大変で、今日中にはニュウに着きそうにもないので、今日は黒百合付近で幕営し、明日、天狗岳に登ろうという意見が出て、いろいろ考えた結果、ニュウを断念して、天狗岳を登ることになった。
 ということで、早速、黒百合ヒュッテに行って、茶を飲みながらのんびりと昼寝などをした。3時ごろまでのんびりし、ラッセルの練習をすることになり、ワカンを着けてニュウヘ続く道を歩いた。実際行ってみると、ほとんど雪もなく、ワカンなしでもスイスイ歩ける程度だった。4時ごろまで、行けるところまで行ったが、けっこう歩いた気がする。結局、雪が少なくて全然ラッセルの練習にならなかった。5時ごろ、黒百合ヒュッテの近くに幕営し、夕食を食べた。食事担当が井上さんで、メインの食事が焼酎とつまみで、酔っ払った時にラーメンを作るというメニューだった。つまみで腹いっぱいになり、酔っ払い、8時ごろには寝たのではなかろうか。

 3月17日(日)
 朝5時おきで、朝食のラーメンを食べ、テントも撤収し、7時40分に天狗岳に向かって出発。夏も冬も天狗岳だけでなく八ヶ岳に初めて来たので、山頂ではどんな展望が広がっているか楽しみだった。天気もだんだんよくなって、景色もよく見えるようになってきて、遠くの山も見えるようになった。しかし、風は強くて、頬が痛いぐらい風が吹いた。8時50分に天狗岳に着いたが、寒くて、あまりそこにとどまってもいれなかった。黒百合ヒュッテでもそうだったが、道中も、年輩者ばかりで、若者はほとんどいなかった。
 9時50分に天幕に戻った。パッキングをして10時25分、渋の湯へ向け出発。道がしっかりついていたので1時間もかからず、11時20分に渋の湯に着いた。信玄の隠し湯に入って、体の疲れをいやして、二日間が終わった。
 予定変更が多かったが、天狗岳に登れたのでとてもよかった。井上さんも初めてということで、荒川さんが三度目だそうだが、たのしかった山行だったと思う。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ276号目次