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笊ヶ岳
服部 寛之

山行日 1991年5月25日~26日
メンバー (L)服部、大久保、石山

 南アルプスは実にUFO的だ!と、このあいだ道を歩いていて突如思った。
 どういうことだかズバリ言おう。

 Utsukushii !
 Fukai !
 Ookii !

 どーだ、実にUFO的だろう。多少ヤキソバっぽいところがあるが、「ヤキソバ食いたいなあ」と思った時にひらめいたのであるから、しかたないのだ。
 でかい山がどおんどおんと幾つも連なっている南アルプスは非常に魅力的な山域だ。アプローチが悪いことも手伝って、どこか人知れぬ奥深さを秘めたような、なにかココロときめくロマンを感じさせるような、そんな気配に満ちている。美しい原生林の奥深くに秘められた。・・・などと考えると、もうたまらなく想いはどんどん山の奥へ奥へと飛んで行ってしまうのである。特にこの『奥深く秘められた』という部分にはやたら想像力を掻き立てられ興味シンシン的方向にリビドーが引っぱられて行ってしまうのであるが、そもそも『秘められた部分!』というモノにオトコというのはたいへん強く引かれるものなのでありますね。そういった魅力的気配はUFO周辺にも感じられる訳で、『南アルプスはUFO的だ!」というのは以上の様なさまざまな意味合いを含んだマコトに含蓄の詰まった深遠なコトバであるのだ。(そんな深遠でもないか。)
 そのUFO的な南アルプスは正にUFOと同様、ちょっと行って眺めてくるという訳にはいかないので、週末ハイキングには無理だろうと思っていたら、笊ヶ岳車利用前夜発一泊コースというのが本に紹介されていた。ウーム、そうであったか!、車+高速道路という手があったか!ということで、オトコ30?にして迷わず、名前こそ地味目だが抜群の好展望で知られた笊ヶ岳へ行くことに即決したのである。なんたって南アルプスなんだもんね!
 5月24日(金)夜10時にJR八王子駅を我がヤクザ号で出発(ナンバーが893)。中央高速を甲府昭和で降りて櫛形町へ向かい、国道52号線を南下、新早川橋を渡り右折して雨畑湖へ向かう。老平(おいだいら)の集落の外れにキャンプ場があり、そこの駐車場に幕を張った(老平着午前1時)。
 翌朝、老平の集落のどん詰まりにある小駐車場(5台)に車を置かせてくれるようじいさまに声をかけると、生憎今日はたまたま駐車場のすぐ前の家で葬儀があるので余裕がなくて、と随分恐縮されて断られ(普段なら駐車しても良いとのこと)、50Om程手前の馬場の集落のヴィラ雨畑という施設の駐車場に停めさせてもらう。なんとヴィラ雨畑には円形の建物の立派な風呂があり(雨畑湖温泉と云う)、車に帰ればすぐ風呂だ!ということでさっそく嬉び、その勢いで出発する(老平7:45)。
 道から小駐車場の前の家を覗くと黒い礼服を着た人々がもう7~8人集まってきちんと座っていた。その家の先4~50mに車止めがあり、そこから林道となる。遥か左下の奥沢谷から厚い緑の梢を突き抜けて豊かな水量の沢音が聞こえてくる。空は曇空、風が無く蒸し暑い。今日の参加者は当初5人の予定だったのがひとり減りふたり減り、結局チビマルコこと石山さん、新名ドクダシンコ大久保、それにわたくしの3人となってしまった。石山さんのチビマルコという通称は、大久保氏によれば、彼女の話し方がチビマルコ風だからだそうだ。そういえば木曜の夜、メンバーが減ったので共同食の件で石山さんに電話すると、
「そうなの・・・。またあの時のメンバーじゃないの・・・。こんどはちゃんと登ろうね」
とタメ息まじりにチビマルコ風に言った。あの時というのは、今年の2月に3人で三斗小屋に行こうとしたら那須湯本の迄か手前でスキー客の大渋滞にひっかかってしまい、そのまま並んでいたら闇夜のラッセルを強いられそうな塩梅だったのであきらめ、エイヤッと車で八溝山に登って帰って来たことがあったのだ。だからこんども途中で引き返されたらたまらないよ、と彼女はちゃんと釘をさしたのである。
 大久保氏のロシア名は、正式にはドクダシンコ・ソリコミッチ・ハシナメンスキーと云う。この林道の道すがらヒマに任せて命名されたものだ。その意味は、おいおいわかってくる筈である。
 林道は25分程で終り、山道となった。すぐにきれいに刈り込まれた小さな茶畑が現われ、その先に農家があった。雨戸が閉められてはいるが、時々来ているのか、さほど荒れてはいない。だが南側の奥沢谷に面した畑は今は全く手は入れられていない様子だった。谷の奥深く、僅かな斜面に拓かれたこの一片の土地も、かつては生活を支える実りをもたらしていたのであろうが、今再び雑草と共に周囲の緑の中に埋没しつつあった。少々心寂しい風景だ。
 山道は深く切れ込んだ奥沢谷の左岸を、尾根の襞を忠実になぞりながらへつってつけられている。足もとに這い上ってくる沢音に暑さを紛らわせながら行くと、道はまもなく原生林に入った。まだ新しい鉄製の簡易橋の架けられた小ルンゼを幾つか過ぎ、支沢の吊り橋をキコキコ渡ると、スリリングな橋が二つあった。随分腐ってもうすぐ落ちる丸大組の橋と、板が全部抜け落ちてかろうじて鉄の骨組だけが引っ掛かっている残骸風の橋である。
 農家から1時間も来ると奥沢谷は急に河床をせり上げ、トラバースぎみに来た道は豊かな流れに沿うようになる。沢筋に大きな平たい岩があったので、その上で一本取る。
 そこから100メートル程上流の徒渉地点を石伝いに渡ると、いよいよ尾根の取り付きである。この尾根は笊ヶ岳南隣の布引山から東ヘ伸びている尾根で、笊ヶ岳へは布引山から稜線を往復することになる。
 尾根の中は風が全くなく、蒸し暑い空気が停滞していてやりきれない。それでも始めは順調に登って40分程で山の神と云う所に着いた。この調子で行けば2時か3時には布引山頂上附近の幕場に着くだろうと思ったが、見通しが甘かった。それから先は、寝不足と暑さから来る疲れで、男2人のパワーが急速に落ちていってしまったのである。昨夜天幕を張り終えたらすぐに寝れば良かったのだが、飲むものも飲まずいきなり寝てしまうのも何だか気持ちの間合が悪いような気がして、いつものように宴会過程を1時間ちゃんと踏まえてから就寝となったのである。もうからだがそういうふうになってしまっているのである。習慣というのは恐ろしいものなのである。しかも昨夜は蒸し暑さのため良く眠れなかったことも重なって、つらい登りを迎えるハメになってしまったのである。こういうことは繰り返すまい!とこれまで何度心に誓ったことか、ということをそういう場面に陥る度に思い出すのである。
 大久保氏は時々山に登って体内に蓄積された毒を大汗と共に体外に排出しないと死んでしまうという生態の持ち主で、最近は登山前夜の深酒を控えると毒の出が良ろしいという法則を順守し、昨夜もビール少々で打ち止めにしてあった。だが調子が悪いと毒の出も悪いのか、噴出毒の量も今日は少量に止まっているようで、回復に向かう予定の氏の体調には一向に好転の兆しが見えてこない。わたくしも「布引山まで登るぞ!」と自分に言い聞かすのであるが、フラフラ歩いていると地の底に引き込まれるような眠気が襲ってきて重力の方向が前後左右に急激に変動し始めてしまい、 1ピッチ30分歩くのがやっとなのである。チビマルコはというと、最近彼女はパッパパラパーと力をつけてきて、暑いねぇーと言いながらも順調に登っている。3人の中で一番元気なのである。歩き出したと思ったらじきにザックを放り出してひっくり返っている連れ2人を見て、基本的にのんびりした顔をしながらも、
「まったくうー。また今日も引き返すんじゃないだろうねぇ」
などとチビマルコ風に気をもんでいるようなのである。わたくしも事前に「ちゃんと登ろうね」と釘をさされている手前音を上げるわけにもいかず、
「おい、どこかその辺で幕張ろうぜいぜいぜい」
と息切れ語尾調で言うドクダシンコに対し、
(そうしようそうしよう)
とヨロヨビにかがやきつつ全面賛成異議無し全く無しーと言いたいのを無理矢理抑えて、
「布引山まで行くぞ!」
とハッタリ半分のカツを入れる。すると、
「だからおまえはオニと言われるんだ!」
とドクダシンコが憎々しげに言う。(くぬやろう)と思いつつも引くに引けないリーダーのつらさ!。ここは瞼に帰りの温泉のことを想い浮かべてグッと堪える。
 どんどん過ぎる時間の中、ガマガエルのようにもったらもったら登って行き、何度目かに(もうダメダ)とザックを投げ出した所が2100m地点。チビマルコと2人、頭の周りにうるさくつきまとうブヨ雲を追い払いながら遅れているドクダシンコを待つこと30分。前頭部に憂えるべき地球砂漠化を具現したような全面的に夏向きの額を毒汗びっしょりにしてフラフラ上ってきたドクダシンコの顔を見たとたん、(こりゃもうだめだ)とわかった。
「おい、もうやめようぜいぜいぜい。幕張ろうまくっ!」
「幕張ろうって、どこに張るんだよ」
この辺りは急斜面の、倒木の多い原生林なのである。
「この少し下に張れる場所があった」
「そんなとこ、あったか?」
「あった。 確かにあった。そういう所はオレはちゃんと見てるんだ」
「それじゃあもうマク張ろうか」
ドクダシンコの状態を見て納得したのか、チビマルコが言った。確かにこのまま行って夜中になるよりここらで幕張って早く休んで明日空身で登った方が良いだろう。
 ドクダシンコの言った場所は、丁度高度差にして100m程下った所にあった。4~5人用1張分の、スペースが整地したかのように平らになっていた。急登の続く尾根の中程に一段平坦になったこの辺りは、日地出版の「南アルプス南部」の地図に千梃木山と記されている所である(2万5千図にはその記載がない)。幕を張り終えると、もう16時であった。
 ドクダシンコのハシナメンスキーという姓は、仲間内から「箸舐めの哲」と呼ばれているところからきている。箸で食い物をいじるとすぐその箸先を舐めるというのは世間に良く見られる癖であるが、ドクダシンコの場合は驚くべきことに、握っている箸の指もとまで全部口腔に差し込み次の瞬間引き抜いた時には箸は2本とも全局面に亘って余すとこなくきれいに舐め拭われているのである!。この美事な「箸舐めの妙技」はわたくしの長年に亘る観察によって幾度となく確認されていることであるが、疑う人はこんど彼氏と山に行った時におもしろいからよく観察してみると良い。ただし、「ねえ、箸舐めの妙技やってぇ、わーわー」と頼んでも素直に見せてくれる程ドクダシンコは単純ではない。この妙技は本人も無意識のうちに終了してしまう一種の瞬間芸であるから、あくまでも仔細な観察が必要なのである。この日の夕食はグリコの「中華肉団子丼」。ドクダシンコ・ソリコミッチ・ハシナメンスキーの瞬間の妙技は、残念ながら当夜は観測されませんでした。
 翌日、天気予報は完全に外れてピーカン。テントから顔を出すと、縦縞の森の空が青く正しく輝いている。
 朝メシを終え、残りの水を集めてみると一人当り600CCしかない。水場は奥沢谷へ戻るまではないのだ。この陽気にこの量ではちょっときびしいか? でも無きゃ無いで何とかなるだろう、と思っていると、ドクダシンコがテントキーパーを申し出た。やはりきのうの噴出毒量の少なさが響いているらしい。
 5時18分、チビマルコと2人、空身で出発。昨夜は早く寝たので今日は身が軽い。この尾根はここ2000m附近から2500m附近まで傾斜が一段ときつくなっており、ハーハー、ヒーヒー、フーフーと原生林を登り、240Omあたりから残雪の小塊がチラチラ樹間に見えてくるとヘィヘィとなり、 2480m附近で布引崩れの縁に飛び出て一気に視界が拡けるとホーホーと変化するハ行五段活用でひたすら攻め登って行ったのであった。ホーホーとなったあたりでは、大井川の谷を隔てて荒川岳を右端にそれ以南の南アルプスの峰々が遥か彼方で空と変わるところまで蜒々と続いていた。これまであえぎ登って来た甲斐があったというものだ。
「大久保氏も来ればよかったのにな」
「そうよねぇ。ここまでだって来る価値あったよねぇ」
毒の出ないドクダシンコの為に一枚景色を撮る。
 布引山の頂上の少し手前の道の中にうまい具合にきれいな残雪が残っていたので、ポリタンの水を少し飲んで雪をめいっぱい入れると嬉しくなった。布引山山頂7時1分通過。その30m程先に4~5人用テント5~6張分くらいの平坦地が樹林の中に広がっていた。雪のある時期には幕場に丁度良い。
 そこからの道には雪が頻繁に残っていた。見ると、新しい地下足袋の跡がついている。3~4分行ったあたりで地下足袋のおっさんがヌーボーと立っていた。40代前半ぐらい。朴訥としたかんじ。聞くと、きのう池の平から上って来たが、倒木だらけでやたら時間がかかってまいったとのこと。今日中に帰りたいので笊ヶ岳はこんどまた挑戦することにしてここから引き返すと言う。それではお気をつけて、と我々は先を急ぐ。笊ヶ岳への稜線の道は170m下って320mの上りである。展望は殆んど無い。最後に立木を掴んで急登をずり上って行くと、唐突に360度の展望が拡けた。笊ヶ岳7時56分着。頂上は小さな土の盛り上りといったかんじの狭い所で、遠くからだと笊を伏せた様な形に見えるらしい。東側の薮の中に小笊と云う弟分を従えている。頂上からの展望は正に南アルプス丸見えゴールデンコース! 北は農鳥岳(北岳は雲の中だった。晴れていれば見える筈。)から南の光岳の先までバッチリ見えている。正月に登りそこねた赤石岳はまだ雪をたくさんつけている。長かった赤石小屋までの東尾根は、ここから見るとドーンと落ちており、改めて結構急登だったんだなあと納得した。それらを眺めながら行動食をパクつく。ポリタンの水はバッチリ冷えて、うまいっ! セルフタイマーで証拠写真を撮り、ドクダシンコの待つテントヘ急ぎ戻る。
 帰路にも再び同じ場所でポリタンに雪をざゅうざゅうに詰め込んだ。ドタダシンコヘの良いおみやげができた。それにしても今回カルピスを持ってこなかったのは失敗だった。わたくしとしたことが・・・・・・。これを残雪にかけて食うと超激的に美味いのだ! カルピスの正しい摂取方としては、これがベストだと思う。
 テント帰着10時5分。ドクダシンコは睡眠をたっぷり取り、出すモノも出したらしく、朝よりもだいぶ元気を回復していた。雪の半分詰まったポリタンを差し出すと、めがねをニカ眼にしながらうぐうぐうぐとうまそうに飲んだ。直ちに撤収にとりかかる。
 下りは速かった。1時間50分で奥沢谷の河原に下り立った。そこで約1時間の大休止。水を存分に飲み、顔を洗い、日向ぼっこしながら汗で濡れたシャツを乾かし、食料の残りを食べる。沢に入ると、1分も立っていられない程冷たかった。
 ヴィラ雨畑14時40分着。車を置いたところが風呂というのはすごく嬉しい。楽しみにしていた円形の建物の風呂は、今日は女性の日ということで、男は内風呂であった(300円)。こじんまりとした長方形のタイルの風呂で、沁々とした閑かな湯であった。

〈コースタイム〉
ヴィラ雨畑 ←10分→ 老平 ←25分→ 林道終点 ←1時間→ 奥沢谷徒渉地点 ←2時間/?→ 千梃木山(2000m附近) ←1時間〔空身〕1時間半→ 布引山 ←1時間→ 笊ヶ岳


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