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大峰山・吾妻耶山
服部 寛之

山行日 1991年7月28日
メンバー (L)服部、安田(直)、【佐藤(牧)、高瀬】

 上越線の上りに乗って水上駅を過ぎると、右手に低いなだらかな稜線が見えてくる。南側の大峰山(1255m)と北側の吾妻耶山(1323m)を結ぶこの稜線は手頃なハイキングコースであるということなので、行ってみることにした。例会募集すると、な、なんと未入会のギャル2名が行くという。アチャ~、こりゃ困った! ギャルは実に興味深い現象ではありますが、数学の次に不得意とする分野なのでありますね。ルームから帰宅し行きそうな人間に電話をかけまくったが、誰ひとり行く奴はいない。山で困った時に助け合うのが山の会じゃないのか、つめたい奴らめ!とブツクサ困惑しつつ思い詰めたあげくミセス安田に電話すると「イク」と言う。
 ミセス安田というのは、まあ要するに安さんのかあちゃんのことだけど、元会員で、みんなから「なおちゃん」または「なおこ」とひらがなで呼ばれている。結婚して若い人妻と母親をやりつつしばらく横浜のアパートに住んでいたが、最近町田の集合住宅に引っ越して若い団地妻に変身したのだ。思い詰めた果てに若い団地妻に電話して「イク」などと言われても、決して怪しいフンイキに発展して行かないところがわたくしの哀しい欠点であると指摘する向きもあるが、それはこの際置いておく。実は彼女は知る人ぞ知る多言症なのだ。「イク」と言われた時にそのことがチラッと脳裏をかすめたが、貴重かつ嬉しい「イク」であったのでありがたく「よろしく頼むね!」と声も明るく電話を切ったのであった。
 27日の夜、上野駅のいつもの場所へ行くと、初対面のはずのギャル2人を相手に、ミセス安田の音声発生システムは早くもウォーミングアップを開始していた。奇しくも、ヒツゴー沢へ行く今井パーティーも水上まで一緒であり、アッコさんの高速度発生音声処理システムも快調で、耳の休まる間もなく水上に着いた。
 翌朝、タクシーは早朝お断りというので、 一番の上り電車で上牧へ戻る。崩れると言っていた昨日の天気予報に反して、青空のもと、すがすがしい朝の空気の中を大峰山登山口目指して歩く。3人の中年おばちゃんグループも一緒だ。ミセス安田の音声発生システムは今日も超快調らしく、朝から気分良くフル回転で、「朝ご飯、おにぎりですかあ~」と途中でザックを広げているおばちゃん3人組にも明るく声をかける。団地妻がこんな明るくてイイのだろうか?と思うほどだが、ま、いいや。
 農道の終点で一本取って朝メシにする。ギャル2人は多言症拒否反応を見せておらず、とりあえずホッとした。佐藤さんの方はそうでもないが、高瀬さんはやや多言症ぎみのようだ。それにしてもオレひとりだったらと思うと、冷汗が出る。なおこさまさまでありんす。多言症も時には悪くないですなあ~、いやぁ~、ホント、ホント。
 農道から山道に入り、しばらく行って山らしい雰囲気になってきたあたりにお不動さんがあった。見ると、みたらしの中にトマトが三つプカプカ浮いている。すぐそばでおばちゃん3人組が監視中で、うちらがみたらしの方へ吸い寄せられるように寄って行くと、あわててとんできた。みたらしにはすぐ裏の清水から引かれた冷たい水が溢れていて、よく見ると水の底に亀万年の亀さんが彫られてまんねん。
 お不動さんからは木道の登り坂となり、そこを過ぎて平担な林を抜けると大峰沼に出た。実はここらで花を期待していたのだが、花は殆ど見られず残念。沼はドス緑色で浮草が多く、あまり綺麗ではない。ここはキャンプ場になっていて、バンガローが幾つかあり、賑やかな声を聴きながら小休止とする。
 沼を南に廻り込むと一気に6~70mの急登で大沼峠に出た。ここから痩せた稜線を北へ向う。冬ならば両側共見えるのかもしれないが、今は葉っぱの隙間から西側がチラチラ見えるだけだ。稜線は次第に太って、テレビの中継所を過ぎると大峰山の展望台があった。展望台の下はテーブルとベンチの休憩場所で、例のおばちゃん3人組と中年数人のグループがくっちゃべっていた。展望合に上ると、線路の向こうの山並みがよく見えて、初めて広がった展望にギャル2名及び団地妻1名は「うわぁ~」と感激し、記念写真の大激写大会となったのであった。
 大峰山頂の標識は展望台の100mほど北側にあり、そこからだらだら道を下って行くと大峰山と吾妻耶山との鞍部の赤谷越峠である。そこの標識には吾妻耶山の頂上から北の仏岩峠方面へ下る道は通行止めとなっていたが、丁度そこへ来合せた草刈りのおっさんらの話では、ハイカーの事故を恐れる役所の責任逃れのための標記だけの話で、大丈夫、行けるよとのことなので、とりあえず予定通り山頂へ行くことにする。一汗かいて気持ち良い木立の中を山頂へ登ると、そこはやや広い平坦地で石祠などあり、先行のおばちゃん3人組が弁当をひろげていた。展望はあまり良くはなく、木立の間から谷川岳の稜線と東側が少し見えるだけである。うちらも大休止にしてパンなどかじる。ここまで来てギャル2名はやや疲れたかなといったかんじだが、ミセス安田の方は口も足も快調であり、実際そのパワーには恐れ入りやすだのなおこさんであった。この3年間に蓄積したフラストレーションを一気に吐き出しているかんじで、付き合わされる高瀬さんにはご苦労さんだが、彼女は殆ど苦にしていないようなのでホッとする。オレと佐藤さんは、実は途中から距離を置いて自衛していたのだ。
 吾妻耶山頂からは、通行止めになっていた道をやはり下ってみることにした。上部は木立にちょっとした岩稜が混じり、その下は細かく割れた石板が堆積していて足元がややおぼつかない。やっと仏岩峠に向う道に出て、 一本取る。てれてれの下り道を行くと、ヌッといったかんじで仏岩が立っていて驚かされた。結構高い岩柱で、魔羅岩などと命名しなかった昔の人の不見識の無さを偲びながら小休止とする。その僅か先の仏岩峠を右折し、夏草ボウボウの道を下って行くと30分位で工事中の林道に飛び出た。林道は昭文社発行の「谷川岳」の地図にあるよりもずっと上に延びて来ており、現在は尾根を抜けるトンネルの工事中であった。
 そこからの林道歩きは実に長かった。やっとこさ見えて来た関越道の高い高架橋の下に林道工事のものらしい飯場があり、ジュースの自動販売機がありがたかった。
 帰路に寄った水上の共同浴場で聞いた話だが、最近この辺りの山ではツツガムシが発生しているとかで、特に大峰山麓・吾妻耶山麓の集落では患者が5~6人出ているそうだ。ツツガムシは上越から越後の山の方へと広がっているらしく、その山域では山の水を飲まない方がいいとのこと。今まさにその山で水を飲んできたところなのでびっくらこいたが、しかし今よく考えてみると、ツツガムシ病は水を飲んでも感染するのだろうか? 手元の本にはツツガムシに刺されると感染することがあるとは書いてあるが、その他の経路については何も言及していないのでよくわからない。
 水上からの電車を新前橋で降りて乗り継ぎの各停を待っていると、今井パーティーが次の電車でやって来てまたしても一緒になった。3人にアッコさんが加わって4人となったカシマシ軍団はボックス席を占拠したので、違いのわかる男約3名はおもむろに隣の車両ヘと回避行動を取ったのであった。
 それにしても、今回のミセス安田の多言攻勢にはまいった。そのお陰で大いに助かったのは事実だけど、いやはや、すさまじかった。その音節発射能力は、陸自のAH-1Sコブラ戦闘ヘリコプターの機首に装備されている20mmM197ガトリング・ガンに匹敵すると思われた(400/3,000rpm)。そしてその音節搭載量の膨大さとその持久力! 何しろ、東京で東海道線に乗り換えて横浜で別れる時まで止まらない。こうなるともうボクなどは驚きを通り越して尊敬してしまう。そして「仮に人生80年とすると、人は一生の間にどの位の量の音節を発射することが可能なのだろうか?」とか「全宇宙で発音される音節絶対量が物理的に決まっているとすれば、彼女は確実に得をし、オレは着実に損をしてるな」などという哲学的な思索に至ってしまうのであった。しかしまあ、いやはや、お陰で助かりました。そして佐藤さんと高瀬さん、ご苦労様でした。

〈コースタイム〉
上牧駅(5:30) → 農道終点(6:25~50) → 水分不動(7:20) → 大峰沼(7:55~8:10) → 大峰山(9:20~35) → 吾妻耶山(10:40~11:20) → 仏岩(13:00~10) → 林道(13:40) → 関越道高架下(14:40~50) → 水上共同浴場(15:35)


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