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妙義山
石塚 秀夫

山行日 1991年11月17日
メンバー (L)佐藤(明)、今村、大久保、城甲、福間、石塚、(山崎、朝岡)

 (11月16日) 待ち合わせの高崎駅信越線下りホームへ着くと、同じ電車に乗り合わせたリーダーの佐藤さん他三名が、先にホームに来ており挨拶をかわす。佐藤さん以外は、山行では初めてお目にかかるメンバーである。入会してから半年経つが、2回目の山行では当然のことだ。これからは、もっと参加しようと思う。
 今日の予定は、信越線松井田駅からタクシーで妙義山神社へ向かい、そこの駐車場でテント泊。
 電車が入線したので、名々車内に乗り込み、発車ベルが鳴り、イスに座ってホットするやいなや缶ビールやつまみがまわってきた。聞けば、この光景は、上野駅から続いているという。他の乗客は、勤め帰りのサラリーマン等で、酒を飲んでいるのは我々だけであり、しかも、電車は、ボックス席ではなく横一列の向かい合う席である。自称、紳士を装っている私は、このような状態で酒を飲むということはとても考えられないことで、ビールを片手に下を向いていると、そんなことにはおかまいなく、色々なものが次々手渡されてくる。そのうち、自家製のつけものまで登場してきた。しかし、酒をすすめられると断る方法を知らない私は、すすめられるまま飲んでしまい、松井田駅に着くころには、すっかりほろ酔い気分になっていた。山行2回目にして洗礼をうけたのである。
 駅に着くと、あたりはまっ暗になっていて、人影もまばらで、早々に電話でタクシーを呼ぶと15分位かかるという。やっとタクシーが来て寒空の中を、明日の天気を気にしつつ、午後8時、妙義山神社の駐車場へ着く。
 既に、先発隊の今村さん、山崎さん、福間さんが、テントの中で、夕食を済ませ、仲良く歓談していた。我々も、早々に幕営の作業にはいる。今日のメニューは鍋料理と聞いて、一層、作業に力がはいる。作業がおわり、さっそく夕食の準備に取りかかる。鍋が出来上がり、美味しそうな匂いがただよってきたころ、隣の住民も招待して、酒盛りが始まる。会話もはずみ、楽しい夜であるが、午後11時頃、明日も早いということで、お開きにし就寝。
 (11月17日) 朝5時30分頃起床、冷たくなったおにぎりをはおばり、テントを撤収して、ザックに必要なものを詰め込み、午前7時出発。
 温泉街を通りぬけ妙義山神社へ向かう。だらだらとした上り坂に、普段不摂生しているためか、足が重く、これから先がおもいやられる。やがて神社に着き、安全登山の祈願をし、神社を後にする。いよいよ本格的な登りである。約30分後、大の字岩峰に着く。妙義温泉から見たときは、緑の中にポッカリと浮かんで見えたが、近くで見るととても大きく、それは鉄骨で出来ていた。なぜこのようなものを作ったのか不思議である。
 奥の院から、途中いくつもの鎖場と岩場をビビリながら白雲山頂、天狗岳、相馬岳を経てバラ尾根へと向かう。バラ尾根のピークはせまく、しかも崖のように切れたっていて恐ろしかったが、360度の展望がとてもすばらしい。尾根を下り、自然歩道分岐から「関東ふれあいの道」を歩く。ここからは、登り下りの単調なコースである。午後1時40分下山。
 マイカーで来た今村さん他二名はこのまま帰り、残った我々は、バスの時間を確認して温泉にはいる。温泉で汗を流した後、近くの食堂でバスを待つことにしたが、またもやビールの登場である。名物のみそ田楽に舌つづみをうちながら、空ビンがどんどん増えていく。ほとんどアル中の一歩手前。帰りの電車内でも当然、宴会は続く。途中の駅で乗り換えると、のみ疲れのためか、すぐダウンしてしまった。
 今、この山行を思い出しながら原稿を書いているが、山よりも酒を飲んだことしか印象に残っていないので、文章には苦労した。これからは、山を目的にしようと反省している。この山行に参加したみなさん、大変お疲れさまでした。


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