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平成四年度春山合宿・剱岳周辺
その2 源次郎・八ッ峰隊(真砂沢BC)
飯島 豊

山行日  1992年4月29日~5月4日
メンバー (L)飯島、井上(博)

 鼻息荒くザックを担いで出る。今回のザックは23kgとなりザックの重さは期待に比例して大きくなるということを再確認する。待ち合わせは池袋のバス停、出発は金子パーティーと一緒であった。皆ザックはでかく特に井上氏は度重なる山行の末一般社会より抜け出た仙人のようでもあり、夜逃げよろしくいっさいを背負いこんだ難民のようでもあった。バスは一路富山へ快適な一夜を過ごす。
 早朝の富山電鉄駅で菅原、金子、吉江氏と別れ我々は室堂ターミナルへ、快晴であった。気象情報によると、明日30日から1日にかけて気圧の谷が通りその後は気温が下がるとのこと。雷鳥沢を登り乗越で剱をながめ一服した後、剱沢を下る。源次郎尾根末端近くにテントを設営したのが14時頃、昼寝とお茶でゆっくりし明日の登攀に備える。

 30日朝3時に起床し登り始める。天候は曇り、かなり暖かい。急登ではあったが雪質はよく、順調に高度をかせぐ。I峰に近づくにつれ傾斜はきつくなるが、ノーザイルでダブルアックスで登る。天侯は悪くなりスノーシャワーが流れ始め、風もガスも出てくる。我々はなんとかI峰へ出るが、リッジになった所では完全にホワイトアウトし足元が全く見えないので一歩一歩進む。これから先は下降もあり、ルートも読めず、恐怖心もあり、撤退と判断する。帰りは懸垂で下降する。天侯は気温が上がり少々雨も降ったり目まぐるしく変わる。テントについた時にはおだやかに落ちついたようでもあったが、この日にはかなりの雪が降る。

 5月1日、昨日の雪50cm積もり冬山のようであった。源次郎取付きより真砂沢にベースを移す。真砂はスキーの人達と登攀の連中と合わせ5、6張りであった。天気はピーカンであったが昼寝をきめこむ。再度源次郎を登る気にもなれず、また八ッ峰は無理と判断し、井上氏と相談し池平山より小窓、三ノ窓を越え剱岳を目指そうと決めた。日程は真砂沢に戻るまで2泊3日と考え、ガソリン1.5リットルと食料2日分とし、不用なものはデポし翌日に備えた。

 5月2日、天気はまずまずであった。近藤岩より北股に入る。井上氏のびざまでの猛ラッセルで進むが、とにかく池平山までは長かった。またこの日初めてのシーバーの交信がとれ、各隊だいぶ雪にやられていたようであった。池平山の富山側は穂高の滝谷のような悪い印象であった。我々は池平山より小窓に向かう。小窓には高差100m程度の下降であったが、我々は不用品としてザイルを置いてきてしまい、ザイルなしで下り始める。下り始めたらもう後へ戻れなかった。雪の不安定な所が多く、唯一息つけるのが小さな木だけでそれも数ヵ所、もう自分のことしか考えられなかった。とにかく無事切り抜けたかった。小窓まで私だけは下りれたが井上氏はまだ途中、バカなことをしたと思ったが待つより仕方がない。井上氏が安全な所まで下りてきて尻餅をつき、やっと笑顔が戻る。あとで話したら念仏をとなえていたと言う。小窓ば強風であったが、テントを張り終え、一服する。シーバーの交信(午後4時の時点)では各隊剱本峰を目指していた。我々も同じであったが、地形図で三ノ窓の下降が急竣であろうと思われたので小窓雪渓を下りることにする。

 5月3日、天気はよかったが、小窓つまり風の通り道なので風が強い。シーバーの交信は8時であったが、待つことなしに6時頃より下降する。途中シーバーを受信にするが全く入らない。我々はべースを真砂沢よりハシゴ谷乗越へ移す。かなりよいテント場をみつけ我々だけの宿を作る。ここからの八ッ峰I峰及び源次郎尾根の眺めは非常によく、源次郎などは自分らがどこをどのように登ったかわかり井上氏と2人感慨にふける。この日はどの隊とも交信がとれなかった。

 5月4日、小雪のちらつく中、内蔵助平から丸山基部を経て黒部ダムに着く。バスに乗り込んでしばらくすると窓をたたく人がいる。ゲンさんであった。大町で温泉につかり、そして帰った。

 今回の山行で、いろいろな状況の中で考えさせられることが多かった。本峰も踏めず、まともにも登れず、意味のない山行と見られると思うが、私にとっては非常によい山行であった。できれば来年再度狙いたいと思う。


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