トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ279号目次

平成四年度春山合宿・剱岳周辺
その3 剱岳北方稜線縦走
金子 隆雄

山行日 1992年4月29日~5月4日
メンバー (L)金子、菅原、吉江

 剱岳から北に2000メートル以上のピークを幾つも連ね、延々と水平距離にして約30キロメートルちかく延びている稜線が剱岳北方稜線と呼ばれている長大な稜線だ。我々のパーティは来年のマッキンリー遠征のトレーニングを兼ねて、この稜線の末端からのトレースを試みた。

 4月29日(無風快晴)
 昨夜の夜行高速バスで池袋を発ち早朝に富山に着いた。富山地方鉄道に乗り終点の宇奈月温泉で下車する。駅から温泉街とは反対方向のスキー場へ向かい、スキー場のど真中を突っ切り展望広場へと上がる。舗装された道を少し行くと僧ヶ岳登山道入口の指導標があるのでそこから登山道へ入る。僧ヶ岳までは夏道があり、ちゃんとした指導標があるところをみるとかなり登る人がいるのだろう。登山道は一旦林道に出て、直ぐにまた山道に入る。標高900メートルぐらいから雪が登山道を覆うようになる。林道から僅かで避難小屋跡に出るが、この地図にも載っている小屋は今は土台しか残っておらず使用することはできない。雪の上には新しい踏み跡があり、また所々に赤布の目印もありルートを外す心配はない。1600メートル付近の烏帽子尾根とのジャンクションピークまで登ると尾根は広くなる。1775メートルのピークから少し下ったところに雪のない平らな幕場に絶好の場所があったので少し早いが今日の行動を打切る。ここには雪融け水が流れているので水を作る手間と燃料の節約ができて助かる。
〈コースタイム〉
宇奈月(8:05) → 避難小屋跡(11:05) → ジャンクションピーク(13:15) → 幕場(1750m)(14:25)

 4月30日(曇り後雪)
 朝は曇ってはいたが視界も良くまずまずの天気なので出発する。ただ昨日は流れていた水が今日はすっかり涸れていて、昨日のうちに水を確保していなかったのでほとんど水がないのが辛い。出発して30分程で僧ヶ岳に着く。ここから先は絶対にトレールなどないと思っていたが意に反してしっかりトレールがある。このぶんだと楽勝だなと思いながらトレールに沿って駒ヶ岳を目指す。尾根上には東側にかなり雪庇が張り出しており緊張する。北駒の直下は堅くクラストした急な雪壁となっており、アイゼンを着けていなかった為かなり精神的負担が大きかった。このころから急激に天候が悪化してきて雪が降り始め視界もなくなり、ほとんどホワイトアウトの状態になってきたので行動を打切り停滞することにし、北駒(1910メートル付近)に幕営する。この日フライシートのファスナーが壊れて閉まらなくなりテントの出入り口に雪が吹き溜まって難儀する。
〈コースタイム〉
幕場(5:55) → 僧ヶ岳(6:25) → 北駒(7:40) 停滞

 5月1日(晴れ)
 起きた時には未だ天候が回復しておらず少し様子を見たため出発が遅れる。昨日降った雪が50センチほど積もっており、これで先行パーティのトレールは期待できなくなった。今日1日はひたすらラッセルしなくてはならないと思うと出発前から気が重くなってしまう。今日の予定は最低でもサンナビキ山まで行こうと決めて出発する。駒ヶ岳まではラッセルはあるものの短時間で順調に来た。駒ヶ岳から下りにかかると薮尾根になり稜線通しには進めなくなる。西側を捲いて行くのだが捲いたからといって楽になるわけでなく、やはり薮の中をラッセルして進まなければならない。駒ヶ岳とサンナビキ山との標高差はわずか30メートル足らずなのに、この30メートルの高度を稼ぐのに幾度となく登下降を繰り返さなくてはならない。とうとうこの日は予定のサンナビキ山まで着くことができず途中の1950メートルのピークを少し過ぎた辺りまで引き返し幕営とする。
〈コースタイム〉
北駒(8:25) → 駒ヶ岳(8:45) → 幕場(15:55)

 5月2日(曇り後雪)
 予定よりだいぶ遅れており、残りの日数も少なくなり剱岳まで辿り着けるかどうか不安になってきたが今日頑張って遅れを少しでも挽回できればなんとかなるだろうと出発する。昨日と変わらずラッセルが厳しい。サンナビキ山からは緩い下りになるがそのままどこまでも真直ぐ進んで行くとルートを外してしまう。ウドノ頭へは右に直角に折れなければならない。視界が良いのでウドノ頭の顕著なピークが見渡せルートを外すことはなかったが、視界が悪いときは要注意の場所だ。適当な所からコルを目指して下って行き、コルから急な雪壁を登りきるとそこに先行パーティの幕営跡があった。たぶん彼らは30日にここで幕営したのだろう、この先は微かだがトレールがある。ウドノ頭から平杭乗越しは薮の中の急な下降となり初めてザイルを使うことになる。平杭乗越しからは薮もなくなり楽になるがその代わり毛勝山まではひたすら登り続けなければならない。西谷ノ頭を越えた2000メートル付近での定時の無線交信で入山以来初めて他パーティとの連絡がとれた。延々と続く急な雪壁に体力を消耗し2人にだいぶ遅れて毛勝山の頂上と思われる平らな場所に着いたが、このころから天候が悪化しガスが出てきて視界が悪く確認できない。しばらくしてガスの切れ間に頂上が見えたのでここが頂上ではないことは分ったがもはや行動できるような天候ではなくなっている。かなり風が強いので風を避けるために雪洞を掘りかけたが、時間がかかりそうなので思い直しテントを張り周りに雪のブロックを積んで風よけにする。毛勝谷から登ってきたパーティに会ったが遅れていた1人が行方不明になったと言っていたがどうなっただろうか。4時の無線交信を終った直後、なんの前兆もなく突然雷に見舞われる。テント内のあちこちで火花が飛び、無線機からも火花が飛んだ。また来たら避難する場所もないここではどうにもならないと全員青ざめる。幸にそれ一発だけで遠ざかったようで一安心する。その後無線機の電源が入らなくなりさっきの雷でやられてしまったものと思ったが、しばらくいじっているうちに直り接触不良だったことが分かり、これもまた一安心する。6時の無線交信で服部パーティは明日の天候を考えて、明日はブナグラ乗越しから馬場島に下山すると言ってきた。我々も残りの日数を考えると剱岳までは行けそうもないと判断し、同じくブナグラ乗越しから馬場島に下山することに決めた。
〈コースタイム〉
幕場(6:20) → サンナビキ山(7:25) → ウドノ頭(11:30) → 幕場(15:00)

 5月3日(晴れ)
 毛勝山北峰には数パーティがいたが出発が遅かったにも拘わらず我々が先頭でラッセルをすることになる。毛勝山から見下ろす遥かに南に延びる稜線は、昨日までとは違いこれが春山だと思わせるような素晴らしさだ。がラッセルは相変わらず厳しい。釜谷山への途中で猫又山から来たという2人のスキーヤーに会う。猫又山で服部パーティとの無線交信を行い、ブナグラ乗越しで我々を待っていてくれるということなので先を急ぐことにする。猫又山からは下るべき尾根が見えないので、とにかく南東の方向へ向って進むとやがて視界が開けて進むべきルートがはっきりしてくる。ブナグラ乗越しへ下り立つ所はかなり急に切れ落ちているので懸垂下降で下り、無事服部パーティと合流。だいぶ待たせてしまったようだ。ブナグラ谷を下って馬場島に着き、その日は馬場島に幕営し無事の下山を祝い宴会となる。
〈コースタイム〉
幕場(8:15) → 毛勝山北峰(8:35) → 釜谷山(9:50) → 猫又山(11:30) → ブナグラ乗越し(13:10) → 馬場島(16:00)

 今回の山行を終えて思うことは、最終目標地である剱岳へ達することはできなかったがそれなりに素晴らしい山行だったと思う。
 距離が長い、ルートファインディングが難しい、入山する人が少ない等の厳しい条件は沢山あるが機会があればぜひもう一度トレースしてみたいと思っている。また今回のルート選択は来年のマッキンリーのためのトレーニングという目的もあって選んだのだが、その目的は十分に果たせたと思っている。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ279号目次