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八海山
吉田 久美子

山行日 1992年5月30日~31日
メンバー (L)菅原、別所、城甲、飯塚、朝岡、岩田、吉田

 5月30日
 湯檜曽駅で目ざめると外は雨。ここのところ週末はずっと雨でついてないなあと思いながら、菅原さんの車に乗りこむ。
 当初の予定であった屏風道コースをあきらめて大崎口からの登りになるとのこと。
 八海出神社は思っていたより大きな社で、さすがに古くから信仰の山として登られてきただけのことはあると感心する。
 登りはじめるといきなりの急登で「ナンダ、この急な登りは!」、「ナンダ、この蒸し暑さは!」とただひたすら文句を言いながら(もちろん心の中で)、ムッとして歩いてしまう。前を歩いていたはずの人たちはいつしか見えなくなり、時折新緑の木々の間からザックの色が見え隠れするだけである。
 やっと霊泉小屋かなと思ってとった最初の休憩は実はまだ一合五勺の地点で、それでもああもう疲れた!とすわりこんでしまう。気をとりなおして歩きはじめると、またもや急登。はしごと鎖があらわれ、「え~っ、これがずっと続くの!」と思わず叫びそうになる。
 霊泉小屋では金剛霊泉の水をみんなで飲み、そのおいしさに感激。とにかく一回の休憩がやたらに長くなってしまう。
 霊泉小屋をすぎると登りはややゆるやかになり、残雪をいただく山々がガスのきれ間に見えたりしてなかなかの眺めである。
 ゴンドラ駅をすぎたあたりからところどころにあらわれる残雪を踏んで歩く。
 胎内くぐり(別所さんが一同を代表して実践)をすぎて女人堂に到着。ここでまたもや当初の予定(千本槍小屋泊)を変更してここに泊まることになる。
 「ここに泊まって、明日、空身で往復してくれば楽だから」との菅原さんの言葉に大きくうなずいてしまう私。女人堂の中はきれいにかたづいていて快適そうである。
 夕食は「麻婆春雨」と「海草サラダ」。これが実においしい。調達係の私の計算の甘さから「麻婆春雨」は早くも足りなくなってしまう。そこで城甲さんはじめ皆思い思いに用意してきた一品が出はじめ、いきなり「私のすすめるこの一品コーナー」に突入。もちろん、ビール、ウィスキー、日本酒はいり乱れ、なごやかに時はすぎていく。ただ、女人堂の神様にも一応お供えを・・・・ということで供えたお酒はさんざん飲んだあげくの残りものということになったのである。
 明朝は3時起床の5時出発、を確認して8時に就寝。

 5月31日
 予定どおり、3時起床。
 雨は昨日より激しくなっており、屋根をたたく音がバラバラと聞こえる。それでも、もうすぐ止むかも・・・・という淡い期待をもって朝食のしたくにとりかかる。
 5時になっても雨は止む気配なく、もう寝るしかないもんねと、再びシュラフにもぐりこむ。
 7時に再度起床。まあお茶でも飲もうかということになる。ここでなんと別所さんさし入れの箱づめの「木村屋」のアンパン登場。箱づめに感動。そのおいしさにまたまた感動。女人堂に銀座の風が吹きすぎた一瞬であった。
 もうこの雨ではしょうがないと下山を決めると、下りは速いこと速いこと。みんな怒ったようにずんずん歩き、1時間半で金剛霊泉ヘ。あの急な下りもなんのその、里宮には10時前に着いてしまう。昨日あんなに喘ぎながら登ったのに、ああもったいない。
 食べて寝て、食べて寝てを絵にかいたような2日間であった。

《オマケ》
 下山後、神社で会った地元のオジサンに、「山猿みてェな連中が雨ぐらいで驚いててどうする。情けねェやつらだなぁ!」と言われてしまった。思わず納得しながらも、「オジサン、次は頑張るからね」と心に誓う私であった。


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