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仙丈岳
阿部 梨枝子

山行日 1992年3月20日~22日
メンバー (L)菅原、安田、飯塚、阿部

 梅雨時にもなって冬山の原稿を書かなくてはならないというのは中々きびしいものがある。もっと早目に書いておけばよかったといつものことながら後悔しつつようやく原稿用紙を広げることとなる。

 3月20日
 菅原さんの車で戸台の河原まで入る。このあたりとても殺風景でなんとなくうら寂しい気がしてしまう。人影もほとんどなく、この3連休、一体皆はどこの山へ出かけているんだろうか。装備を分担し、トボトボと歩き始める。天気は良く、歩き出して数分と経たないうちに汗が吹きだしてくる。単調な河原歩きにもイヤ気がさしてくる頃、左手に鋸への案内板を見送るとまもなく赤河原の分岐に着く。一本とったあとようやく樹林帯へと入っていく。入山日というのはどうしても体がだるく足が重い。おまけに今日は春山のような陽気も手伝ってどうしようもなく眠い。早く幕場に着きますように、と心の中で思いつつ重い足を前へ運んでいく。北沢には2・3張りのテントが張られているだけだった。夜、外に出ていても全く寒さを感じない。明日の天気が気にかかる。

 3月21日
 「やっぱり・・・」
 朝から雨となり、1日停滞。何もすることがなく、昼頃から4人で尻取りを始める。1回戦、2回戦とけっこう盛り上がり、結局その日はシュラフに入る直前まで続いてしまった。(停滞時の隙つぶしには尻取りは打って付けです。これは去年の白馬の合宿の時でも実証ずみ!?) 明日にそなえて早目に就寝。

 3月22日
 冬山の朝というのは本当につらい。当然あたりはまだ真暗で、シュラフの中で「もう山はいいからこのまま寝かせてよ」なんて思ったりするのはきっと私だけではないと思うのですが・・・。それでも渋々シュラフから体を出し全く食欲のない胃にほとんど流し込むようにして朝食を摂る時間、あの瞬間けっこうつらいんです。それにしても菅原さんは本当によく食べる。いつでもどこでも羨ましい位の食欲で、やっぱりあの馬力はあれ位食べないと湧いてこないものなんだろうか。
 真暗だった空が徐々に白みはじめてくる。天気もよさそうでこの分だと上に出れば今日は快適な稜線歩きができるかも、などと思ったのは大きな大きな誤りだった。考えてもみればここは3千mの、しかも冬山なのだ。森林限界を越えると途端に風が強くなり一気に冬山の世界へと変わってしまう。耐風姿勢をとりつつ、よろけながらやっとの思いで小仙丈まで辿り着く。タイミングを逃してしまうと耐風姿勢の時間ばかり長くなってしまい中々前へ進まないのだ。こんな調子で果してピークまで行けるかどうか不安になるが、とりあえずもう少し進んで様子をみることにする。すると意外にもはるか彼方に見えていたピークも1時間程で到着。360度の大展望。北から中央、そして間近に甲斐駒。北岳~農鳥とつづく山並み。風は強いものの快晴なのだ。十分に展望を楽しむ。が、そうのんびりもしていられない。今日はこれから幕場まで戻りテントを撤収し、今日中に東京まで帰らなければならないのだから。登り同様、烈風にあおられながら往路を下って行く。そして樹林帯に入ればそこはまた今までの風がウソのような実におだやかな世界。
 テントをたたみ、あとは車の置いてある戸台までひたすら下って歩いて行くのみとなる。
 雪山、やっぱり一番好きです。


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