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集中山行・谷川岳
その6 国境稜線隊 地獄のひからび
服部 寛之

山行日 1992年7月25日~26日
メンバー (L)服部、大久保、阿部、高木、石塚

 谷川岳と平標山を結んで東西に伸びる稜線を行くのが、我々の使命だった。
 この稜線は谷川岳から平標山の方へ向かって行くのがふつうだが、我々はふつうではなかった。
 我々がふつうではなかったのは、アタマとか気とかの、いわゆる精神方面の事情ではない。
 精神方面ではなくて、進行方向がふつうではなかったのである。逆だったのであります。
 ではどうしてわざわざ逆方向から行ったのか?、という大いなる疑念がここで生じる訳だが、それは、谷川岳から歩いて行ったら谷川岳集中にならない、という公明正大単純明快理路整然たる方向理論によってそうなったのである。
 集中に関する方向理論としては、それはまこと正しかったのである。我々の歩んだ道は、決して誤っていなかったのである。
 だが現実は、あまりにも公明正大に暑すぎた。
 あまりにも、単純明快に日蔭がなかった。
 あまりにも、理路整然と水が不足した。
 方向理論は正しかったが、だが時期が間違っていた。

 きびしい山行であった。ぶわっとした空気のかたまりを、虚弱体質の風がよれよれと掻き回していた。青い空がその上ででへでへうれしそうに笑っていた。滝の汗でシャツはすぐにぐしょぐしょになった。少しは痩せたかな、と最初は期侍に胸ふくらんだ。素直にヨロコビさえした。だがヨロコビはじきにつらさに変わり、やがてつらさは内向して根性物語に変わって行った。
「あぢぃ、あぢずぎる」
 と、仙ノ倉山頂でオレはうめいた。
「み、みずをぐれぇぇぇい」
 と、T・Oはノドを掻きむしった。
「ここはどこ?わたしはだれ?」
 と、T・Tは半ば錯乱した。
「こんなあたしにだれがした」
 と、R・Aはやけくそぎみにつぶやいた。だが、
「与えられた状況に適切に対処するのが本官の任務であります、ハッ!」
 と、H・Iはあくまでも適切に状況に対処していた。さすがであった。日頃の訓練の賜物であった。
 一歩一歩、水が生命の根源であることを体験的に学習しながら、山旅は続いた。美しい風景の中に、緑の尾根がうねうねと続いていた。左右の谷間は青青と瑞々しく、左右のあんよはずるずると重々しかった。上天気の空はあくまでも蒼く、能天気の我々はあくまでも暑かった。天上の太陽は蒸気を奪い、尾根上の我々は常軌を逸した。
 エビス大黒ノ頭を、汗を振り絞って越えた。毛渡乗越に着いた。
「では頼んだぞっ!」
「ひぃひぃひぃひぃ」
 声にならぬ返事を残し、特攻汲み取り降下隊2名は、悲願の空水筒を抱え、源頭に消えた。そのうしろ姿に両手を合わせる。
 待つこと30分。鬼の形相で藪を這い上がってきた彼らの手には、依然として空の水筒が。
「す、すまぬ・・・・。薮が濃すぎて・・・・」
「み、みず、みぃずぅぅっ・・・・」
 震える腕が宙に伸び、そして力尽きた。こうして2人は10分死んだ。ぶわんと暑い乗越の、けだるい午後3時の出来事であった。
 ふたたび、つらい登りが始まった。道は上る一方で、馬力は下る一方だった。疲れでアタマは回らず、渇きで舌は回らなかったが、暑さで両眼だけはぐるぐる回った。
 東俣ノ頭に出ると、不思議な光景が目に入った。緑の尾根に白い斑点。雪渓が、行く手南側斜面に汗かきながらぶちぶちへばりついていた。北側に雪渓は全然ないのになぜ南側にはあるのか?アタマがぼわんとして脳にリキが入らない。理由は解らないが、とりあえず水はありそうだ、助かった、と思った。
 やっと万太郎山に着いた。
「"も"うずごじだが"んば"ろ"う」
 オレはもはやあらゆる音の濁音化が可能であった。
「み、み、み、みずぐれぇぇぇぇい、じぬじぬ」
 と、T・Oはノドを掻きむしりまくった。
「ここはたれ?わたしはとこ?ずびずばぁ」
 と、T・Tの錯乱は乱熟の域に達した。R・Aはその横で、
「飲みすぎたのは、あつさのせいよ、弱いおんなのやさしさを~」
 と、空の水筒を抱いて切なく唄いみだれるのであった。だが、
「あたえられ、たじょうきょうにて、きせつにたい、しょするの、がほんかん、のにんむであ、ります、ハァハァ」
 と、不適切な息継ぎながら本官H・Iはなおも適切に状況に対処しようとしていた。たいした気力と根性であった。日頃の訓練の腸物であった。
 日碁れまでに水場マークのある大障子避難小屋に着きたかった。そこまで行けば水は何とかなりそうに思えた。ふらふらと万太郎山の急斜面の道を下りて行くと、中腹に水溜まりがひとつあった。それはむかしよくあった肥ダメ風なたたずまいでどんより濁っていた。T・Oはその水を飲もうと言った。「ゲッ!」と、R・Aはその堤案を評した。だがオレは勇気ある発言だと思った。やはりT・Oは男だ!といたく感服した。飲めるものなら飲んでもらおうではないか、最初に。
 結局T・Oはその水を飲まなかったので、T・Oの男の勇気は証明されなかった。というのは、そのすぐ下で暑さに取り残されたような小さな雪渓が発見されたからである。まさに地獄で仏であった。
 こうして乾苦を窮めた我々の生乾き人生は終わりを告げた。ひからび死というサイテーの事態は何とか避けることができ、一同安堵の胸を撫で下ろしたのであった。

 翌朝もばっちり晴れた。太陽は今日も朝からヤル気を見せ、我らの小雪渓は太陽のドツイタレ光線を力強く輝り返していた。
「照りたきゃどんどん照っていいんだもんね、こっちにはお水いっぱいあるんだもんね、ソラ照れ、ヤレ照れ、プッパカプー」
 人間水が有ると無いとではこうも人生に対する態度及び取組みに差が生じるものかと自分たちも驚くほど、今日の我らには余裕があった。ここまで来ていれば谷川岳までは知れたもの、集合時間までには充分間に合う距離である、かるいかるい、と思っていたが、しかし太陽の攻めにはかなりキビシイものがあり、かなりヨタりながらの肩ノ小屋到着となった。
 最後の赤谷川パーティーを待つ菅原氏ら一行を残し、午後1時、我々は他パーティーと共に西黒尾根から下山を開始した。太陽はあいかわらず身体にからみつくようなジリヤキ光線(註ジリジリとお肌が焼けるような日差し)を送ってきており、露岩帯から樹林帯に入ればしつこい太陽のジリヤキ攻めから逃れられるだろうと思っていたら、樹林帯の中は風がなく今度は蒸し攻めであった。たちまち汗が吹き出し、シャツはびしょ濡れとなり、せっかく摂り返した水分が失われ、人生はふたたび生乾きの緊急事態に直面した。だがすでに我々は尾根の下部まで下りてきているはずであり、ロープウェイ駅まで行けば水分再摂取に不安はなかったので、昨日のような切迫した危機感には襲われずに済んだ。
 いきなり飛び出た送電線の鉄塔の下で一本取った。ここからはロープウェイ駅がすぐ下に見えた。きびしかった今回の山行も終わりに近付き、全員ホットした表情。みんなに感想を聞く。
「もう二度と水では苦労したくないね」
 とT・O。全く同感。
「水が限られ苦しかったですが、与えられた状況に適切に対処するのが本官の任務であります。ほぼ任務完了であります、ハッ!」
 と、H・I。実際、隊の中で一番強く、厳しい状況下で最も人間性を保っていたのは彼であった。
「カンソーですか?いやぁ、乾燥なんてもんじゃなかったですよ、ひからびちゃいそうだったじゃないですかぁ」
 T・Tの場合、悩ミソの芯まで水分が戻るにはもう少し水と時間が必要のようであった。
 そして最後にR・Aが、皆の気持ちを代弁するかのように、ポツンとこう言った。
「行ったあたしがバカでした」

〈コースタイム〉
25日 元橋(7:10) → 休(朝メシ)(7:30~50) → 松手山(9:20~30) → 平標山(11:00~15) → 仙ノ倉山(12:00~15) → 大黒ノ頭(13:00~20) → 毛渡乗越(14:06~15:00) → 休(15:45~16:00) → 万太郎山(16:23~30) → 小雪渓(万太郎山東側コル付近・幕)(16:50)
26日 発(7:40) → 小障子ノ頭(8:30~45) → オジカ沢ノ頭(9:20~35) → 中ゴー尾根分岐(10:10~30) → 谷川岳肩ノ小屋(10:45)

タクシー 越後湯沢駅→元橋 5,070円


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