トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ280号目次

丹沢まんなかぐるり旅
服部 寛之

山行日 1992年8月29日~30日
メンバー (L)服部、(吉野)

 マイカー利用の山行は、何かと便利である反面、車の回収という制約が常につきまとう。山の反対側に下りてバスや電車を乗り継いで家に帰る縦走などとは違い、車を置いた地点に必ず戻って来なくてはならない。
 景色の変化が豊かで、一度も同じところを通らず、ひたすらの林道歩きも、不粋な車道歩きも無く、山を下りてくるとすぐに車に帰り着くというマイカー山行にとっての美味しいコースはそうあるものではないが、これはそうなのである。
 ユーシンロッジを起点とし、雨山橋から雨山峠に上り、稜線上を鍋割山 → 大丸 → 塔ヶ岳 → 丹沢山 → 蛭ヶ岳 → 臼ヶ岳 → 檜洞丸 → 同角ノ頭 → 石小屋ノ頭 → 大石山と、丹沢中央部をぐるり一周廻ってユーシンに下りるこのコースは、前夜発一泊で行くには丁度よい歩程であると思う。
 丹沢の主稜線上、花立から檜洞丸までは幕営禁止地域に指定されているため蛭ヶ岳山荘泊とし、先頃山溪の募集公告を見てルームに来た吉野氏と2人で行ってきた。私にとっては、前半の鍋割山から蛭ヶ岳までは既知のコースで気楽であり、後半の蛭ヶ岳から檜洞丸、大石山を経てユーシンに下りる道は初めてなので楽しみであった。吉野氏は、これまで単独行でやってきたというだけあって流石に山慣れしており、歩きにも馬力がある。丹沢は初めてということであった。

 28日金曜日の夜、小田急線新松田駅前で待ち合わせ、私の車で雨山橋付近まで入り、林道のやや広くなったところに駐車して車中で仮眠する。丹沢湖からユーシンへ入る林道には、途中オートキャンプやら釣りやらの車がかなり停まっており、下の川原に煌々とした灯りが見えたりした。後に蛭ヶ岳山荘の管理人のおばちゃんから聞いたところでは、この林道は夏休みの期間中オートキャンパーを閉出す目的で一般車は通行禁止となっており、時折警察の抜き打ち検挙があるそうだ。なんでも、最近はオートキャンパーらが散らかしてゆくゴミがダムに詰まってしまってどうしようもなく、また狭い林道で車の転落事故などがあるとバカな話だが林道管理者の責任にするドライバーが増えてきたため、通行禁止措置が取られているのだという。その期間中車で入りたければ、面倒臭いけれどもユーシンロッジを利用する名目で警察から許可を取っておいた方が安心だとのこと。

 29日7時半過ぎに車を出発。雨山峠に上がる道は、雨山橋のややユーシン寄りに入口がある。一汗かいて、小さな雨山峠で休憩。静かに梢を揺らしながら峠を渡って行く風が心地好い。
 鍋割山までは狭い稜線のアップダウンの道。鍋割山荘には『氷』の旗が実に涼しげに風に踊っていた。ここでかき氷を出すにはいったいどの位の氷塊を担ぎ上げるのかな?、と考えると汗が出た。
 鍋割山から大丸までのブナ林は非常にきれいだ。以前歩いた時は、そんなことには全く気付かなかった。少し山を見る目が変わってきたかなと思う。でも、今だに草木の名前が分からないのは、我ながら情けない。
 金冷シまでやって来たら驚いてしまった。塔ヶ岳へ続く道は段差の低いきれいな階段道に変貌しており、まるで公園でも歩いているかのよう。足元は確かに歩きやすいけどこういう道って却って疲れるんだよなと思っていると、杖をついたじいちゃんばあちゃん達がえっちらおっちら整備工事の有り難さを一歩づつ踏みしめるように下りて来て、この道の必然性を思わず納得。世の中には説得力ある歩き方というものも存在するのでありますね。
 塔ヶ岳の山頂は、毎度のことながら登山者らの話し声で賑やかであった。鍋割沢の辺りを眺めながらここで大休止とする。実は、けさ朝飯を喰い過ぎてしまって調子が悪い。腐らせてしまってはもったいないと、昨夜の残りのでかいつくね4個をむりやり喰ったのが効いたらしい。私が寝転んでしまったので、ヒマを持て余した吉野氏は、下の水場まで行って冷たい水を汲んできてくれた。それをありがたく飲んで元気をつけ出発。
 塔ヶ岳と丹沢山を結ぶ稜線の道もきれいな森が残されていて、気分良く歩けるところだ。丹沢山への上りが始まるとすぐ、開けた笹の斜面に体憩用のテーブルが数脚しつらえてある竜ヶ馬場という所があり、その上であんちゃん3人組が実に気持ち良さそうに昼寝していた。我々も本能に導かれるままひとり一脚づつ占拠して大の字にひっくりかえり、うつらうつら至福のひとときを過ごす。これがたまらなくキモチイーのですね!
 丹沢山頂は樹林に囲まれ展望がない。時計を見ると14時であった。これで蛭ヶ岳に着けば丁度良い時間だろう。
 丹沢山から北東へ続く道は、現在ダム工事をやっている宮ヶ瀬へ下りる道だ。何年か前にこの長い尾根を登ったことがある。その時はまだダム工事は始まっていなかったが、湖底に沈められてしまう前にもう一度宮ヶ瀬を見に行くのもいいかもしれない。
 丹沢山から蛭ヶ岳へ行く稜線はアップダウンが大きく、少し頑張らなければならない。最初の大きな鞍部から笹まんじゅうのような地形を登り返して行くと左手に休憩の東屋が建っており、そこが今日最後の水場だ。蛭ヶ岳には水場が無く山荘でも水は分けてもらえない旨の立て札が立っている。沢の源頭の水場まで3~4分の下り。コップを持って行った方が汲みやすかった。
 蛭ヶ岳到着15時50分。山荘の受付けを済ませ、飯の支度にはまだ早いので、私は誰もいない山頂広場のテーブルの上でさっきのうつらうつらの続きをやることにした。
 濡れたシャツを脱いでテーブルの上に拡げ、その横にひっくり返る。ずぅんずぅんと白い雲がせわしそうに蒼空の形を変えてゆく様を眺めていると、なぜか景色とは裏腹に哀しいことやら面白くないことやら想い出されてきて、却って気分がメゲた。しばらくすると吉野氏がやってきたので、お茶を沸かし、ぼそぼそ話をする。
 やがて、小さいのから大きいのまで小学生7~8人を引きつれた家族連れグループがやってきて、事もあろうか我々を狭んで2テーブルを占拠し、大声でわめきちらすわ辺りは駆け廻るは庇はこくは、さらにガキがオレを見て「男のヌードなんか見たくもない」などとホザき著しく世の平安を乱すので、我々は山荘に引き上げ飯の支度に取りかかることにした。さっきは我々の他に2~3人しかいなかったのに、いつの間にか30名位に宿泊客が増えていた。殆どが食事付きの客で、2食とも自炊というのは我々だけのようだった。味噌汁付きのレトルトの食事が1食1000円也。それだけ出すなら自分で持ってきた方がずっと美味いし量も食えると思うのだが。布団もじとっとしていたので我々はシュラフで寝た。私は小屋泊りは殆どしないが、余程の暴風雨でない限りテントの方がやはりずっと快適でありますね。夜寝る前に外へ出てみると、富士登山の灯りの行列がやけにはっきりと見えた。

 翌朝4時半起床、5時半出発。大半の人は北へ向かったようだが、我々は西へ檜洞丸をめざす。蛭ヶ岳の西端から見た展望は素晴らしかった。西丹沢の向こうに箱根、愛鷹、富士、そして南アルプスまで見通せた。10分程で先に出た親子連れを抜く。神ノ川乗越の水場には入口に「水ありません」と前日の日付のメモがあった。如何にも無念さのこもった筆跡であった。
 檜洞丸は以前から来てみたいと思っていた山で、ここにもきれいな森が残されていた。山頂には中年男性の1パーティーがのんびり休んでいた。蛭ヶ岳から約3時間の行程だが、ここから見る蛭ヶ岳山荘は歩いた割には結構近くに感じられた。
 大休止して出発する。檜洞丸山頂の南西側はバイケイソウの自生地保護のため高さ1メートル前後の高架木道がずっと建設されており、これには驚いた。足元を見ながら歩いていると、子供の頃ブロック塀の上をモノレールの振りして歩いた感覚がよみがえってきた。
 道を右に2回分けてユーシンヘ向かう尾根に入る。ここまで来ればもう誰にも遇わないだろうと思っていたら、同角ノ頭の先のキレットとその先の石小屋ノ頭の上りでそれぞれユーシンから登ってくる単独行の男性に遇った。2人共やや肥満ぎみで苦しそう。そういう私もやや肥満ぎみで息が荒い。ここは稜線が低いためか、余り風がなくてそれが余計つらい。
 大石山の上りは鎖場で、登り着いた見晴らしの良い頂上で少し休む。ここに立つと、昨日から歩いてきた稜線がぐるっと一望でき、何となく充実した気分になった。ここまで来れば、ユーシンに残した車までもう一投足。標高もだいぶ下がってきて、向かいの谷間には蝉が暑苦しく鳴いている。気分は次の温泉の方へと急速に傾き出した。はやく下りてお風呂に行こう。
 カラスが1羽、尾根を越えて滑るように谷に消えると、蝉の声が一段と大きく聞こえてきた。

〈コースタイム〉
29日 雨山橋(7:40) → 雨山峠(8:20~35) → 鍋割峠(9:25~40) → 鍋割山(10:10~25) → 塔ヶ岳(11:50~12:35) → 竜ヶ馬場(13:10~35) → 丹沢山(14:00~05) → 蛭ヶ岳(15:50)
30日 蛭ヶ岳(5:30) → 臼ヶ岳(6:25~35) → 檜洞丸(8:15~40) → 同角ノ頭(9:40~50) → 大石山(10:40~52) → ユーシンロッジ裏川原(11:25~35) → 車(11:50)
蛭ヶ岳山荘のおばちゃんの話しでは、蛭ヶ岳の気温を予想するには、天気予報の横浜の最低気温より10度低いと思えばいいとのこと。

トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ280号目次