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富士山
服部 寛之

山行日 1992年10月17日~18日
メンバー (L)服部、菅原、金子、斎藤、別当、吉江

 今回の富士山はデナリ遠征のトレーニングの一環として計画された。コースは御殿場口から頂上往復である。御殿場口を選んだのは、(1)これまで行ったことがなかった、(2)有料道路ではないのでタダで新五合目まで行ける、という二つの理由からだが、(1)より(2)の方が比重が重いのは言うまでもない。実はこのコースは7月に行く予定だっだのだが、生憎その時は初日に天侯が悪く、翌日富士宮口からの日帰り頂上往復に変更したのであった。
 10月16日(金)夜10時半にJR八王子駅前に集合し、服部の車で中央道、東富士五湖道路を経由して御殿場口ヘ行き、宴会もせず早々に寝る。
 翌17日は朝から快晴で、青い空に薄化粧の白がひときわ映える頂上付近を見上げながら登って行った。我々の他に登っている者も見当らず、貸切の富士山というかんじであった。
 この御殿場口からのコースの特徴は、ゆるやかな上りが延々と七合目上部まで、だいたい宝永第一火口の崩壊地の上端3100メートル位の高さまで続き、そこから斜面が徐々に立ち上がって頂上へと滑らかなカーブを描いて一直線に続いていることである。また、尾根沿いの「登山道」とは別にその南側に設けられた「下山道」は、「須走」と同じような火山礫の柔らかいクッションの上を滑るように走って下りられるので楽チンで速い。但し、六合目から下、登山口までの間は日立つ特徴的な地形の何もない、どこも同じようなゆるやかな傾斜地なので、ガスにまかれたり、特に積雪期にガスが出た時は要注意である。「下山道」沿いには30メートル位の一定間隔で電柱状のポールが新五合目登山口の少し上まで並んでいるが、我々も下山時経験したのだが、濃いガスに捲かれると次のポールは全く見えない。我々は「下山道」をつけたブルドーザーの通った跡を辿って来れたので間題なかったが、これが積雪期だったらそうはいかないところであった。
 また、このコースは長い。「新五合目」とは言うものの、その標高は1450m位である。スバルラインの終点の五合目が2300m、須走口の新五合目が2000m位であることと比べるとかなり低い。2400m位の富士宮口に至っては、同し「新五合目」でも約1000メートルもの標高差がある。垂直距離差ナント実質1キロメートル、東京タワー3個分もあるのだ! 日本のシンボルとして世界的に有名な富士山に於ける五合目標高のこの不平等さは、自由・平等の精神にもとるゴンゴドーダン的問題であり、民主国家に於いては実に許しがたい事態であると言えよう。だいいち、霊峰富士に対して不敬である。これはすぐにでも「富士山五合目標高不平等是正全国委員会」を発足させ検討されてしかるべきではなかろうか、と「道路タダ!」に目がクラんだ者としては思うのであります。
 結局我々は、予定では頂上に幕を張って一泊するはずだったのだが、延々と続く長大なのぼり坂に思いのほか時間を取られてしまい(つまり体力の無さが露呈して)、山腹に立つ一番上の八合目の小屋(3400m付近)に着いたのが16時頃になってしまったので、そこから空荷で頂上まで往復して、八合目小屋の前に幕営した(積雪は10センチ程あった)。翌朝、小屋前の急傾斜地を利用してユマーリングの練習をして下山した。上り9時間(八合目小屋迄)、下り2時間の行動であった。

富士山/地質断面図

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