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袖沢 御神楽沢
井上 雅春

山行日 1992年8月22日~24日
メンバー (L)別当、今井、井上(雅)、井上(博)

 会津の沢に行きたいと前から思っており、会津駒ヶ岳にも登れる。ガイドにも南会津を代表する渓谷であり「渓谷遡行の原点ここにあり」とまで書いてあるので、これはもう行くより仕方なく、先週休みをとったばかりであったが、無理に休みをとり参加することにした。
 8月21日夜、湯沢行の夜行にて出発。越後湯沢駅で寝れないと困るので、確実な水上で途中下車、仮眠をとり朝一番の列車に乗り小出で下車、バスにて奥只見ダムヘ行く。ここからは4時間半の林道歩きである。ダムの下まで一度下り、橋を渡って対岸へ来ると突然アブの襲来。「そ-らやっぱりおいでなすった。」8月に南会津ではアブが大発生すると聞いていたので、心構えは充分にできておりアブを迎え撃つ。何故かどこでも虫に好かれる私は、ここぞとばかりにウナ虫よけをとり出し、顔・首・腕と肌の露出した部分に塗りたくる。井上(博)氏は養蜂業者のような虫よけ網を用意してきており頭からかぶっている。今井・別当両氏は、この時はまだ余裕のある態度で、ざっと虫よけを塗る程度であった。すぐにトンネルに入るとアブもいなくなり「なぁ~んだ、大したことないなあ」と思ったが、やはり甘かった。トンネルを抜け出るとすぐに、今度はもっと多くのアブに取り囲まれてしまった。しかもこいつらときたら飛び廻りながら一緒についてくる。そのうち「あっ」「うっ」「おっ」「いてぇ」の声が発せられ始まった。私も鼻や口に入り込まれそうになり、思わず「わぁ」と声を出す。これ程のアブに取り囲まれると一種のパニックである。ただ虫よけの効果があるのか、刺されずには済みそうだなぁと油断していたところ、いきなり手のひらに痛みが走る。なんと歩きながら何気なく結んでいた手の中に入り込まれ刺されてしまった。さすがに手のひらまでは塗らなかったので、弱点を見つけられてしまい弱気になってきて、何故か「耳なし芳一」の話を思い出す。このままの状況が、まだまだ続くと思うとうんざりしてくる。思案の末新聞紙を丸めて持ち、払いながら歩くというフォームが定着した。以前、中門沢の時の林道歩きが意外と早く着いたと牧野さんが書いていたので期待したが、結局コースタイム通りかかってしまった。取水口より遡行開始、沢に入ると、先程までのアブが急に少なくなりほっとする。明日の長い行程を考えると、今日中になるべく奥まで行きたい所だが、幕場が不確実な為、僅かばかり入ったミチギノ沢の出合で幕を張る。別当氏は早速竿を出しイワナ釣りに出かけるも、やはり昼間の精神的疲労の為かすぐに戻ってくる。幕に入りひと安心したものの、いつの間にかアブが何匹も入り込んでおり、まだまだ気の抜けない状況であった。
 翌朝は行動予定11時間の為、早々と出発。水量が多いと書いてあったが、ここしばらく雨が少ないせいか、それ程のことはないようである。途中踏跡が切れてしまい迷うが、すぐに降りられ、後は順調に進んで行く。岩ダタミ地帯に着く頃には、晴れ間もかなりでてきて、夏の沢を満喫する。最大難関地点の10メートルのナメ滝にかかり、右手の垂壁を登るのかと思っていたが、トップの別当氏は滝中を直登していき、そのまま右手から左手へすっと抜けていく。すぐ後を同じ様に行くと水量が少なかったせいか、意外と簡単に飛び越していくことができた。井上(博)氏だけは、慎重なのか好きなのか、垂壁を登ってきた。そこから先はしばらく小さなナメ滝や釜が連続しているが、難しい所は殆どなくムジナクボ沢の出合いへ着く。それからは水量がどんどん少なくなり、そのうち中門岳らしきものが見えるが、あくまで本流をつめていき、源頭からは15分程のかなり開けたヤブを漕いでいくと、稜線のお花畑に抜け出る。予定よりかなり早く着き安心してひと休み記念撮影。夏だというのに他の人影は全くなく気分がよい。開花の時期に少しはずれたのが残念であった。このままここで幕を張りたいところであるが、自然保護の為にはやむをえず、会津駒ヶ岳の山頂で幕を張る。ガスが出ていたが、夕焼の燧ヶ岳が美しかった。
 翌朝はのんびりと起きて、晴天の中を下り始める。昨日は、山頂で一人しか見かけなかったのがうそのように、月曜日だというのに団体や家族連が登ってくる。日帰り登山には持ってこいの山なのであろう。檜枝岐へ下り近い方の第二公衆浴場でひと風呂浴びてバスで会津高原駅へ。以前恋の岐沢の帰りに寄った駅前のそば屋「ふるさと」へ行く。ビールのつまみに乾物や漬物がサービスで出て来たり御飯もサービスしてくれて値段も安い。皆大満足でここはいい店だと納得して、電車で帰途につく。アブさえいなければ最高の沢でした。


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