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日光白根山行
松永 学

山行日 1993年6月12日~13日
メンバー (L)福間、高木、石塚、安斎、澁谷、松永

 「今週末も山行ですよ」
 「どこの山?」
 「日光白根山」
 「なに、知らね-だと?」
 「・・・・・」
 会社でもか細い声で話すので、こういうような誤解はよく起きる。という訳で、6月11日の金曜日、日光白根山に向かうため我々は夜11時に草加駅に集合した。メンバーはリーダーの福間さん、安斎氏、高木氏、石塚氏、澁谷さんの6名。安斎氏の流線型のワゴンに乗って、日光湯元温泉へと向かう。車内ではさだまさし、チューリップといった70年代の曲が流れ、どういう訳か部活の帰りにスプライト1Lの早飲み競争をやった妙な中学時代の思い出を思いおこす。
 その夜は湯ノ湖の湖畔の駐車場に幕営して寝る。朝起きて外に出ると異様な光景に出くわした。どこから湧いて出てきたのか沢山の釣り人たち。それもどいつもこいつもBE-PALの雑誌から飛び出したような格好、そう、これからキングサーモンでも釣るというようないでたちで湖畔をうろうろしていた。
 準備を整え、6時頃に出発する。途中スキー場を通り急登に入る。しかし一合目も登らないうちに体調がおかしいのに気付く。山登りはどんな低山でもきつい。そういうきつい目にあって、日頃思い上がった自分をうちのめすために山に登る。山行はそういうストイックなところに惹かれるのだが、それはいくらきつくても体が動けるという話で、今回のように異常に汗をかき、心臓の鼓動が高鳴り、足が全く動かないという状態では苦痛だけでしかない。こんな状態は初めてである。この時本気で途中下山を考えた。
 だんだん登っていくうちに体調が少し良くなったのか、登りが緩やかになったためか前程きついとは感じなくなった。五色沼を少し過ぎると白根山の全容が見える。独立峰でなかなかいい形をした山である。しかし、跳める山はえてして食わせ物である。登っても登ってもなかなか頂上に辿り着けない。頂上はあそこだろうと登っていくとそれはまた先に延び、いい加減にうんざりし、また体調の悪いのも手伝って随分とぺースダウン。頂上直下で皆と一本入れる。有り難いことに30分程の昼寝タイムをとってくれて、私はすぐ眠りにつく。お蔭で体調も回復しピークアタックでは皆について行くことができた。
 下山して五色沼に幕営し、皆思い思いの酒を持ち出し、3時位からテントの外での宴が始まった。日差しは柔らかく3月末ぐらいの暖かさで、飲んでいるうちにいい気分になった。近くの林で鹿が嶋いている。しばらくして面白いことがあった。向こう岸から一人の男が沼の中央部に向かってゴムボートで漕いでいるのが肉眼でわかるのだが、福間さんが持ってきた双眼鏡で見ると、コッヘルの大小をオールがわりに両手で漕いでいるではないか。中央部に来たら3ミリザイルを沼の底に向かって降ろし始めていた。
 「何やってるんだろう?」
 「釣かな?(釣り糸にしちゃ太すぎるよ)」
 「いや、死体を沈めているんだ」
 「いやいや、怪しげな金を持ってきて沼の底に隠しているんだ」
 「いやいやスパイ活動をしているんだ。きっとCIAの手先だ」
 「いやKCBだ」
・・・と話は妙な方向に展開する。結局ザイルの末端に試験管が括りつけられているのを誰かが双眼鏡で確認して、水質調査をしているのだとわかりこの一件は落着した。
 日も傾き風が吹き始め、日が雲に隠れるようになると寒くなり、酔いも覚めてきた。ふと湖面を見るとさっきの孤高な学術調査員の姿はゴムボート共々なく、一人用テントに引きこもっていた。我々もそれにならってテントの中に入り、カレーを食べて寝た。
 翌朝は5時に起き6時に出発した。6時半頃五色山に着く。左手には壮大な雲海が広がり、ひうち岳がちっぽけな孤島のように見える。右手下の五色沼を見ると、きのうKGBと間違われた男がせっせと例のオールでゴムボートを漕いでいた。「お-いたいた。今日もいる」我々は懐かしい友人にでも出会ったかのように彼を見守った。
 下山途中残雪があり、私は今年習いたてのスキーの直滑降のまねをして降りていく。
 湯元温泉に着いたのは8時頃で、当然我々は温泉に浸かりゆっくりした後、車で帰る。
 いい気なもので、書いている今この山行を振り返ると、いい思い出としか浮かび上がってこない。その時は本当に死ぬんじやないかと苦しんでいたはずなのに。


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