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大菩薩ハイキング
服部 寛之

山行日 1993年9月19日
メンバー (L)服部、大久保、遊佐、五十嵐、(坂本、笠原)

 『山梨のハイクコース』という本がある。山梨日日新聞社の発行で、著者は上野巌という人だ。きれいな写真がたくさん載っているので気に入って買ったのだが、どのコースも要領よくまとめられており、しかも著者の山に対するあたたかい思い入れが伝わってくるような文章で読んでいて楽しく、ここにも行ってみたい、あそこにも行ってみたいと思わせられる本だ。
 その大菩薩嶺のペイジに、紫や黄や白の花の咲く秋の草原のむこうに大きな富士山とその手前の山々の重なりが蒼い墨絵のように拡がっている美しい写真が載っている。それを見ていてどうしても行きたくなった。私は大菩薩にはかねてより心惹かれていたのだが、いつぞやの集中山行の際も都合がつかず逃してしまい、以来なかなか行く機会が掴めなかったのだ。それに今回は、私にとってマッキンリー以降初めての山行となり、復帰第一発の軽いリハビリ(?)にはうってつけであろうと思って例会に入れておいたのである。

 前日の夜JR八王子駅に集合、車で登山口の上日川峠まで入る。青梅街道沿いの裂石からの林道は道幅こそ狭いがすべて舗装されており、翌朝明るくなってからわかったことだが、上日川峠には舗装された広い駐車場と公衆トイレ、キャンプ場が整備されていた。同行の遊佐氏によると、氏の若き頃はまだ林道がなく裂石から歩いて登ったとのこと。それを考えると、開発の是非はともかくとして、大菩薩登山は随分と楽になったものだ。
 メンバーは、私のほかにその遊佐氏と大久保氏、久々の登場の五十嵐氏、それに見学で来会中の坂本さんと笠原さんの6名。女性2名が加わったことで雰囲気が随分と華やいだ。毒気が薄まった、と言った方が適確であろうか。
 例によってさっそく車脇のテントでひとしきり宴会となったが、「初めて会の山行に参加する見学者のビジョ2名にソソウがあってはならじ」とうれしそうに言う大久保氏が取り仕切ってビールで乾杯となった。ソソウがあってはならぬと言おうと思っていた相手にそう言われてしまったわたくしは多少面喰らった思いで気を揉んでいたが、全体にボルテージが上がってきたところで何事も無く適当にお開きとなった。ヤレヤレ。
 翌朝は多少ガスっているがまずまずの天気。テントを車に撤収して6時35分出発。林道沿いの山道を福ちやん荘まで25分。マッキンリーでは白と青の世界の中雪と氷ばかり踏んで歩いていたので、久しぷりの森の薫りと土の感触がうれしい。
 福ちゃん荘から唐松尾根に入る。ここから道はやや急登となるが、五十嵐氏は昨晩チャンポンで飲みすぎたのか調子が悪くなり、皆から遅れだした。大丈夫だと本人は言うものの、もとから色白でクリクリ眼の五十嵐氏がいよいよ面蒼白くドングリ眼は今にも渦を巻きそうな状態だ。こういう状態にかけては吐いて捨てるほど経験豊富な大久保氏はそれを見て、「大丈夫、今しばらく苦しい状態が続くが、それが過ぎれば楽になってくる、この程度では心配ないよ、ついて来れるよ」と言うので、ここはその道のプロの診断を信頼して、一本道でもあることなので、先に行って待っていることにした。やがて樹林が開け草と岩の混じる斜面になると、じきに雷岩であった。坂本さんと笠原さんは思ったより歩けるようで、よくついて来ていた。
 雷岩は稜線上にあり眼下は開けているのだが、残念ながらガスのため遠くは望めない。五十嵐氏を待っていると、彼氏を追い抜いて別のパーティーが登ってきたり、また大菩薩峠の方からパーティーが来たりして雷岩のうえはちょっと賑やかになった。やがて五十嵐氏が青色吐息で到着した。ご苦労様です。
 大菩薩峠へ向かう前に大菩薩嶺に行ってみる。樹林の尾根道を少し行くと、森の中にぽっかり抜けた空間といったかんじの頂上にでた。山名が記された角柱が中央に立っており、そこで記念写真を撮ったのだが、どうしてこの山の名には「山」とか「岳」とかではなく「嶺」などという字がついているのだろうかという話になった。大久保氏の説によると、この山には「霊」が付いているので「嶺」なのだということであった。こういう時オバケ探知機が同行しているとすぐ真偽が判定できるのだがそうも行かず、他に強力な反対意見もなく、一同半信全疑ながら何となく納得して、記念写真に霊が写るかどうかを楽しみにして大菩薩峠に向かったのであった。
 大菩薩峠までの稜線上には写真で見た紫や黄の花が咲いていた。日照の関係なのか、全体に色の鮮やかさがいまひとつだ。紫の花はマツムシソウだが、あとは名前はわからない。山で花に会うと名前がわかったらどんなに楽しいだろうかといつも思うのだが、一向に事態は改善されない。教えられる先から、憶えようとする先から忘れてゆくので、次に遇った時もまた名前がわからずもどかしい思いをする。どうしてこうもアタマが悪いのか、自分でも不思議に思う。
 雷岩から大菩薩峠にかけての稜線歩きがどうやらこのコースの八イライトらしく、なだらかな草原の稜線の山容は誠にきれいでいいかんじである。どうして来たこともない大菩薩に前から惹かれていたのか、この山容を見てその理由がひらめいた。鍵は「女性的なやさしさ」である。以前この女性的なまろやかな稜線の写真を確かにどこかで見たことがあるのだが、その写真のやさしい印象と、菩薩という名から運想する観音像の持つ慈愛に満ちた女性的なイメージが私の中で重なっていたのだと思う。それは私にとって憧憬の対象 なのであろう。
 それにもうひとつは、ポサツという音の響きである。o、a、uと続く母音の響き、はやわらかくまあるっこいかんじがするし、bの子音以下はOsatsuとなって、あのオサツと同じなのでありますね。オサツというのは「お札」ではなくて「お薩」の方である。何を隠そうわたくしは大学芋が好物なのであります。わたくしの場合オサツというと焼き芋ではなく大学芋である。あのカラメル状のネバネバがお薩のやや焦げたくらいの表面と相俣ってかもしだす噛んだ時のあの文字どおり舌妙なハーモニー! 絶品と言うに相応しい味覚である。
 ボサツという音から想起される以上の二点も女性的なイメージと重なってくるのである。後者の「お薩」がなぜ女性的なイメージと重なるのかについては考察がやや足りないと思われる向きもあろうが、ここでは深く追求しない。でも何となくわかるでしょ?
 大菩薩峠まで来た段階で、趣味の写真をあちらでパチリこちらでパチリやりながら来ている遊佐氏と青色吐息の五十嵐氏が遅れていた。峠の介山荘に並べられたおみやげ品をひとしきり見物していると、遊佐氏と五十嵐氏の姿が見えてきたので、4人で先に行く。大菩薩峠から次の石丸峠への道は、これまでとは雰囲気が一転して樹林の中の道となる。道を登り切って少し行くと樹林が切れ、これから下って行く斜面の下にカヤトの繁る石丸峠が望まれた。
 石丸峠で遅れている2人を待つ。予定ではここで鍋をしたのちここから上日川峠へ下って行くのであるが、鍋をするにはあまり峠の雰囲気が良くないので、次のピークに鍋適地を求めることにした。果物などを剥いていると遊佐氏が到着し、なおしばらくして五十嵐氏が下りの斜面に姿を見せた。がんばって歩いている五十嵐氏には悪いが、次のピークまでは健常者の足で5~6分の距離なのでもう少しがんばってもらうことにして、五十嵐氏が到着するまでの間に鍋の準備をして待っているつもりで5人で一足先に行った。だが、これがいけなかった。
 行ってみるとピークの天辺には平らな場所が無く、その先を少し下ったところに展望の良い適当な場所が見つかった。我々はそこへ下ってマットを広げ鍋の準備にかかった。そこはピークの天辺からは見えなかったが、道沿いに少し来れば我々が目に入るはずなので五十嵐氏もすぐわかると思っていたのだが、いくら待っても来ず、捜しに戻っても姿は見えず、こりゃまずいということになった。そこのピークは丁度笹子の方へ南下する道と東へ小菅村方面へ行く道の分岐点となっており、どうやら五十嵐氏は小菅村の方へ行ってしまったようなので、あわてて追いかけて行ってコールを掛けるとすぐ先からモートーの声が返ってきた。案の定、彼氏はピークの天辺まで来たものの我々の姿が見えず、酒色吐息でコールを掛けても返事がないので引き返し、小菅村方面の道に入ってしまったのであった。
 ようやく6人が揃って銀筵(マット)に着くとちょうど鍋も最終調味段階にさしかかり、最後にバターのひとかたまりを投入して遂に本日の『メーンイベント、ポトフ・ド・ダイ=ボサーツ・三峰風』が完成した。簡単に言うと、献立はポトフであった。ポトフなるは洋風ごった煮である。用意した自分が言うのもナンだが、このポトフは実にうまかった。入会するかどうか試しで来ているビジョたちにソソウのないよう、わたくしはジャガ芋の皮のみか芽までキチンと除去して入魂の下準備をしてきたのである。『箸舐め』の異名を取る大久保氏も、今日は特に気を使い理性も使ってソソウのないよう鍋を掻き回していたのだ。ガスも晴れて遠く富士山を望む景色をおかずに、みんなポトフに舌鼓を打ち大満足であった。だが、これだけ歩いても未だ二日酔い状態を脱し切れない五十嵐氏は、とうとう最後までポトフを口にできなかったのでした。残念でした。
 12時15分、そこを撤収して下山にかかる。石丸峠から八十八曲りと呼ばれるクネクネ道を下って林道を突っ切り、さらに下って小さな沢をいくつかまたぎ上日川峠までは1時問10分だった。
 帰りは、その足で八ヶ岳ヘスケッチしに行くという遊佐氏をまず塩山駅へ送り、それから塩山温泉へ寄ってサッパリしたあと、勝沼から乗ってみた中央道もサッパリなので相模潮駅で解散とした。お疲れさんでした。

 (追記) 解散後ひとりハンドルを握る身となったわたくしは、残りの男2名と共にJRに乗る運命に見舞われた女性2名に最後までソソウが及ばぬよう、車中よりただただ神仏にお祈り申し上げておりました。

〈コースタイム〉
上日川峠(6:35) → 福ちゃん荘(7:00) → 雷岩(7:55~8:25) → 大菩薩嶺(8:35~8:40) → 賽の河原(9:20~9:30) → 大菩薩峠(9:40) → 石丸峠(10:05~10:15) → 鍋適地(1957m峰)(10:20~12:15) → 上日川峠(13:25)


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