山行日 1993年8月21日~22日
メンバー (L)安斎、井上(博)、小林(偉)、谷川
8月21日早朝、釜トンネルを抜けると上高地は雨だった。バスが上高地バスターミナルに着いたのは6時だったが、既に登山者やハイカーで大変な賑わいだった。上高地美化センターで朝食がてら雨宿りをしたが、雨はいよいよひどくなるばかりである。覚悟を決めて雨具を着込み、八右衛門沢へ向かった。
帝国ホテル前の笹の中を行くと、すぐに堰堤に遮られた。堰堤を越えると、ガスに包まれた霞沢岳が目の前に葺えているが、想像以上に険しそうに見える。おまけにひどい雨である。沢に沿ってゆっくりと登って行き、六百山方面への広い沢を左に分けて、霞沢岳方面へと進んで行った。
砂防堰堤が次々と出てくるので結構わずらわしい。第一、水は少ないと聞いていたのに、かなりの水量である(2週間も雨が降っていれば当たり前か)。やがてガスの切れ間から八右衛門沢の上部まで見渡せたが、遥か上部まで大変な水量なので驚いた。なにしろ水は伏流になっていると聞いていたので、沢登りの用意をしていなかった(不覚!)うえに、メンバーの足並が揃っていなかった。途端に挫けてしまったのでした。
霞沢岳からあえなく敗退した私たちは、いったん上高地まで下り、予定を変更して焼岳に登ることにした。こんなことでもなければ焼岳なんて登らないし、幸いメンバーの誰も登ったことがなかったので即決した。
焼岳なら楽だと思いつつ登山道を行くと、こちらも大雨の影響を受けていた。沢から溢れた水のため、登山道は小川のようになり、やっと沢から離れたと思ったら、水たまりとぬかるみの連続である。新中尾峠に着く頃には足首まで泥だらけになってしまっていた。
焼岳小屋の周辺はキャンブ指定地になっていなかったのでテントを張れる場所を探したが、なかなか良い場所がない。仕方がないから登山道脇の笹を踏みならしたが、雨がますます大降りになったので、またもや挫けてしまい、焼岳小屋に逃げ込んでしまった。
その後どうなったかは、勿論おわかりですね。ハイ、昼から宴会です。延々と呑み続け、メンバーのうち二人は夕食の米が炊きあがる直前に突然眠りこけてしまい、タ食を食べそこなったのでした。
翌日は、小屋にザックを置き、空身で焼岳の山頂を往復した。あいにく山頂は厚いガスに覆われて展望はきかなかったが、とりあえず登頂記念のスナップを撮り、早々に山頂を辞した。上高地に着く頃には快晴になっていたが、河童橋を見て、早々に掃途についた。