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北岳バットレスDガリー奥壁登攀記
安斎 英明

山行日 1993年9月19日
メンバー 吉江、城甲、安斎

 9月19日午前2時起床。朝食を済ませてテントを撤収し、総勢8人でバットレスに向かった。暗い登山道を進み、下部岩壁に到着したのは、まだ薄暗い午前5時10分頃だった。
 かつて、一人で白峰三山の縦走をしたとき、バットレスに見惚れたものだったが、それから12年を経て、そのバットレスに登ることになった。私にとっては、初めての所謂「本チャン」である。三峰山岳会に入会してから岩登りを始め、以来、しばしばゲレンデに通ったが(熱中し過ぎて両手首が腱鞘炎になってしまい、一年以上もブランクがあった)、本チャンでどこまで通用するのか、いささか疑問ではあった。
 ルートはDガリー奥壁、メンバーは吉江君、城甲さん、それに私の三人である。吉江君は岩に取り付くと軽快に登って行く。次に私の番である。早朝のため岩が冷たいうえに、緊張しているためか、妙にノリが悪かったが、すぐに余裕が出てきた(当たり前か。まだアプローチだもん)。緩傾斜帯まで登ると、既に辺りは秋の気配で、紅葉が始まっていた。吉江君にハーケンの打ち方・回収の仕方などを教わりながら登って行き、8時10分頃、奥壁取付きのバンドに達した。ここで暫く休憩し、腹ごしらえをしたり記念スナップを撮ったりした。頭上にはハングが茸えており、振り返ると、逆光の中で雲海に浮かぶ富士山が美しかった。
 いよいよ1P目である。小ハングが連続するが、ガバホールドがあるので思ったより簡単に登って行ける。と思いきや、最後のハングの出口にはガバがなかったため、いきなり腕がパンプする羽目になってしまった。上でビレイしている吉江君から、「楽しいでしょう!」と声がかかる。「とっても楽しい!」と答えるが、既に必死の状態である。目の前のリングボルトを掴みたくなるのをグッと我慢して、からくも登りきった。続く城甲さんに、「楽しいでしょう!」と声をかけたが返事がない。どうやら力一杯楽しんでいたよう だ。
 2P目は薄い赤紫色をしたスラブをクラックに沿って登る。吉江君は相変わらず軽快だ。次に私。それなりに(?)軽快に登って行くが、途中でクラックが細くなり、指先しか入らなくなった。吉江君のアドパイスに従ってフラットソールのフリクションをきかせて立ち込み、その上のホールドをとった。ところが、ヌンチャクからザイルを外すのを忘れてしまい登って行けない。仕方なく精一杯左手を伸ばすが、右手のホールドに未練があるのでなかなか外れない。またもや必死の状態になってしまった。続く城甲さんは力強く立ち 込んで登ってきた。お見事でした。
 ここまで登ると、燐のマッチ箱周辺が賑やかだ。岩登り講習会の人達がゾロゾロと登っていた。マッチ箱でビレイをしている人を見て、スナップを撮るのに良いアングルだなと思っていたら、上の方から講習会パーティーの一人らしい人が大声で、「良い写真が撮れたので、送りますから住所を教えてください」と叫んだ。尋ねられた人もこれまた大声で、「埼玉県越谷市・・・・・」と叫んだ。爆笑である。登ってからでもよかったのではないかしら?
 次のピッチはそのまま上へ行けば楽なのだが、「折角だから、もっと楽しんでもらいましょう」という吉江君の考えで、スラブをトラバースして左上方にルートをとった。この頃になると、岩登り開眼というわけではないが、我ながら軽快に身体が動くのを感じるようになった。しかし、岩を抱きかかえるようにして登ったりして、一瞬緊張するシーンもあった。
 最後はチムニーである。ザックがボロボロになるという説もあったが、一見したところ簡単に登れるような気がしてリードしたところ、案の定、ザックを岩で擦るようなこともなく、簡単に登れてしまった。
 チムニーを抜けると、まもなく登攀終了点である。天気は快晴、景色は最高、そして気分も最高だった。


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