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山に対する思い
桑名 信幸

 心の中に息吹きが吹き、気分が高揚する時、人は山に登るのだろうか?
 少年の時、伯父に連れられ、筑波山の裏山へ氷を取りに行き、大学生の時、尾瀬に水芭蕉を見に行った。それらの延長線に先鋭的な登山があった。その事をつきつめようとして山岳会に入り、自分の力を知り、社会人としての忙しさの中に身体を動かすことを忘れ、山岳会への足は遠のき、エレベーターに乗り電車に座ることに喜びを深く感じてしまう。これが現実である。
 昨年の秋、高校時代の友人と何年振りだろうか高尾山へハイキングに行った。山頂は祭日にも重なって大勢の人々で座る場所を見つけるのがたいへんだった。各人各様のはでなウェア、豪勢な昼食で胃袋を満たし、私達も城山、相模湖への道へと下って行った。最後の相模湖への道で右足がかったるくなり、じわじわと痛くなったのである。若い時の身体とは違うとはわかっていても高尾山ぐらいは子供でもわけはないと甘く見ていたのがいけなかったのだろうか、痛くなったのをさとられないように無理をせず、そろりそろりと下って行き、何とか無事に相模湖駅までたどりつくことが出来た。とりあえずビールで乾杯!! しかし完敗である。EXERCISE不足である。風呂に入り、反省しながら早めに床に着いた。
 翌日、幸運なことに、足は痛くなかった。昼、上司と食事をしながら、最近どうも運動不足だな、ゴルフも中々いく機会がないなあという話になり、お互い昔やったスポーツでなじみがあるということで区の主催する卓球教室へ仕事が終わってから通うことにした。仲間がふえ週1回自分達だけで練習しようということになり、週2回とふえ、最後には日曜の夜、個人的にコーチについて習うことになってしまった。今現在それはなんとか続いている。
 山に対する思いは消えたわけではない。雪山山頂での張りつめた気分、沢登りの爽快感、山仲間との語らいの中で世間の俗事にわずらわされることなく、夢、希望を、お互いに語り合えることが出来た。
 最後に結論として、山登りはしょせん遊びであって好きで行くのである。夢のような景色を見るためにただそれだけである。


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