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山登り今昔
遊佐 勝見

 三峰山岳会は60周年を迎えました・・・・ということは、「オジサン」になってしまった私でさえも生まれてなかった時に、そして第二次世界大戦の前に、三峰山岳会は出来ていたわけですね。これは大変なことです。
 この60年間に、日本は大激動を経てきました。戦争→敗戦→貧しい日本(その日の食物もなかったほど)→豊かで金持ち日本へと著しく変ってきました。この大変動の思い出は、「オジサン」になった私の心の中に、今でもしっかりと刻まれています。

 一方、山に登る人々の動向も大変かわりました。その移り変わりの一端を「オジサン」の目から振り返ってみましょう。
 私が山登りを始めた頃は、1960年代半ば頃ですが、登山の全盛時代と言えたでしょうか。正月・5月連休・盛夏には、山に行くために夜行列車を待つ人々の長い長い列が、いつも出来ていました。例えば、谷川岳に行くには、前夜の10時過ぎの鈍行列車に乗るために長い列に並びました。土合に着いてからも、行列で登山口を目ざして歩いたものでした。岩場でも並んでいました。そして今年は何人?谷川岳で亡くなった・・・・という声を毎年聞いてきました。登る人が多ければ、事故も多かったようです。
 最近土合駅はさびれてしまいました。閉鎖に近い状態のようです。多くの人々は車で谷川岳の麓にやって来るので、土合駅には寄りません。登山者の数も何分の一かになってしまったようです。(スキーヤーは多いようですが。)私も谷川岳にあまり登らなくなり、どちらかと言うと思い出の山に近くなってしまいました。谷川岳には多数の人々が色々なルートから挑み、ある人達は散ってしまったことを・・・・身近な人々に悲しい思い出を残して、多くの人々が眠っている寂しい山であること・・・・等を思い出させます。
 谷川岳、穂高のような日本の山だけが挑戦の対象ではなく、20年前頃まではヨーロッパアルプスに登りに行く時も「遠征」という言葉が多く使われたようです。それだけヨーロッパの山はハードで危険で、種々の負担も多かったと受けとられていたようです。
 しかし今日は、多くの日本人がヨーロッパアルプスで休暇を過ごすために出かけることが当たり前になりました。ヒマラヤ等の困難なルートを除けば、大部分の世界の山々は楽しみを主体とした山に変ったようです。又、近年は若い登山者が減ったかわりに、中高年のハイカーが増えました。おかげで「オジサン」になった私が山に行っても、あまり違和感を抱かないですむようになりました。

 残念なことに、私の心境も40才前頃から変り始めて高山の頂への憧れが薄れ、最近は山の麓に行くことが多くなりました。私の関心が山麓の写真とりやスケッチに移ってしまったからです。海外勤務から戻って三峰山岳会に入った1980年頃から、高山への意欲が減退し始めたわけで、それ以来、本来の登山をさぼって来たという感触を持ち続けてきました。今後も、できれば三峰の「生涯登山」というスローガン?に甘えさせて戴き、EASYで楽しい山行に時々参加させてほしいと思っています。もちろん、若くファイトのある方々の邪魔はしないでやっていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
 これからも、三峰山岳会は一歩一歩その歴史を刻んでいくことでしょう。将来も、会員の方々の下で育った元気な二世達が主体となって、三峰の歴史を果てしなく伸ばしていくことでしょう。三峰にいつまでも栄光を!


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