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我が山歩きの周辺
服部 寛之

 私が山歩きをするようになって受けた最大の影響は、自然観が変ったことである。或いは、自分なりの自然観を得た、と言ってもいい。それは私自身の内部で起きた変革であるだけに、私のライフスタイルに大きな変化と意味を与える出来事であった。
 そもそも私が三峰に入会したのは、山の出湯に安全入湯するための方便であった。大学卒業以後(現三峰会員の)大久保氏らゼミ仲間と温泉巡りを始めたが、しばらくは順風に乗って着実に数を稼ぎ、渋目の湯宿に行き遇ったりすると純粋に感動して茹で上がったりしていた。だが、そのうちにわかに勃興してきた全国的温泉ブームの影響で急激に各地の温泉場が荒れてくると、我々は情けなくも温泉ギャルたちに追われるかのように、愚かしき開発被害の及んでいない人里離れた温泉場へ向かわざるを得なくなったのである。そして那須の三斗小屋温泉へ赴いた時の山道の不安感から、安全入湯のためには山歩きの理論と実践が必須たることを実感し、そのため大久保氏がまず三峰に偵察として潜り込んだのである。
 ところが、である。ナンと彼氏はいきなり5月の剱岳に連れて行かれてしまったのである。そして東京に無事生還したときには月世界の露天風呂で天女と混浴してきたかの如くさかんにボロボロ感激していたのである。
 どうもこのあたりから話がおかしくなってきたのである。
 「オレは三峰に入会するゾ!」と宣する彼氏に、私も、
 「オマエが剱に行けるのならオレだって行ける」
と、対抗上三峰に入会するハメになってしまったのである。
 こうして、登山愛好という観点からすればやや不純な動機に若気の至りが加味された勢いで三峰に入会した私は、理論(山歩きの技術)と実践(温泉入湯)を兼ねた活動を重ねているうち、山の持ついろいろな魅力に開眼し、大久保氏が剱岳で味わった感動も体験するようになったのである。そのうち当初目的とした安全入湯のための山歩きの理論と実践もなんとか体得できたと思えた頃には、山にドップリ浸かるカラダとなってしまっていたのである。そして遂にはマッキンリーにまで登ってしまったのである。
 温泉山行からマッキンリーに至る8年の間に、私も人並みに尾根歩きから岩登り、沢登り、薮漕ぎ、山スキーなどいろいろな山行をやってみた。その結果、人の96倍運動神経の鈍い私にはどうやら垂直方向の前進後退を含まない人類としての平穏且つ正しい二脚直立歩行型の山行が一番性に合っていることがわかった。そして今、私の眼は登山道のまわりに向くようになった。
 登山という遊びは、或いは山をフィールドとした遊びと言った方がより適切かと思うが、単に山に登るという行為のほかにさまざまな自然や人文の事象が付随し、それが実にこの遊びの幅を広げ奥の深いものにしていることを、私はこの8年数ヶ月の間に教えられ学んできた。そうして関心を持ったことのひとつが、自然環境のことであった。それは、山行途中に出会った可憐な花の完璧さや降り落ちる樹氷の澄んだ音、見捨てられた人工林の陰鬱とした沈黙や不可解なところで行われている林道工事など、折りにふれ心に溜まった漠然とした思いが次第に積重なって重さを増し、それが学生時代影響を受けたキリスト教的自然観(この世界は唯一絶対の神に創られた被造物であり、神の形に創られた人間は賢明に自然を管理すべく創造主から委託されているとする考え方)に触発されて、『人間は自然と共に生きるのではなく、自然の中で生き生かされているものである』という自然観が自分の内に育ってきたように思う。そして今それは自分の行動を律するまでに大きくなっている。
 どういう風の吹き回しか、マッキンリーから帰って以来私は、花や樹木などまわりの自然に対する興味が以前にも増して強くなった。厳しい雪と氷の山から緑豊かな日本の山に戻った反動かも知れぬが、よく分からない。そして今取り敢えずは星座を覚えようと思っている。なぜ星座なのかと言えば、星座の方が花や樹木よりも覚えるべき件数がずっと少なくて済みそうだからである。このあたりの理由は自分でも一寸情けなく思うが、アタマの悪さには自信があるので実際これが一番実用的な選択だと思うのである。
 以上が私の登山の周辺のこれまでの変遷と現状である。この先自分の山歩きがどう変って行くのか分からないが、いくつになってもこの楽しみが続けられるよう、肥満には気をつけたいと思う。


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