トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ284号目次

私の三峰山岳会
大泉 洋

 早いもので、私が入会してから6年が過ぎてしまった。三峰山岳会の門を叩いたのが23才の時、現在29才であるから、正に自分の青春は三峰山岳会と共に・・・と言っても言い過ぎではないと思っている。
 なぜ山登りをやるようになったのだろう?と自分なりに考えた時、柴田翔の一節が思い出されてくる。「生きていくには、喜びがなければならない。喜びを見つけることなく、なお生きつづけることは不可能だ。あるいは、生きて、喜びを見つけずにいることは不可能だ、と言うべきだろうか」
 歩く、攀る、食べる、寝る。そしてまた、歩き、攀り、食べ、寝る。この単純で、しかし確かな喜び。その喜びにすっかり魅せられてしまったということであろうか。今時の若者がやっているレジャーに満足することが出来ず、自分を完全燃焼させられる何か、自分が確かに存在しているのだという実感が持てる何か。それが自分にとっての登山であったような気がする。
 あの頃は月2回の水曜日、すなわちルームのある日が待ちどおしかった。この顔に逢える、あの顔に逢える。行きたい例会山行がある時はもちろんだが、自分のプランを持っていき、「俺、ここに行きたいんだけど、一緒に行かない?」と言う時の胸の高揚。そして、あーでもない、こーでもない、と言いながら計画する時の期待と不安。ルームが終わってから行きつけの飲み屋でするいつ果てるとも知れない四方山話。飲んでいるものだから気が大きくなっちゃって、よく、次はここに行こう、あそこに行こう、なんて話していたっけ。もちろん、山に行った時にも、テントの中で、あるいは焚き火を囲みながら、夜が更けるのも忘れ、みんなで持ち寄った酒やつまみで宴会したっけ。
 そういった事が楽しくて楽しくてしかたがなかった。そしていつの間にか、自分が登山を始めた頃は、自分の存在を実感することだけが喜びであったはずなのに、登山というものを通して、大好きな仲間とすばらしい時間を共有することが出来るのだという喜びに変っていったっけ・・・。
 顔が国籍不明だと思われるくらい真っ黒に日焼けし、会社の上司に「いつまでに直せる?」なんてイヤミを言われながらも、そういったやり取りを楽しんでいた春山。鼻血を出したりしちゃって、みんなを驚かせたりした夏の北アルプス大縦走。泳げなくて、水が恐いくせに「これぞ登山のエッセンスだ! 」と大いに楽しんだ沢登り。ガチャの奏でる音がやたら誇らしかったフリークライミング。熱を出してシュラフで死んでいたくせに、ホエーブスが大噴火したとたん誰よりも速くテントから脱出した冬山。そういえば、岩からつららを一本はがして作ったウィスキー・オン・ザ・ロックの味も未だに忘れられない。ピンクの登山靴も賛否両論?あったっけ。
 三峰山岳会での思い出は沢山ありすぎて、とても書ききれるものではない。もちろん楽しい時だけでなく、しんどい時も、どうでもいい時もあった。6年間いれば、いろいろな人の入会や退会も見てきた。だが、それらもひっくるめて実にさまざまな人が集う三峰山岳会が私は大好きである。社会人となってから職業や性別や年齢を越えて、無邪気に語ることができ、遊べる"仲間"を得られる機会って少ないと思うのだ。そう考えた時、我々はしあわせなのだと思う。思えばこの会にいたからこそ、いろいろな面で成長することが出来たのだと思っている。
 このように、非常に居心地の良い会ではあるが、忘れてはいけないこともある。三峰では山の技術にしても、人間関係にしてもあまり厳しいことは言わない方だ。だが、「私がやってみるから、それを見て、聞いて学んでいって」というメッセージを先輩方あるいは同期の間柄であっても送り続けているのだと思っている。ボォーとしていれば気付かずに過ごしてしまい、いつまでも向上しないままだ。そして、そのメッセージを敏感に感じられる間柄こそ、"本当の仲間"になっていくことが出来るのではないだろうか・・・。
 最後に私事で恐縮ですが、先輩方の前例に習い、私も生涯のパートナーを三峰の中から見つけました。そして、事情により奈良の地で職を得て生活することとなりました。もう"大好きな仲間"と一緒に山へ登ることは出来なくなり、たいへん寂しく思っています。しかし、自分で選んだ道、後悔などせぬようがんばっていくつもりです。どうかみなさまも事故にだけは気をつけて山行を続けていってください。そして70周年、80周年に向けすばらしい三峰山岳会を築いていってください。
 大好きな"私の三峰山岳会"本当にありがとう。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ284号目次