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中高年の社会復帰ならぬ登山再開について
城甲 紀夫

 『青 春』サムエル・ウルマン(作山宗久訳)

青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体でなく、
逞しい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚に皺を増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲観の氷に閉ざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと人は青春にして巳む。

 思い立って再開したのが5年半前、5月に甲武信岳、8月には南アルプスの北岳から塩見岳でした。人生二毛作を頭に描き、勇んで登ってみたが、登り出すと直ぐに額に大汗、胸は早鐘のような動悸と日頃の元気の良さは木っ端微塵。前夜、興奮しながら想像した行動力と恰好良さはみじんもなく、生臭いまでの新緑にも浸る余裕もなし。考えれば23年間、ぐい飲みと水割りのグラス以上の重量物を持たなかった人間には当然の報いだろう。甲武信のヌク沢出合で会った学生達が「キスリングを好む世代は50代と40代の後半で学生時代の思い出から抜けられない世代だそうだ」と小声で喋っていたが、その愛用のキスリングも北岳の大雨の中でフックが補強材と共にバックリと破れ、万事窮す。帆布でも20年以上経つと人間同様に脆いものだと関心すること頻り。正に過去を引きずって今日に至る自分に大クシャミ。8月の下山以降、道具は全部一新し、日頃の素行も改め、小生にとっては大変革の1年でありました。

 道具の更新やトレーニングを真剣に実行してみると、今までの自分の常識?、我々世代の常識がずれている事が非常に多い点に気付かされました。道具では化学繊維の長足の進歩と軽量化及びデュポン社の斬新な経営姿勢等。トレーニングでは運動前に体温を上げるウォームアップの重要性・柔軟性トレーニング・呼吸法・水分の取り方・クーパーの12分間走等。筋力トレーニングにおいては、その功罪・連日の筋力トレーニングの無意味・筋力トレーニングおける関節とスジの重要性・ストレッチ体操の重要性・オーバーロードの理論・アイソメトリックス運動の有効性等々。体育会系的考え方でなく、自然な考え方のほうが合理的だとの結論でした。我々世代のように軍隊式の一律訓練とか、根性・しごきの世界にどっぷりと浸かっていた人間には"身体論"が是非とも必要である事を痛感しました。現在の不景気と同様に経済の皺を取るのに、人為的な施策よりも「規制緩和」と「イノベーション」が皺取り、即ち溌剌とした明るさの回復には、最大のポイントであることが抜けているのと同じで、有識者と言われる連中には構造的な変化に対する認識の甘さが多すぎます。縮み志向一辺倒の現状には官僚の技術論を強く推すのではなく、根本にある"人間の性"の重要性を軽視しない考え方が必要です。ロマン喪失時代の象徴かな。

 汗・あせ・冷汗の連続の5年間だったが、振り返ると精神の皺も身体の皺も大いに伸びた5年間だったと思います。但し、中高年の社会復帰ならぬ登山復帰も並大抵ではなく、三峰の諸兄姉の援護が有っての復帰だと感謝しています。昨年の北岳バットレス、滝谷、大同心大滝の経験を生かすべく、正月合宿を欠席し、自宅でミニキャンプを張っている年末年始です。(例年、正月は我家の行事もあり。)今年の目標はランニングだけでみれば、13日間で100キロが目標です。八ヶ岳で汗を流している会員に負けずと汗を流している正月です。少しでもサムエル・ウルマン氏の詩に近付きたくウェイトに、ストレッチに、ランニングにとトレーニングに励んでいる年末年始です。皆さんの足を引張らない為にも。勿論、アルコールの嗜みも怠りなく励んでいます。

 三峰山岳会の諸兄姉、60周年おめでとう。今後とも雪に、氷に、岩に、沢に、縦走に、そして酒盛りにと気忙しく、欲深い活動を期待しています。又、有能な中堅・若手にとって魅力ある組織作りも併せて。最後に、会員の皆様も「青春」の詩のように、心身共に皺の増やさない、溌剌とした、大いなる活躍を祈ります。


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