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雑感二十年
山沢 幸子

 私が三峰山岳会に初めて入会したのは22才の時でした。新潟の田舎から出て来て、友達に飢え、緑に飢え、自然に飢えていた私は、はにかみ屋で無口な無口な(本当ですよ)少女でした。
 三峰は何となくホッとする雰囲気と、暖かく包んでくれる長久さんというお父さんに恵まれた、いごこちの良い所でした。
 話べたで引っ込み思案の私が、東京という街で仕事をし、夜学へ通いながら自分というものを見失わないですんだのは、気の合った仲間と自然の中へ時々戻れたからだと思っています。ということはすべて三峰のおかげということかも・・・・・?
 入会してすぐはどこにでも付いて行き、そのうちに沢登りのおもしろさに目覚め、スキーの楽しさに目覚め(ゲレンデスキーの合宿もありました)、あっという間の山行の数々でした。山へ行きはじめてわかったことは、故郷である上越地方の山々が私の原点だなということ。あのヤブ深い山、緑濃い山、実り多い山々・・・・。残雪期良し、山菜時期良し、アブの多いササヤブ良し、燃えるような秋良し、人の少ない自然の豊富な山々です。でも雪山には気持が動きませんでした。というのは雪国育ちで、いやというほど雪の中で生活してきているものには、何ともいえない雪景色の美しさも知っているけれど、あの「しんどさ」もわかっているのです。2~3回参加はしてみたけれど、充実感は得られませんでした。
 そんなこんなで、冬山や有名な山々はほとんど行かないで、マイナーな山やヤブコギばかりで7年間も過ぎてしまいました。
 それから10年以上も三峰から遠ざかりましたが、自然から遠ざかったとは言えません。毎年、田舎への山菜採りや紅葉狩り(本当はヤミ米買い)、そして三峰でできた友達との子連れ山行を繰り返しました。年を経て子供達の親離れを迎え、もう一度三峰へ再入会する決心をしました。・・・・山へ行きたい・・・・と。
 再入会して3年、色々ありました。今まで行きたくても行けなかった10年間の山や沢へ行けるかもしれない! と思った矢先のケガ。右膝骨折で、医者からは運動は一生無理でしょうと宣告され、将来設計が真暗になりました。でもあきらめの悪い私は、泳げないながらプールのバタ足からリハビリを始め、そして自転車へと少しずつ筋力をつけてきました。少しずつ山へ行けるようになった今考えると永年山できたえた太い足と精神力が良かったみたいです。
 そんな時、三峰の仲間と三峰祭りでつながりました。初めは山の仲間だったのが、山だけのつながりだったのが、山が無くても人間同士のつながりになっていたのです。
 気持の許し合える人達との山行はとても楽しいものです。飲む席しかり、気のゆるみからどうしてもハメをはずしてしまいます。でもハメをはずせることっておもしろいと、自分で自分を楽しんでいます。(騒音公害を受けた人ゴメンナサイ)
 一度は山をあきらめた私、チョッピリとでも行けるようになった今は、もう急ぎません。生きてさえいれば、これから20年でも30年でも行けるんです。何よりも何年たっても良い仲間がいるし・・・。
 最初三峰へ入会したとき、40周年記念号を出しました。それが今年は60周年、20年ってなんて永くて短いのでしょう。
 20年の間に飲めない酒が飲めるようになりました。さあ皆さん、おいしいお酒を持って、温泉つきの山行をしましょう!


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