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トレーニング
服部 寛之

 今回のマッキンリー遠征に際して、我々遠征メンバーにはヒマラヤトレッキング以上の高所登高の経験がなかった。従って、どのようにトレーニングをしたらよいのか、具体的なノウハウは全く持っていなかった。しかし、我々の力でも登攀可能だろうと判断して選択したウェスト・バットレス・ルートに要求される技術なり体力を、プロガイドへのインタヴューや他の登山団体の報告書、ガイドブックなどで調べ、トレーニングを(1)個人レベル(ジョギングなど有酸素運動で持久力をつける)、(2)会の例会・個人山行レベル(ザイルやソリ等を使った共同的な技術習得や登攀力向上のためのもの)、そして(3)低圧室での訓練(高所への適応力をつける)の3本立てで計画し、約1年間に亘り実行した。

1.個人レベル
 個人レベルでのトレーニングがどの程度行われたのかは、チェックがなされなかったのでわからない。実態は一生懸命やった者、ある程度やった者、少ししかやらなかった者など、各人各様であったと思う。

2.山行レベル
 以下の表は、マッキンリー遠征のトレーニングとして組まれた例会(△印)と、遠征メンバーが遠征を念頭に置いて参加した(と思われる)個人山行の主なものを、『ふみあと』の記録から抜き出したものである。
 例会は、結局14山行が組まれた。各山行の参加者はいちいち挙げていないが、全例会に遠征メンバー全員が参加できた訳ではない。例会という性格上、その大半は遠征隊メンバー以外の会員も参加した。それは会としての方針でもあった。というのは、(1)遠征隊メンバーの大半が例会のリーダー格であったため、遠征隊のトレーニングを会の通常の活動と完全に分離してしまうと会の活動に支障を来してしまうことと、(2)遠征が会の60周年記念行事としてなされる以上、会員が遠征隊メンバーと山行を共にすることで気持を通じ合わせ、遠征が遠征隊メンバーだけでなされるのではなく会の取組みとして行うのであるという意識を会員の間に醸成することが望ましい、という二つの判断が委員会並びに遠征隊メンバーにあったためである。
 山行は、遠征先のルートの性質上、大半が雪稜であった。それ以外の山行を説明するならば、2月の入笠山はマッキンリーで予定されていたソリに荷を乗せスキーで引くというスタイルを想定して子供用のスノーボードに荷を積みスキーで実際に引いてみたもので、4月の救助講習会ではザイルを使ってのクレバス転落者の救出等を練習した。また遠征前の最終的な総合トレーニングとして、5月の春山合宿で剱岳北方稜線が企画された。
 個人山行は、前述のように、以下に挙げたものは主なものだけで、遠征のためのトレーニングとして意識されなかった山行も多くあったことを付け加えておく。

92年4月29日~5月5日△僧ヶ岳→猫又山→馬場島(春山合宿)
92年7月11日~7月12日△富士山
92年10月17日~10月18日△富士山
92年11月21日~11月22日△木曽御嶽山
92年12月19日~12月20日△タカマタギ山
92年12月30日~1月2日△谷川岳、白毛門(正月合宿)
93年1月15日~1月17日△金峰山
93年1月30日~1月31日八ヶ岳・阿弥陀岳南稜
93年2月12日~2月14日八ヶ岳・旭岳東稜
93年2月20日~2月21日△入笠山(山スキー、ソリ)
93年2月27日~2月28日△北八ヶ岳(山スキー)
93年3月7日白毛門→宝川温泉(山スキー)
93年3月13日~3月14日△谷川岳中ゴー尾根、幕岩尾根
93年3月19日~3月21日谷川岳中ゴー尾根→阿能川岳→谷川温泉
93年3月27日~3月28日△谷川岳石楠花尾根
93年4月18日谷川岳西黒尾根→茂倉岳→土樽
93年4月25日△救助講習会(丹沢・水無山荘)
93年4月29日~5月5日△毛勝谷→剱岳→真砂沢(春山合宿)
93年5月1日~5月5日△赤谷尾根→剱岳→真砂沢(春山合宿)
93年5月22日富士山
93年5月24日~5月25日富士山

3.低圧訓練
 高所登山の最大の障害は、いわゆる高山病、つまり低酸素状態によって引き起こされる様々な生理的異常である。高所登山の経験のない我々は、6千メートルを越える高所で自分達の体がどのような状態を示すのか、大いに不安であった。
 そこで、人工的に高所環境を作り出せる低圧実験室でのトレーニングが高山病対策として有効であると知った我々は、同装置を持つ筑波大学体育科学系運動生理学研究室の浅野勝己教授に低圧トレーニングをお願いしたところ、快く引き受けてくださった。
 92年10月3日(土)、挨拶と打合せのために菅原委員長と服部が筑波大に浅野教授を訪ね、再度年が明けてから更に日程を詰め、以下の表のように93年4月から6月にかけてトレーニングを行なった。
 トレーニングに際しての条件は、筑波大は国立の学究機関ゆえ料金は取らず無償でトレーニングを提供するが、その代わりに我々はデータ収集に協力するというものであった。そこで、トレーニング前、トレーニング後、遠征後の3回体力測定を行なった。さらに、ポータブルの血圧計と血中酸素濃度測定器をマッキンリーに持参し、登山中毎日測定しデータを取った。このテントでのデータ取りは正直言って面倒ではあったが、各人の毎日の体調を知るうえで非常に有効であった。
 トレーニングを受けたのは、菅原、金子、鈴木、服部、別当、飯塚、吉江の7名である。植村は風邪が長引いて体調を崩していたため加わらなかった。データを取ったのは男子5名で、女子はお役御免であった。また登山中のデータ取りは、テント割りの都合で菅原、金子、服部、吉江の4名で行なった。
 トレーニング方法は、気圧を下げた装置内で負荷をかけた自転車エルゴメーターを一定の速さで一定の時間(30分)漕ぐというものであった。全員富士山頂では何ともなかったので4千メートルから始め、回を重ねる度に5百メートルづつ高度を上げ(=気圧を下げ)、最終的に6千メートルを数回経験し、最終回では6千2百メートルまで上げた。このように低圧環境下で繰り返し運動すると体の酸素摂取量が効率的に増加し、運動能力が向上するのだそうである。
 浅野教授の話では、この筑波大の低圧実験室(環境制御装置)でのトレーニングはこれまでに数々の登山隊が受けており(実験室の壁に貼ってあった登頂記念旗の多くはヒマラヤ等の7千~8千メートル峰であった)、その他にも様々なスポーツ選手の強化トレーニングに使われているそうである。92年アルベールビル冬季オリンピックでノルディック・スキー複合団体優勝を果たした日本のトリオもこの施設でトレーニングを受けたそうで、彼らのサイン入り色紙と写真が飾られていた。また、我々のトレーニングの様子が筑波大学創立20周年記念で製作された大学の主要研究プロジェクト紹介ビデオに収められたことは、良い思い出となった。
 聞くところによると、これまで地下や水中など高圧環境下での人体の反応については多くの経験やデータの蓄積があるのに対し、低圧環境下での人体機能の研究はまだこれからの観があるという話だ。本格的な宇宙開発の時代を迎えようとしている今、我々の測定データがその方面の研究にたとえごく僅かでも役立つならば、非常に嬉しいことではないかと思う。

第1回体力測定4月10日(土)、11日(日)
低圧トレーニング4月17日(土)、24日(土)
5月9日(日)、15日(土)、16日(日)、22日(土)、29日(土)
6月5日(土)、6日(日)、9日(水)
第2回体力測定6月12日(土)、13日(日)
第3回体力測定7月24日(土)、25日(日)、27日(火)

※体力測定は次の2方法で行なった。
 ひとつは、血圧・脈拍・呼気・心電図等の計測器を体につけ、自転車エルゴメーターの負荷をゼロから漸次上げながら一定の速度で体力の限界まで漕ぐというもの。これは3回とも行なった。
 もうひとつは2回目と3回目の測定で行なったもので、筑波大学附属病院の核磁気共鳴映像装置の中で仰向になり、足首につけた重りを漸次重くしながら体力の限界まで一定のリズムで膝から下を蹴り上げるというもの。この時は同時に血液のサンプリングも行なった。(研究結果については巻末の論文を参照のこと)


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