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平成6年正月合宿 八ヶ岳行者小屋集中
その2 北八ヶ岳隊
田代 昭夫

山行日 1993年12月30日~1994年1月3日
メンバー (L)大久保、高木、田代、谷川

 「北八からのんびり縦走しようや、大した起伏もないから楽だよ」とリーダーの一言で参加した。メンバーを聞いたら飲み助4名、酒の量が増えそうだ。
 パッキングに勤しんでいると、山の神が、
 「あんた、そんなに酒持って何しに行くの~?」と冷たい一言・・・。
 「冬山は寒いから体を暖める為、必要なのだ!」と返答に窮しながら答えると、
 「じゃ、夏山に持って行くのはなんで~?」等々、するどい突っ込みを受けながら、無事パッキング終了。
 12月30日、女房殿の冷たい視線を逃れ、立川0時34分発快速松本行きに乗り込み、新宿からのメンバーと合流する。
 茅野駅とピラタスロープウェイで、4時間余りのムダな時間を過ごしてしまい、ダラケてしまう。
 9時、やっと運転を再開したロープウェイで山頂駅へ。2時間以上も待って10分足らずで着いてしまった。
 コうるさいミーハースキーヤーから開放され、取りあえず本日の幕場予定の黒百合小屋を目指す。
 快晴、雲一つない。まだ歩き出したばかりなのに縞枯山の登りで大汗をかく。寝不足のせいか今一、体調が良くない。茶臼山より御嶽の勇姿が見えるが、不調のせいか感激しない。中山の登りから天気が崩れだし、急がねばと思うが、気ばかりあせって一向にピッチが上がらず、一人遅れる。
 15時、黒百合小屋に着いた時は、雪になっていた。テント設営時、テントが縮んだのか?ポールが合わず、苦労した。
 荷を軽くすべく、さっそく飲み出すが、初日の疲れもあって早々にシュラフにもぐり込む。
 12月31日、昨夜より荒れだした天気が回復していないが、朝食を取り様子を見る。風が弱くなったので、テントを撤収し、合流予定のもみぢの小林氏を待つ。小林氏が到着した頃には、又荒れ出し結局停滞と決まり、再度テントを設営する。
 長い一日を飲みながら、小林氏の女性談義で盛り上がる。気がつくと10張りくらいだったテントが20張り位に増えている。リーダーより明日の天気如何によっては渋の湯に下るかも知れないとのこと。他パーティーの様子が気になる。
 1月1日、8時、まだ風は強いが黒百合小屋を後にする。
 天狗と硫黄の登りで強風に翻弄されながら進むが、遅れがちになる。停滞で充分休養した筈なのに、今日もピッチが上がらず自分自身に苛立つ。硫黄の登りでこまくさ荘から一人で来た軽装のおばちゃんにまで追い越されてしまった。
 13時15分、やっと硫黄に着いた時には、小林氏は寒さで待ち切れずに先に行った後だった。(本当は三峰の女性陣に早く会いたかったようである。)
 赤岳鉱泉で一息入れ、乾杯用ビールを仕入れ中山乗越に向かうが、相変わらず一人遅れ、行者小屋に着いた時は、他のメンバーは既にテントの設営準備をしていた。
 初日より終始一人で皆の足を引っ張り、本当に申し訳ないと思う。そうこうするうちにベース隊が赤岳より戻って来たので、新年の挨拶と労をねぎらう。今夜はやっと旨い酒を飲めそうだ。
 1月2日、8時、地蔵尾根から赤岳~阿弥陀に向かう。ベースに合流でき、ほっとしたのか、やっと体調が戻った。
 赤岳展望荘付近より風が強くなりガスも出て来た。9時30分赤岳山頂に着くが、視界も悪くなったので阿弥陀をあきらめる。一人小林氏だけ、せっかく来たからと、阿弥陀に向かった。
 小屋で一杯300円、おしんこ付きのお茶を飲んで文三郎尾根を下る。途中権現隊の女性陣3名に会うが、相変わらずの逞しさには感心する。
 10時45分行者小屋に到着、しばらくして小林氏も戻って来た。
 一足先に帰ることになった谷川氏と小林氏を見送り、テントにて飲み出すが、谷川氏がなぜ急に帰ったか話題になったが、ここでは伏せておこう。
 1月3日、8時、総勢14名で下山。美濃戸口にて、風呂組と別れ茅野駅にて昼食兼下山祝いをして帰途につく。
 今回の山行では初日より一人で足を引っ張り、リーダー始めメンバーの方には迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ありませんでした。これに懲りず、これからもよろしくお願いします。お疲れ様でした。


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