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平成6年正月合宿 八ヶ岳行者小屋集中
その3 行者小屋ベース隊
笠原 祐子

山行日 1993年12月31日~1994年1月3日
メンバー (L)服部、山本(信)、藤井、坂本、笠原

 12月31日
 会長、委員長、播磨さんにお見送り頂き、24時02分新宿発普通夜行列車にて茅野へ向う。車内は山ヤ、帰省客で結構混んでおり、眠れない。これが後々非常に尾をひいてしまった。
 3時44分茅野着、しばらく駅でブラブラした後、タクシーで美濃戸口へ。まだ夜は明けず、月と雪明かりをたよりに歩き出す。行者小屋までは起伏の少ないダラダラした歩きだが、今回の山行では最もきつい行程だった。重荷にあえぎ、寝不足も重なって、美濃戸小屋に着く前にバテている。小屋で熱いお茶と野沢菜で気を取り直し、南沢を通って行者小屋へ向う。慣れぬ雪道に滑り、顔面スライディングしたところ、眼鏡のフレームがポッキリ折れてしまい、「私帰る!」と喉元まで出かかってしまった。ここで服部さん、藤井さん、坂本さんには先に行って頂き、私は山元ゲンさんを巻き添えにノロノロ歩く。低気圧接近で雪も降り出し、気ばかりあせるが一向に足は前に出ない。半分程行ったところで、遂に荷物の大方をゲンさんに担いで頂き、45分遅れて待望の幕場に到着。既にテントは設営されていた。この日は天候が悪く、午後から停滞。
 1月1日
 昨日の天気は嘘の様に快晴。ところがダンボール1箱食料を担ぎ上げて下さった藤井さんが足を痛めてしまい、下山されるとのこと。重荷がたたってしまった様だ。大変申し訳ない気持ちで一杯だったが、「神様、仏様、藤井様」と食前食後に唱えながら、有り難く頂戴した。
 アイゼンをつけ、地蔵尾根を登り出す。アイゼンをつけて本格的に歩くのは今回が初めてだが、道はよく踏まれており、出っ歯を食込ませて歩くのは快感。そして先頭にゲンさん、ラストに服部さんと超豪華VIP待遇山行である。樹林帯を抜け、しばらく行くと岩場が多くなり、鎖を頼ってトラバースや登りが続く。緊張感はあるが、恐いという気は全くおこらない。これもひとえにゲンさんと服部さんにマンツーマンでついて頂けているからだ。最後の急登を登りきり、頭の無いお地蔵さんに対面した時は、ギョッとしてしまった。
 地蔵尾根からの稜線は風が非常に強く、これが冬山なんだ!と実感する。岩礫の道を登り、赤岳の頂上へ。まさか2週間前には冬山なんて来れるとは思わず、しかも八ヶ岳最高峰とあって自己満足に浸りながら山頂神社で初詣した。
 赤岳頂上小屋で大休憩後、慎重に岩稜を下り、阿弥陀岳へ。広い山頂からは360度大パノラマが広がり、目を奪われた。山に登る楽しみは、登った者だけが得られるこの絶景だと思う。坂本さんも感激のあまり、「もー何も悔いは無い」と、まるで山から足を洗うような発言をしていた。後髪をひかれる思いで、泣く泣く山頂をあとにした。
 1月2日
 今日は大久保隊と合流し、途中まで一緒に地蔵尾根を登り横岳と硫黄岳を目指す。アイゼン歩行にも少し慣れたせいか、足どりも軽く進む。空身に近い状態だから通過できるのであって、縦走ではとても歩けないと思う。充分にスリルを味わい、横岳へ到着。
 硫黄岳に近づくにつれて、風が非常に強くなる。石室で休憩後ケルンに沿ってヨロヨロしながら山頂へ。視界も悪く強風の為、早々に下山を開始する。少し下り、樹林帯に来ると、さっきまでの風とガスは嘘の様だ。硫黄岳のおだやかな山容からは、あの強風はとても想像できない。ここでしばらく休憩し、赤岳鉱泉を経てベースへ。
 1月3日
 テントを撤収後、全員で記念撮影し、行者小屋をあとにした。往きは長く苦しい道だったのに、あっけなく美濃戸口に到着し、無事正月合宿を終えた。

 今回は天候に恵まれ、ベース隊ということもあり、初心者にも思いがけず冬の南八ヶ岳4峰に立つことができた。これにすっかり気を良くしてしまい、知識・技術・体力はさておき、白い山に憧れを抱いている。しかし、これもこの機会を与えて下さった会、服部さん、ゲンさんのご指導、そしてベースで楽しく過ごさせて頂いた皆様の賜物です。大変お世話になり、有難うございました。

〈コースタイム〉
1日 行者小屋(8:30) → 地蔵ノ頭(9:50) → 石室(10:10~15) → 赤岳山頂(11:00~12:10) → 阿弥陀岳山頂(13:40~14:10) → 行者小屋(14:40)
2日 行者小屋(8:00) → 地蔵ノ頭(9:15~20) → 横岳主峰(10:50~11:00) → 硫黄岳石室(11:35~12:15) → 硫黄岳山頂(12:45) → 赤岳鉱泉(13:50~14:10) → 行者小屋(14:50)

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