山行日 | 1994年1月23日 |
メンバー | (数字はこども人数) おとな43名、こども14名、計57名 田原夫妻、菅原、原口、堀田、野田、播磨、鈴木(嶽)、江村(し)(+1)、広瀬夫妻、佐藤明夫妻(+3)、中村、川又夫妻(+2)、藤居、牧野(+1)、今村、富岡、遊佐、金子夫妻(+2)、大久保、服部、飯塚、五十嵐、吉江、石塚、高木、澁谷、福間、片岡(+3)、小野、豊嶋、笠原、田原氏の父上・友人4名(+2)、今村氏の母上、他1名 |
お正月のゴタゴタが終わりヒトビトの生活も軌道に戻ったもののまだ新年を祝っても許されるだろうと思われる1月23日の日曜日、毎年恒例の新年山行を、今年は秩父は飯能の天覧山で行ないました。
午前9時に西武飯能駅集合ということでしたが、時間通りに集まったのは10人くらいだったので9時半頃まで待ち、30数人になったところで出発しました。
飯能市街を抜け、天覧山までは40分ほど。きれいに晴れ上がった青空の下、山頂のコンクリート製展望台からは奥多摩、奥武蔵の山々がくっきりと望め、その向こうには白い富士山の姿も見えました。陽当たりのよいその展望台の半分ほどに銀マットを敷きつめ、飲む者はさっそく車座になって宴会を始め、女子部隊と飲まない者は鍋にウルサイ大久保氏が執り仕切って材料を切るなど鍋の準備に取りかかりました。
宴会メニューは、初めての試みとして、真昼の闇鍋でありました。参加者にはひとり300円以上の魚、貝、肉、蟹、きのこ等などの鍋材料を持ってきてもらい、委員会が別に用意したハクサイやネギ、豆腐、シラタキなどと合わせて煮込むという方式で行ないました。参加費は、材料持ち込みなので無料としました。
集まった材料を切り終えたころ、来るのが遅れていたこの日の料理人頭・原口氏が到着し、手際よく鍋が仕込まれて行きました。鍋は多種多様な材料のおかげで、めったに食べられないコクのある味に仕上がり、あちこちで「うまい、うまい」が連発されていました。大きな鍋に都合6杯がつくられ、それがいつの間にか50人以上にふくれ上がった参加者の腹をいっぱいに満たした午後2時頃お開きとし、全員で記念写真を撮り、解散となりました。
準備の買出しやら鍋、ストーブの用意に当たってくださった皆さん、特に笠原さんと飯塚さん、それに当日材料切りを手伝ってくださった皆さん、どうもありがとうございました。とりわけ、料理人頭として調味料を用意し調理に当たってくださった原口さんには、大変ご苦労様でした。
尚、委員会で用意した材料などの費用計6774円は、行事費から支出しました。