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長九郎山は南海風な濃厚さで迫った
服部 寛之

山行日 1994年5月22日
メンバー (L)服部、飯塚

一面満開のシャクナゲというのは天国か地獄か

 長九郎山には一度も登ったことがないが、行くのは二度目である。
 真夜中の道を登山口までヒタ走ったものの、雷雨につかまって登るのを止めてしまったのは、もう2年も前のことになる。あの時も5月の末に計画した例会だった。長九郎山をあきらめ雨の中くるまを走らせていると天気が回復してきたので、みんなで突発的に大室山近くの矢筈山に登り、山頂のヤブの中でアッコさん製作の平べったいうどんの味噌煮込みを食って帰ってきたのだった。
 その時の雪辱を晴らす、というほどでもないが、今回もまた5月末に計画した。どうして5月にこだわるのか、というと、その理由はシャクナゲであります。
 誰でも経験することだと思うが、山で遇うシャクナゲには天国と地獄の両面がある。ヤブに突入すると地獄だが、花は天国的に美しい。いつだったか、場所も覚えていないのだが、稜線を下って行くと鞍部の少し手前のちょっとした地形の陰にシャクナゲが這い松のように強風に身を低くしてたたみ三畳分くらいの広さに拡がっていた。そこに咲いていたシャクナゲの花がなんとも美しかった。シャクナゲの群落があると聞いて、一面にシャクナゲの花が咲いている風景というものはどんなものなのであるか見てみたい、と思ったのであります。きれいなものには棘があると云うが、シャクナゲには棘はないけど、見た目のうつくしさにのめり込むと、"地に足がつかない"不安定な地獄の苦しみに見舞われるというのはどことなく悪女的でありますね。悪女というのは本能的にアブナイなとわかっていても甘いミツに引き寄せられる働きバチのようについふらふらと寄って行ってしまうのは哀しいオトコの性というものなのでありましょうが、しかしシャクナゲに罪はない。罪はないけど時期はある、というわけで5月にこだわったのであります。(なんのこっちゃ??)

28歳独身OLはジャージをはいて現れた

 前回行ったのは6人だったけど、今回はわたくしを含めふたりだけなのであります。しかも相手はナンと、東京は八重洲のオフィスに勤める若い独身ギャルなのでありますね!
 『独身ギャルとふたりだけでナイトドライブしてふたりだけで泊まってふたりだけで山登ってふたりだけで温泉入ってウフウフしてふたりだけでドライブしながら帰ってくる』などというのは、イケナイのではないか、アブナイのではないか、ヤバイのではないか、とその週の水曜日に断りの電話をかけてきた大久保哲もきっと思ったはずなのであります。
 「あのよー、日曜日行けなくなっちゃってよ、会社から(営業所に販売の)応援に駆りだされちゃったんだよ、くるま売れねえから」
 「そうか、ほんじゃあ、仕方ねえな」
 「おまえの例会、ルームで参加者いなかったから、例会つぶしたくないから行くつもりだったけど、そういうわけでさ、悪いな。あれから彼女に電話した? で、結局何人でいくの?」
 「おまえが行かないんじゃふたりだよ」
 「えっ!・・・・」
 この『・・・・』で表明された大久保イインチョーの危惧にもかかわらず、その日はやってきた。
 思わぬ渋滞に巻き込まれ約束の時間に10分ほど遅れて本厚木の駅に行くと、その女(28歳、独身、OL)は薄暗い夕方の雑踏のなか昼の疲れに身をもたせかけるようにザックに座り、物憂げな眼で駅前に流れるくるまを追っていた。
 長年会に在籍し一緒にマッキンリーにも登ってよく知っているその女が、前日の電話で行くのはオレとふたりだけだとわかっても取り止めなかったのは、恐らく、『ここで行くのを止めたらリーダーのオレに悪い』という彼女のやさしい思い遣りの気持ちと、『服部さんは人畜無害(だろう)』もしくは『あたし、秘密の必殺技には自信あるもんね』という考察および計算があったのだろうと思う。
 ここまで書けばもう誰だかわかりますね、その独身女というのは、そう、みんな知ってる飯塚陽子ちゃんであります。陽子ちゃんは正真正銘、八重洲の独身OLであります。ブランド的には丸ノ内のOLに一歩ゆずるかもしれないけど、駅的には同じで出口が反対というだけの差なのであります。立地の差、なのであります。しかも、陽子ちゃんはジャージがよく似合うのであります。確かにミナトのヨーコは横浜横須賀で絶叫的にツッパてたけど、イイヅカヨーコは足立区古千谷で今日も明るくジャージをはいて暮らしているのであります。足立区古千谷は東武伊勢崎線の竹ノ塚からチャリンコであります。つまり、総合的に言うと、古千谷都民の陽子ちゃんはジャージが似合うんだけれど通勤にはスカートをはいて定番ブランドのビトンのバッグなんかおしゃれに抱えてチャリンコ駅までギコギコ漕いで丸ノ内にごく近い八重洲に通う明るい独身ギャルで山にも登る正しいOLかと思いきや、お昼休みのひとときに、八重洲地下街徒歩2分、てんやのノレンまくり上げ、かき揚げどんぶりくださいな、なんて言ってわしわし食ってたりする娘なのであります。なんだかイメージがぐちゃぐちゃになってしまった。
 その日も陽子ちゃんはいつものジャージをはいていた。オレは思うんだけど、今の三峰で一番ジャージが似合う女性は陽子ちゃんではないか。確かに阿部(梨枝子)ちゃんが会を辞めるまでは彼女が三峰のジャージクイーンであった。しかし阿部ちゃんが去った今、菅原ひろ子ちゃん(旧姓斎藤)もいい勝負だが、彼女は現在出産後の山休中なので、クイーンの座に君臨するのは陽子ちゃんであると思う。陽子ちゃんなら『輝け!全日本ミスジャージコンテスト』の足立区予選で準ミスの栄冠に輝くくらいの実力はあるのではないか。彼女の名誉のために断っておくが、彼女が似合うのはジャージのほかにも勿論いろいろあるのである。だが陽子ちゃんのジャージの着こなしはバツグンである。板に付いているというか、着ていて自然であり、しかもジャージが彼女の持てる魅力を一層引き立たせる方向に作用しているのだ。これは山岳ギャルとしては非常に有利な資質である。チャンスさえあればアウトドア系マガジンへのモデルデビューも夢ではない!、のではないか。
 えー、こんな事を書いていると登山口にたどり着くのがいつになるのか皆目わからないので、ここでいきなり一夜明けて登山が始まってしまうのである。

南海風濃密林に長九郎山の実力を見た

 池代の登山口から1キロほど大沢寄りに道幅の広いところがあったのでそこにくるまを停め、6時45分出発する。池代登山口で案内図をひとしきり眺めてから林道を歩いて行くと、すぐ左岸持草川沿いの空地に白い乗用車が停まっていて、山の格好をした中年夫婦がEPIで朝飯の用意をしていた。どうやらうちらと同じく昨夜くるまで来て寝ていたらしい。実はこの林道は長九郎山の肩を越えてその北側へ抜けており、くるまで肩まで行けば徒歩約30分で頂上へ登れるのだ。実際うちらが歩いていると、シティー派中年夫婦が乗ったパジェロだかランドクルーザーだか図体のでかい四駆車が道幅いっぱいにウィンウィンいいながら上がってきたが、しかしそんな登山をしても山の良さとか自然の美しさとかは全然わからなくてなんだか物足りない思いを抱いて帰るはめになってしまうのだ。やはりここは下からきっちり歩くのが正しい登り方なのだ。
 10分ほどで登山道に入る。ここから案内図にあった番号付きの道標がでてきた。この山の登山コースはちょっと変わっていて、道標の番号を(1)番から順番にひろっていけば頂上を経て大沢の登山口へ無事たどり着ける仕組みになっている。なんとなく地元町役場観光課の人のよさそうなおっさんの町の発展にかける創意と工夫というようなものを感じてしまった。
 登山道はすぐ終わって、また川沿いの林道をまわりの草や花や森の木々を眺めながらぷらぷら歩いて行く。空は青空、空気はきれい、川の瀬音もさわやかにまことに気持ちがいい。夏にむかってこのところ着実に威力を強めつつある太陽もまだ本気でリキは入っておらず、まわりの新緑も初夏ウォーミングアップ期間中の陽射しをあびて気持ち良さそうに笑っている。やがて(9)番の道標が立つ登山道入口に着き、道端の木陰にベンチがあったので一本いれる。
 ふたたび登山道に入って行くと、ワサビ田があった。一つひとつのワサビが小学生のようにきちんと整列し、整理整頓と掃除が行き届いたワサビの学校のようなワサビ田であった。「わさびを取らないでください」と書いた立て札があったが、だがこうきっちり並べられてしまうとひとつ取るとあからさまに欠席者がだれだかすぐ判ってしまい、取った方としても気まずくなって、「す、すまなかった!」と言いつつ思わずもとに戻してしまいそうだ。
 ワサビ田の心理学的防災効果の高さに関心しつつなおも登って行くと、このあたりから次第に自然がめっきり濃厚になってきた。伊豆の山が「そろそろわしらの実力を見せてやるけんね」と言いつつ、濃密な緑とたっぷり蓄えた豊かな水量で迫ってくるのである。なんていうのかわからないけど、濃緑素100%のてかてかつるつるの葉っぱの茂みのむこうにいつの間にやら河床をせり上げた持草川の沢が「急いで流さないとあふれちゃうんだもんね」と言いつつ激しく水を流している。だが何といっても特異な印象を与えるのはシダの大きさであった。いつも見慣れているシダがここでは南海の大決闘風にモスラ化ないしはエビラ化しているのだ! おっといかんいかん、モスラエビラは大袈裟すぎた。コーフンのあまり表現がついコートじゃなかったオーバーになってしまった。ワリーワリー。しかし虫メガネでアリンコを見たときみたいにあからさま的倍率でそのまま生えているのだ。密生した濃厚みどりの森の中に特大サイズのシダが茂っている様というのは、ちょっとしたウルトラQ的温帯ジャングルであります。28歳独身OLの陽子ちゃんも、「自然が濃いですね!」と伊豆の山の意外な展開に驚いている様子。オレもこの前矢筈山に登ったときに見た、林床がバカデカシダと厚いコケにびっしり覆われた異様な森の雰囲気を急速に思い出し、改めて伊豆の山の異端児的な実力に圧倒されてしまったのであった。いつか読んだものの本によると、伊豆半島というのは遥かな南の海からずりりずりり北へ移動してきて日本列島にうんにゃっとくっついた、という経歴があるそうなので、その上に住んでいる植物にも南海の血が流れているのではないか、だからすぐ北隣の丹沢なんかと森の雰囲気が全然違うのではないか、と思うのだがどうなのであろうか。

中年カップルの彼方に伊豆の実態を見た

 濃厚な自然に陽子ちゃんとふたりウームウームとうなりつつなおも行くと、斜面の傾斜が緩くなったあたりで急に明るくなり、伐採地らしき風景になった。見ると、腰の高さに立て札があって、
花とロマンのまち まつざきちょう
 と書いてあった。同じ立て札がそのすぐ先にもうひとつあった。どうやら松崎町はこのあたりで『花とロマン』を強調しているようなのだ。花というのはまわりにいろいろ咲いているのですぐ解る。だがロマンというのは解りにくい。濃厚な自然のなかにロマンがあるのかもしれないなと思ったりもしたが、だがいまひとつよくわからない。とりあえずまわりを見回してみると、落ちている石のなにげない傾きや右斜め下38度の角度から見上げる枝の交差ぶりなどがシュールなロマンを形成している、と思えなくもなさそうだった。オレは言った。
 「陽子ちゃん、松崎町は花とロマンだ。いまそこに花とロマンがあったのわかった?」
 「花はわかったけど、ロマンはわかんないなあ」
 <ウーム、そうであるか、やはりロマンを解するには人生の年輪を積み重ねなくてはむずかしいのであろうなあ・・・>
 「でも、マロンならすぐわかるよ!」
 「・・・・・・・」
 ロマンがマロンになるのも、複数になって甘いトキメキになるのも、ちょっとしたインスピレーションの違いなんでありましょうなあ。
 そのすぐ先は、伐採地のあとにヒノキだかサワラだかよくわかんないけど3メートルくらいに育った木が一面に植わっていた。そこを過ぎるとにわかに視界が開け、山並のむこうに幾分海が見えた。右手は深い緑に覆われた大きな谷で、遠く下の方から沢音が聞こえてくる。豊かな自然の平和な景色だ。暗緑色から黄みどりに近い色まで、眼の前に広がる濃淡さまざまな色合の新緑を眺めていると、気分が芯の方からリフレッシュされてくる。やはり緑のある豊かな環境は優れた自然のトランキライザーなのでありますね。
 足取りも軽くいい気分で前進していると、谷向こうの森の中からくるまがプツンプツン小石をはじく音が聞こえてきた。
 「自分の足で上がってこなきゃ自然の良さなんかなんにもわかんないよな」
 とふたりで言いつつ一方的に優越感にひたるとなぜかさらに充実した気分になった。
 一旦林道を横切り、さらに登って行くとまたまた林道に出た。(19)番の道標の横にベンチがあったので一本にする。このあたりは林道の上も下も伐採が進んでいて、展望はいいけどブルドーザーで山腹を無理矢理えぐり取ってつけたような大きな搬出路がなんとも痛々しい。
 ベンチから林道を右へ100メートルほど行ったところが頂上への最後の登りだった。ここで今日初めて登山者に会った。30代後半か40代前半位のカップルだ。伐採地の中につけられた、丸太で土留めされた岩だらけの道を上がってゆくと、ヒノキとヒメシャラの交わる森があった。ヒメシャラのあの独特の淡い赤褐色のつるつる肌がなんともきれいで、森の雰囲気を明るくしている。思わず木肌に触れてみる。『姫』がつく名の通り、美人の樹は肌触りがたいへんよろしい。人間の女性の場合も美しいと思わず肌触りを確かめたくなるが、そちらは樹と違って直接行動に出るとあとがいろいろと面倒になってしまったりするのでありますね。
 道は森のなかを頂上へは直接上がらずに、一旦左に捲いて行く。その先、頂上へ右折する分岐でまたまた中年のカップルに行き遇った。こちらは40代後半といったところ。たった今頂上から下りてきたようで、女の方が妙に甘えたような声を出してどっちへ下りようかなどと言っている。ケッ、くそいまいましい、と思いつつ右折したそのすぐ先でいきなりシャクナゲの森に突入した。3~4メートルの高さのシャクナゲの密生地のなかにまっすぐ道が通っている。ヤブでなくて良かった。すぐさまぽっかりとした広場に出て、そこが頂上のようだ。鉄製のがっしりとした6メートルくらいの展望櫓がそびえ立っている。ここにもまたまたまた中年のカップルがいて、日当たりのいいベンチに座ってメシにするところだったが、うちらを見るなりおばちゃんの方が、
 「シャクナゲ、何も咲いていないんですよ、せっかく花を見にきたのに、ホントに残念!」
 と言った。
 な~るほど。ナニか変だなと思ってはいたが、花がな~んにも咲いていないのだ。木に付いているのは緑の葉っぱばっかり。いや、正確に言うと、おばちゃんが教えてくれた枝の先にしおれかかった花がわずかに二輪、最後のアガキというかんじでくっついておりました。
 「あ~、なにぃ~、花もう終わっちゃったんだあ・・・」
 と、28歳独身OLの陽子ちゃんもさも残念そうに言った。オレも至極残念。まったくこの山は中年カップルばっかりで、期待していた一面に咲くシャクナゲの花はマボロシに終わってしまったのでありました。
 しかし展望櫓に上がってみると、そこには気分のいい景色が広がっていた。足元のまわりは一面のシャクナゲ群、それを取り巻いて分厚い森がやや霞んだ陽射しのなかに緑の濃淡を広げていた。その向こうには稜線が低く連なり、その上で大小の島々を浮かべた青灰色の海が同色の空に溶けていた。やわらかな風が汗ばんだ身体に気持ち良い。
 陽子ちゃんが遥かな薄雲の高みにうっすらと線を引く富士山を見つけた。その声に振り向くと、差し示す彼女の指の向こう側に稜線が幾重にも重なって見えた。
 「伊豆って山が深いんですね」
 と陽子ちゃんが感慨深げに言った。
 そうだ、そうなのだ。伊豆の実態は濃厚な自然を持った山だったのだ、そしてそれに養われた豊かな海なのだ、と強く思った。これまで伊豆というと『海とさかな!』というイメージが強烈にあったが、その背後には豊かな山の実態があったのだ。今まで気付かなかったけれど、考えてみれば伊豆半島は圧倒的に山地なのだ。海に囲まれた山地なのだ。豊かな山と海の幸と温泉に恵まれた伊豆はすごくいいところではないか、さしみとワサビと風呂が接近しているうれしいエリアではないか、と思い至ったらなんだかとても楽しくなってしまった。
 下のベンチでメシを食っていた夫婦も去り、だれもいなくなったので、われわれは展望櫓の上でマットを広げコーヒーを沸かした。さっきよりもやや風が出てきて、幾分冷えてきた身体に一枚羽織る。それにしてもここは海も山も見渡せて気分が良い。今回はシャクナゲを見逃してしまったが、またいつか来てみよう、そしてその時にはこの櫓の上から満開のシャクナゲのむこうに暮れてゆく景色を静かに眺め、星影の下でシュラフにもぐり、翌朝ふたたび水平線から昇ってくる太陽をきっちり眺めてみよう、と、森のうえを吹き抜けて行く風のなかでオレはそんなことを考えていた。

〈コースタイム〉
池代集落下(車)(6:45) →池代登山口(7:03) → (9)番道標(8:05~13) → (19)番道標(9:00~05) → 長九郎山山頂(9:55~11:10) → 大沢登山口(13:05) → 大沢荘別館(露天風呂/400円)(13:10~35) → 車(13:50)


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