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鳥海山
箭内 忠義
山行日 1994年6月11日~12日
メンバー 11日~12日 (L)箭内、勝部、菅原、服部、澁谷、(会員外 内田、金子)
11日~13日 江村(皦)、江村(真)、田代、飯塚

 昨年、井上(博)さんと山スキーに出かけ、その素晴らしさに魅了されてしまい、今年も同じ時期をねらい行くことにしました。
 昨年は列車・ムーンライナーとタクシー利用でしたが今年は車で行きました。鳥海山は遠いため、良い山だと思いつつも行きづらいので、時間を意識して報告します。
 11日(土)午後9時30分頃武蔵境駅を菅原デリカ号で出発。外環道路を通り、東北道を一路寒河江インターに向かいました。寒河江から月山、湯殿山を北にみて、7号線で酒田市へ。そこから344号線で湯ノ台鳥海山荘、そして滝ノ小屋に至る舗装された道路を雪で通れない所まで行きました。終点着午前5時15分頃。荻窪駅10時出発の田代号も5時45分頃到着。結局、およそ車で8時間位かかりました。(途中若干のトイレ休憩含め)
 早速幕を張り仮眠。(若干の睡眠液体有)9時前に頂上を目ざし行動開始。数名のシール登高を除き、多数はスキーをかついで登りました。今年は昨年に比べ雪が少なく、薮が出ていて登りづらかった。江村(し)さんを先頭にガンガン登って行くが、会員外の2名がスキー靴のため遅れ、滝ノ小屋上1350mあたりでは1時間程遅れてしまった。
 先頭の一次パーティー、次の二次パーティー、最後の遅れパーティーと分かれてそれぞれ登るような形になり行動。1350m地点では、冷たい水が出ていて旨かった。先頭のパーティーにとっては1時間以上の休憩となってしまった。そこから、雪渓を若干つめるとおおきな薮が横たわっていた。先頭一次、二次パーティーは薮を左に動物的な勘を働かせ抜けていったが、遅れパーティーは、薮を縦に長く進んだため、2時間近くもハイマツ、シャクナゲと格闘する結果となってしまった。初めて山スキーに参加した金子さんは、涙をぬぐいながらやっと抜けたが、そこでギブアップ。あと一人の内田さんは、傷だらけになりながら、「なんでスキーをかついでこんな所進のよー!」と怒りとも、嘆息ともつかぬ声をあげていた。
 遅れパーティー3人が薮を抜けた時、先頭一次、二次パーティーは、頂上からスキーで滑りおりてきていた。時間は3時になっていたが、とりあえず頂上まで行きたいというので、遅れパーティー2人も先頭パーティーにサポートされながら頂上を目ざした。江村さん、勝部さん、菅原さん、田代さんが疲れているにもかかわらず途中まで一緒に登り返してくれたのは有難かった。
 先頭パーティーは2時頃頂上に着いていたが、遅れパーティーの内田、箭内が頂上に着いたのが4時30分頃。頂上からの月山、日本海の眺めはなかなか良かった。
 さて、頂上からのスキーだ。月山、日本海を見ながらの滑りは、すこぶる気分が良い。今まで待たせ、迷惑を掛けていたのを忘れ、思わず歓声をあげてしまう。登りに苦労した薮も回り込めば雪がついており滑っておりられた。
 また、先頭パーティーが1350m地点で待っていてくれた。寒い中2時間近く待っていたことになる。皆、防寒用のヤッケやカッパを着ていた。そこから最後のスキー。車の所まで最後の滑りを楽しんだ。
 車の地点到着は5時30分頃だった。
 鳥海山往復は、人によるが5時間から7時間かかるようだ。
 11日は、荒木沢、山雪荘の所に幕を張った。焚火を囲み、スキヤキにビールですこぶる楽しかった。夜空の星が美しかった。
 12日は、早朝しろしさん、菅原さん、勝部さん、箭内で、鶴間池まで散策。山菜のコシアブラやフキを採ってきた。途中、ヒー、ヒーという鹿の鳴き声がやけに大きかった。鶴間池では、ヤマネと初めて対面した。コシアブラをもってテントに戻った時、皆に散策に行こうと声をかければ良かったと反省。
 朝食後、勝部、菅原、服部、渋谷、柳井、内田、金子は、デリカ号で東京へ出発。幕場を9時に出て、なの花温泉で入浴し、月山の駐車場の所まで寄り道した。東北道に入ったが日曜日のためか渋滞。途中浦和インターでおり浦和駅で解散。時間は10時になっていた。帰りの渋滞は考えていなかったので、帰宅が遅くなり、菅原さんをはじめ皆に迷惑をかけてしまった。
 江村(し)さん、真一さん、田代さん、飯塚さん達は、12日、日向川支流を遡行し、イワナを釣り、山菜を採り、夜は焚火と楽しい2日間を過ごしたということでした。
 13日は、湯殿山の即身仏の見学をし、温泉により、寒河江を午後4時に出て、東京荻窪に10時頃着いたということでした。
 みなさんおつかれさまでした。


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