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日留賀岳
大久保 哲

山行日 1994年6月11日~12日
メンバー (L)大久保、高木、水田

 東京も梅雨入りし、週末は雨だろうと覚悟し土曜の朝を迎えた。朝一番の快速ラビットで西那須野駅に向かう。途中、宇都宮で各停に乗り換えるが、時刻表で調べた時は、乗り継ぎで20分程時間があったので、立ち食いそばをたのみ、箸をつけるや否や、乗り継ぎの電車が入ってきた。まだ時間があると思いのんびりしていたら、すぐに電車のベルが鳴りだし慌てて乗り込む。
 この殆ど箸つかずのままのそばをホームに残し、電車は発車してしまった。私には、とても電車まで持ち込む程の勇気は、残念ながら持ち備えていなかった。この惨めな結末が後々尾をひくはめになる。

 西那須野駅より塩原中学校までタクシーで向かう。そこから先は、白戸の集落をのんびりと進み、歩きだして50分ほどで登山口に着く。登山口は、地図にも載っているが、普通の民家(小山秋雄氏宅)のすぐ脇を通りぬけてつけられている。(民家の前に道標がついてる)民家の裏の木陰で一息つけて登りだす。しばらくは木陰で涼しい風もあり、楽な登りが続いたが、いきなり鉄塔のある台地にでる。そこから先は、地図には無いが、意味の無い、不要と思われる林道が山肌を削りとるかのように続いていた。実際、進につれ荒れ放題の場所が何箇所もあった。林道終点の左側に比津羅山を捲いた所が、本来の登山口だった。
 暑い日差しを避けて、大休止を取る。新緑が映え、風もあり涼しくて気持ち良い。行動食を食べ、先ずは1514mの日留賀嶽神社の鳥居までの登りにかかる。日留賀岳は、標高1848.8mの山だが、白戸からの標高差は1300mもあり、かなり急な登りが続く。登りだすと暑さで大量の汗が吹き出してくる。行程中、水場が無いので惜しみつつも水を飲みながら進むが、宇都宮駅でのエネルギー補給が出来なかったのがひびき、次第に足が重くなる。他の二人はこの暑さの中、すこぶる元気で、途中でトップを替わってもらう。
 やっとのことで鳥居まで辿り着くが、展望もなく薮に囲まれ、気をつけなければ通り過ごしそうだった。ここから先は傾斜は弱くなるが、薮がきつくなる。しかし踏み跡はしっかりしている。途中、ギョウジャニンニクが群生した場所があったが、採取は帰りにするとして頂上を目指し、3時半に頂上に辿り着く。
 生憎、ガスで展望は無し。山頂には平成天皇即位を記念して、新しい石造りのほこらがあったが、テント3張り位のスペースがあり、早速、その日の行動を打切り、宴会にはいる。結局、4時から始まった宴会は9時半位まで続いたが、野郎3人では盛り上がりに欠け、つくづく、山には女性が良く似合うとの結論でシュラフに入りこむ。(この日、出会った登山者はたった一人。この時期、物好きな登山者など無く、山頂は我々だけで貸切となった。)

 翌日、テントを叩く雨音で目を覚ますが、時計を見れば5時。まだ起きるには早いのでひと眠りし、6時半にテントから顔をだすと、雨もあがり昨日は見ることが出来なかった展望が綺麗に広がる。眼前には、大佐飛山や男鹿岳がひろがり、鶏頂山や奥会津の集落も見える。朝方の雨はどこかへ行ってしまい、360度の展望だ。この山頂から先は鹿又岳へと続いているが、山頂手前でまたもや山肌を削り取られた林道が続いていた。急登で辿り着いた頂上の先に、意味もなく付けられた林道には本当に腹がたつ。朝食は残りの水も少ないので、お茶と行動食で軽くすませ、8時前に山頂を後にする。早朝の雨で下半身ズブ濡れとなりながらもいっきょに下る。鳥居も過ぎ急坂をしばらく行くと、やっと他の登山者が上がって来た。下ってきた我々を見て驚いた様子だったが、山頂に泊まったことを告げると納得したようだ。林道終点にでるまでに何組かの登山者に出会ったが、皆中年のおばちゃんパーティーだった。
 10時15分に下の小山氏宅へ着く。一休みの後、だらだらと塩原中まで歩き、バスの時刻を調べるが本数も少なく、仕方なく電話でタクシーを呼ぶが、日曜日と観光地ということもあり、何処も貸切でだめ。しかたなく塩原のバスターミナルまで歩き、運良く西那須野行がすぐの出発だったので飛び乗る。
 梅雨の合間の暑い山行だったが、人も少なくなかなか渋い山だった。


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