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家形山~大沢方面・山スキー
豊嶋 一人

山行日 1994年2月11日~12日
メンバー (L)箭内、井上(博)、高木、石塚、豊嶋

 三峰のみなさんはスーパーマン(ウーマン)の集まりです。ルームでお会いしているときは、どこにでもいる普通の人のように見えます。しかし、一度山の中に入ると、さらに力強く、さらにたくましく、そしてさらに優しい笑顔の持ち主たち。今回の山スキー山行でも、私はたくさんのことを学ばせていただきました。
 さて、2月10日、金曜日。集合時間よりも40分以上早く午後9時40分頃には、すでに私は東京駅で他のメンバーを待っていました。私はこれから向かう山行に対する大きな期待を胸に、リーダーの箭内氏、井上(博) 氏、高木氏、石塚氏を待っていました。その反面、これからゲレンデに向かうスキー客を見て少しうらやましく思っていたのも事実です。
 東京駅から天元台スキー場に向かう夜行バスに私たちは乗り込みました。普通のサイズの観光バスであったので、少し窮屈でした。(私だけだったかもしれませんが。)1時間ほど軽く飲んだ後、夢の世界へ旅立ちました。
 翌朝、バスを降りた後ロープウェイに乗り継ぎ、午前6時30分頃には天元台スキー場に着きました。リフトが運転を始めるまで約2時間ほどあり、着替えと朝食をとりながら待っていました。この時の私はまだ余裕しゃくしゃくで、早くリフトが動かないかなあと心待ちにしていました。リフトが動き始めました。ところが、三つめのリフトが強風のため止まっていました。ゲレンデを1回滑ってまた登ってきてもまだ動いていません。雪はだんだん強くなり風も強くなりました。係員の人もいつ動くかわからないと言うことなので、シールをつけて登り始めることにしました。ここまでの私もまだ余裕しゃくしゃくでした。しかしその余裕は10分ももたず、登りやすいゲレンデなのに、なさけないことに遅れ始めました。ふぶいている寒い中で何度も私を待っていてくれたことに深く感謝しています。リフト駅から先は、道も登りにくく、さらに遅れ、後から来たパーティにも、道を塞ぐ格好になって迷惑をかけてしまいました。もはや何とかついていこうという気持ちで精一杯の私にくれた、みなさんのアドバイスや励ましは、ココアのように私の心をあたためてくれました。「焦らなくても平気だよ。早く着くか少し遅れるかだけの違いでゴールは同じなのだから。」という石塚氏の励ましはいつか私も使おうと思ったほど、感動しました。
 結局、途中で幕を張ることになりました。風が少し強いのが気になりましたが、今日はもう食べて、飲んで、寝るだけだと思うと安心しました。ところが、食事の用意を始めたとき、アクシデントが発生しました。バーナーのガソリンが、ナットがゆるんでいるため少し洩れているのです。ペンチを誰も持っていませんでした。いろいろ検討した結果、とりあえず明月荘まで向かおうということに決まりました。私も少しテントで休んだので元気を取り戻し撤収にかかったのでした。
 さて、箭内氏、井上(博)氏らが地図、コンパス、高度計を使って私たちの進むべき道を見つけている姿を見て、スーパーマンにあこがれる少年のように、あこがれと尊敬の念を抱き、いつか私もと心に誓ったのでした。しばらくすると、明月荘が見え、井上(博)氏は偵察ということで、明月荘の前まで行きましたが、私がまた遅れてしまい、暗くなり始めたため明月荘へ行くのを断念し幕を張りました。
 ここで私は一瞬迷子になりました。石塚氏の後に続いていた私は箭内氏、井上(博)氏、高木氏が設営している場所まで10mくらいのところで、スキー板をはずしてしまい、そのため腰までもぐってしまいました。なんとか抜け出したときに、前を見ると明かりが見えません。まわりは真っ暗で設営している様子が見えません。いつもの私ならここであわててしまうところですが、何故かそのときの私は落ち着いていました。寒さもあまり感じられず、疲れていたので、ここでアルコールを口にするときっと寝てしまうんだな、などと思いました。「もとー」と大きな声で叫ぶと、なんと後ろから返事がありました。いつの間に迂回をした形となって、追い越していたようでした。井上(博)氏が迎えに来てくれて、私のスキーを運んでくれました。
 バーナーは井上(博)氏の工夫で何とか完全に使うことができました。今回は初めての食番だったので、みんなに喜んでいただく夕食にするために数日間本屋に通い、テント内での食事について研究をしました。また、飯塚氏にも相談にのっていただきました。何度も検討を重ねた結果、私自身も大好きなもつ鍋に決めました。もつ鍋を食べ、お酒を飲んで、後は寝るだけ。とても幸せな時間でした。翌日のコースを検討し吾妻に向かうのは困難であるということで、大沢方面に下山することに変更しました。心配したほど寒くなく眠れましたが、雪がテントを少しづつ押し、私たちは寝返りを打つスペースもなくなり、私は高木氏の顔の上に足をのせて寝ていたそうです。ごめんなさい。
 朝、7時頃に起きました。外に出てみると、明月荘が目の前にありました。あと、10分あれば余裕で行けた場所でした。景色を楽しみながら、雉打ちに行きました。
 朝食後、出発しました。ゲレンデスキーと違い、ごまかしのきかない山スキーは、スキー技術の未熟さを改めて感じさせてくれました。私の場合、転ぶ回数が多く、そのためかなり体力を消耗したように思います。果たしてどこを歩いているのだろうか全くわからず、その前に私にはそんなことを考える余裕はありませんでした。ただ写真を撮るときだけは、元気がある振りをしてポーズをとりました。
 私が遅れるため、箭内氏、井上(博)氏、高木氏、石塚氏が交代で私について来てくれました。吾妻山麓放牧場をこえ、民家が見えたのが午後2時頃だと思います。大沢駅に向かう途中で、有人の山小屋を見つけました。大沢駅までもう少しだということで、電車の時間の確認をした上で休憩をしました。ビールをそこで飲んだわけですが、良心的な値段でしかもいろいろなおつまみをサービスで出してくれて、とてもよい小屋でした。ビールを飲んで、休んで、あったまって、元気に小屋を出発した私でしたが、また、すぐに弱音を吐いてしまい、遅れてしまいました。もはやエッヂをきかすことも出来なくなっており、何でもない道でしたが、何度か転んでしまいました。
 ちょうど2月11日、土曜日は関東地方でも大雪ということで、駅を降りた私は、何度もシールを付けてスキーで歩こうと思いながらスキーを担いで帰宅の途についたのでした。

〈コース〉
湯元 → 天元台 → 人形石 → 藤十郎 → 明月荘 → 砂盛 → 吾妻山麓放牧場 → 大沢駅


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