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月山・山スキーと山菜
豊嶋 一人
山行日 1994年6月4日~5日
メンバー (L)田原、原口、井上(博)、井上(雅)、山沢、豊嶋、播磨夫婦、川田、鈴木(嶽)、(真木)

 月山を「つきやま」と読むのではなく、「がっさん」と読むことを知ったのは、地形図を買いに行ったときでした。日本語は難しいと改めて思ったのでした。
 6月3日(金)午後7時に荻窪駅前で、田原氏、原口氏、井上(博)氏、井上(雅)氏、山沢氏と合流し、田原氏の豪華応接セット付き車で月山に向かいました。外環、東北自動車道を経て、月山手前の(?)キャンプ場には午前12時過ぎに着きました。ずっと運転をしてくれていた田原氏はかなり疲れているだろうし、もう遅いので、幕を張った後軽く飲んですぐ寝るのであろうと思っていました。ところが、テントの中にテーブルが用意され、つまみが並び、あれいいにおいがするなと気づいたら、原口氏が餃子等を作り始めていました。「豊嶋君、ビールたくさんあるから・・・」と優しい会長の言葉もあり、寝る前に飲んだり食べたりしてはいけないという自戒を忘れてしまいました。
 さて、そろそろ寝ようという雰囲気になった頃(飲むとすぐ眠くなるという私の体質なので、はっきり覚えていないけど午前2時頃だったと思いますが)、テントに向かってくる人影が映りました。うるさくしていたので、隣のテントの人が苦情に来たのかなと思ったら、播磨氏の登場でした。播磨婦人、川田氏、鈴木(嶽)氏を加え、気がついたときは空が明るくなっていました。
 翌朝、他のテントがほぼ撤収した頃豪華な朝食が始まりました。真木氏も合流し、姥沢小屋付近まで田原氏の車で向かいました。月山リフトで1500m付近まで登りました。リフトを降りてみんなで記念写真を撮った登山道案内板から月山山頂までは標高差約470m、直線距離にして約2.5kmでした。原口氏、鈴木(嶽)氏、播磨婦人は私たちの夕食の山菜採りの為、牛首に向かう途中で別れました。
 鍛冶小屋付近からは雪がなかったので、スキー等をデポして山頂に向かいました。ここから先は雪がなく階段状の登山道だったので、兼用靴を履いていた私は歩き慣れていないせいもあって靴ずれができました。足首が固定されているので下山のときはさらに下りるのが大変でした。月山神社でビールで乾杯した後、スキーをデポした場所まで下りました。スキーを履いて滑走しました。雪質もよく気持ちよく滑れました。温泉に入り、さっぱりしたあとテントで原口氏らと合流し宴会に突入しました。また明け方まで続くのかと覚悟して臨みましたが、みんな前日の睡眠不足のため普通の時間(?)に終わりました。
 今朝もまた、まわりのテントがほとんど撤収を終えた頃、豪華な朝食が始まりました。私は山沢氏のお米がとてもおいしくて、白いタキシードの似合う体形になるため減量しなくてはいけないのを忘れてしまいました。減量も三峰に入会した目的の一つであったわけですが、増量傾向になってしまっています。山菜採りをした後、須貝夫婦宅、鈴木(嶽)氏宅を訪問し、帰途につきました。


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