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救助講習会にねちゃぐちゃ思う
副委員長・服部 寛之

 今年の救助講習会について大久保委員長は上記のようにさらりと済ませているが、私としては今回の救助講習会には大いに落胆し且つ憤懣やる方なかった。腹にものを蓄めると肥るいっぽうなので、酒の勢いに任せて吐き出せないわたくしとしてはここに苦言雑言あてこすり、暴言悪態与太毒舌、苦情物言いとがめだて、避難詰問喝指弾、嫌味難癖いいがかり、堪忍袋に殺し文句をぶうたれるねちゃぐちゃ男風にワープロの打勢に任せて吐露したいと思う。
 今年委員会では救助訓練は三峰祭りと同じ機会にやってしまおうという方針で検討・決定された。そもそも訓練を講習会と言い換え両者を同一機会に済ませようというこの方針には現在の三峰の低調が反映されている。この低調が何に起因しているのか、長年在籍している会員諸兄姉にはそれぞれ考えるところがおありだろう。
 今年の参加者はザイルに不慣れな初心者が多かったので、モミソ岩での訓練はザイルワークと岩登りの講習会となった。救助訓練であるはずなのにこれは誠に情けないことである。救助訓練の機会を作っても要領を心得ているベテランの参加がなければマトモな救助訓練などできるわけがないし、後進に受け継がれるべき救助技術もレベルは落ちる一方である。そんなことを毎年繰り返していたら、やがて三峰には事故った仲間を救助する能力などなくなってしまうに違いない。山岳救助は実際に救助にあたる各隊員の高度な技術レベルのみならず、むしろ前線の救助員と後方支援員を含めた全員の協力と共同作業の総合力がものを言うことはベテランならずとも多少山岳会にいる者ならば重々承知のことであろう。なのに救助訓練に出てこない。飲み会には出てくるくせに、訓練はごめんくださいとは大した自信である。確かに酒宴は会員同志の絆を強めるには有効かもしれない。だが救助の技術や手順を毎年の訓練で繰り返さなくてもわたしは大丈夫ですという態度にはたいそうゴリッパであると申し上げるよりほかはない。近年三峰の会員諸兄姉はそのあたりの意識が低いというよりもむしろ最近は他人任せの無責任と言った方が適切ではないのか? 単に飲んで騒ぐだけの山岳会に三峰がこのまま成り下がって行くならば、この先長く山を楽しみたいと思うものはそのあたりを早く見極めて他の山岳会に移った方が賢明であると言わざるを得ない。以前も同じような文句を会報に書いた覚えがあるが、正直言ってオレもこんなことを何度も書きたくはない。しかし委員や役員がいくら訴えても肝心の会員諸兄姉が馬耳東風ではどうにかしたくてもどうしようもないではないか! それとも、救助はやりたい方たちでやってください、とでも言うのであろうか? また遭難騒ぎが起こっても誰かが何とかするから大丈夫さ、などと思っているのであろうか?
 山へ行っても何事もなく下りてくればそれで済んでしまう。しかし事故が起きても救急車は呼べず医者も来ず手助けしてくれる他人も期待できない山ではモノを言うのはまず第一にパーティーの自助能力である。自力で脱出できないとき、頼りにできるのは事故を想定して直ちに救助に向かってくれる仲間である。だがそうした自分たちの仲間が怪我の対処法を知らず、救助に向かおうにもどうしたらよいかわからないとしたらどうであろうか? やるべきことをやらず知っておくべきことを知らない者が事故に遭遇したら、後に残るものは後悔と怨嗟以外ないだろう。

 大久保委員長の報告原稿を校正していたら突発的頭来血煮狂状態に陥り腹立ちまぎれにねちゃぐちゃ文を書いてしまった。こころあたりがおありで不愉快な思いをした人にはお詫び申し上げますので反省してくださいね。みんな頼りにしてるんだから、たのんますよ、ねちゃぐちゃ。


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