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新年山行・岩殿山
服部 寛之
山行日1995年1月22日(日)
参加者計38名(大人32名、子供6名)
大久保、田原、原口、野田、播磨、山本(義)、川田、伊藤、鈴木(嶽)、江村(し)、江村(真)、佐藤明、広瀬、富岡、鈴木(章)、小林(勝)、井上(雅)、遊佐、服部、石塚、高木、古川(尚)、田川、小幡、勝部夫妻+子供2、菅原夫妻+子供1、荻野+子供1、小堀+子供2、[田原父、小林(章)]

 今年の新年山行は、大久保委員長の独断的意向で、大月の岩殿山で行なわれた。
 岩殿山は、電車や中央道で大月を通るたびにあのりっぱな岩壁を見上げながら、
 「そのうち行ってみよう」
といつも思っても、
 「でも、ワザワザ出かけて行く山じゃないな」
とあとで必ず思うので、結局、いつまでたっても行けない難しい山なのですね。
 新年山行が岩殿山に決まったとき、あそこじゃたいして歩かないうちに宴会場所に着いてしまっておもしろくないのではないか、山岳会の催物会場としてはちょっと軟弱にすぎるのではないか、そうゆうことを委員長が独断的に決めてしまってもよいのか、えっ、民主主義はどうなっているのだえっ、委員長どうなんだえっ、えっ、どうしてくれるんだえっ、どんどん!(机をたたいた音)、という糾問ならびに怒音が聞こえてきそうであった。
 確かに民主主義の手続きから言ったら、まずは考えつく限りの候補地を推挙提案のうえ選定するのが筋道というものであった。一応委員会に諮ったとはいえ、委員長のウムを言わせぬ独断と偏見でほぼ決定されてしまったのはモンダイであったかも知れない。そういう意味では、委員長の責任は大きい。特にあの鉄腕アトム風輪郭ヘッドの威圧力低減対策に負うべき自身の責任は大きい。会の運営の責任者という立場上、糾弾は免れがたいのは当然であるように思える。
 しかし一方、こーゆー岩殿山のようなワザワザ系の山というのは、荻窪のラーメン屋と同様、何かの機会でもない限りなかなか行けない、というのも真にして厳たる真実なのである。
 常日頃「行ってみたい」とは思っていても、敢行すべき事業の規模内容を検討してみると、移動に投入さるべき時間と資金の点から鑑みて、達成すべき目標が中途半端な大きさなため躊躇してしまう、ということはよくあります。
 そうした実状認識に立脚したうえで、今回の事態を深く考察してみると、当会の例会としては最も難度が低く、かつ大鍋宴会という大目標が加味される新年山行に岩殿山を選定したというのは、現状に即した正しい判断であった、と言わざるを得ない。
 或いはそれは、委員の優柔不断に指導力をもって応えた、男子大事を決す果断な行為であった、とも言える。
 つまりそれは、会員が決行する山行の傾向と対策を踏まえた、委員長としての見識と力量を示す英断であった、と言っても過言ではない。
 委員長、よくぞ勇断した。
 会員の中には、
 「これでやっと岩殿山に行ける!」
 と跳び上って喜んだ者もいたであろう。
 「いい冥土のみやげができます。ぶぉっ」
 と泪ぐんでハナをかんだ者もいたであろう。(いないか。)  そういう意味で岩殿山は、まことに適切な選択であった。
 大久保委員長、よくやった!
 麿もうれしい。

 当日、大月駅周辺では、集合時間の10時すこし前から雪がちらつき始めて天候が危ぶまれたが、到着する電車ごとにぞろぞろぶらぶら岩殿山へ向かった。雪は10時半前には雨に変わったが、幸いなことにその後天候は悪化せず、宴会を終えて引きあげるまで傘の要らない程度の小雨が降ってはすぐ止むといった繰り返しであった。
 登山道を上りはじめて15分ほどの中腹にスベリ台やらジャングルジムやら子供の遊具のある丸山公園があり(一部整備工事中であった)、そこに12畳位の四阿があったので、降りそうな天気にこれ幸いと、ちょっと狭いがそこを占拠し会場とした。
 後続がそろい鍋の準備ができるのを待つまでの間、多くの者は頂上を往復した。岩殿山は戦国時代要害堅固ぶりを誇った山城だっただけあってかなり急峻であるが、今はよく整備された市民公園となっており、桜の木が多く、春には大勢の人出でにぎわいそうである。かつて本丸が聳えていたという山頂のいちばん高い一角にはテレビの中継アンテナがたっていて、そのあたりの梢の間からは大月の市街と向かいの山の背後に九鬼山の頭がみえていた。この日はあまり天候がすぐれないにもかかわらず、山頂には7~8名の大学生らしき若者グループや20数名の中年ハイカーグループなどがいて結構にぎわっていた。
 鍋が始まったのは11時半頃からであったろうか。メニューは、去年とおなじく各自が勝手にもちよった材料に委員会が用意した野菜や豆腐を加えてつくるアドリブ鍋。でたとこ勝負に出るシェフの原口さんの腕の見せどころである。この方式だと、集まってみなければどんな鍋ができるかわからない楽しみがある点と、どんな店でも家庭でもまず味わえない超多種類多品目多国籍の万国満員電車風なんでも充填立錐ギチギチ鍋となって夢の鍋境地に遊ぶことができることに加え、不確定の参加人数に材料の過小過多を心配することもなく、まことにもって具合がよろしいのであります。鍋調理にあたったシェフの原口さん、今回も酔っぱらいに喰わせるにはもったいないくらいすばらしい味に仕上げてくださり、ありがとうございました。また、飲みたいもののピッチを崩してまでお手伝いくださった野田さん、騒ぎまくる酔眼呑んべいたちを尻目に奉仕精神を発揮してくださった小林(勝)さん、どうもありがとうございました。おかげさまで一同美味な鍋を堪能させていただきました。そして、調理の手伝いから全体の進行まで執り仕切った大久保委員長、まことにごくろうさんでした。
 ひとしきり鍋が終わり、さらに呑む人は呑み、ダベる人はダベり、遊ぶ子らは遊び、焚火をする人は焚火をして3時過ぎ、全員で記念写真を撮ってお開きとした。岩殿山は頂上から西へ30分ほどのハイキングコースが続いているが、天気がいまいちのためかそちらへ足を向ける者もおらず、みんなしてぞろぞろ来た道沿いに大量の酒臭を散布しつつ駅へ戻り、引き続き酔っぱらいながら家路に就いたのであった。皆さん、どうもご苦労さまでした。
 尚、帰りの電車のなかで余った酒を求めて車両から車両へとさまよい歩くのはみっともなくて恥ずかしいのでやめてほしい、という悲鳴にも似た怒声が後日聞こえてきたので付記します。


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