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三岩岳・窓明山
水田 洋

山行日 1994年10月30日~31日
メンバー (L)水田、勝部、金子、田代、山沢

 10月29日(金)午後9時半、東所沢駅集合、山沢さんが一足早く、金子さんが一足遅くやってきて田代号で出発だ。他はリーダーである私と勝部さんで全部で5人である。車は順調にとばすが、登山口までは時間的に無理で、塩原温泉郷を過ぎた所で幕をはった。上り坂の途中だったため、夜中大型トラックがアクセルをふかしながら通り過ぎかなりの騒音で寝づらかったらしいが、私は仕事疲れでぐっすりだった。

 30日(土)天気は空が今にも泣き出しそうだ。車の中で朝食をとり、登山口の小豆温泉に着く頃にはポツポツきていた。9時半頃には出発し、最初は沢ぞいにいく。今回の山行の趣旨は、頂上に立つよりも快適な避難小屋でトレトレのキノコ鍋で盛り上がろう、というものである。よって私以外は道を外れて、あっちでガザガザこっちでもガサガサという感じで、山沢さんなどは、しばしば奇声をあげていた。その甲斐あってかなりの収穫をえることができた。
 私はペースメーカーとして独り黙々と歩いていた。紅葉はすっかり終わっており、時折降りが強くなる雨が直接体にかかり結構冷える。ゆっくり歩いたつもりだが、それでも1時前には三岩岳と窓明山の分岐点にある避難小屋についてしまった。小屋は丸太づくり三角屋根の二階建て、土間にはストーブ、薪も用意してあり、小屋の前にはきれいな水が引いてある。できて間もない小屋でほかに宿泊客もなく独占状態、期待を裏切らず快適そのものだ。
 天気が悪いので頂上は明日まわしにして、やることといえばいまさら言うまでもない。キノコ鍋をやる頃にはかなりお腹もくちくなっていたが、さすが会津の山の精気を宿したナメコ、クリタケ、ムキタケ達は旨い。市販のマイタケなんかも一緒にいれたが、味が化学調味料くさく感じる。天然物の滋味には勝てん。

 31日(日)7時10分に小屋を出る。雨は降っていないが雲が多く眺望は望めない。30分で三岩岳だ。特に特徴もない山頂である。来た道を戻り、窓明山に向かう。窓明山へは多少薮がかぶるかと思っていたが、ここらあたりは福島国体のコースとなっているらしくきれいに刈り払いがしてある。山頂直下から新しい道が開かれていたが、あまり歩かれていないようだ。窓明山には8時55分に着く。後は小屋に戻って下るだけだが、途中、至近距離で大型動物がガサガサ動く音がきこえる。一同シンとなったが、なにごともなくなぜか足速になる。前号の「岩つばめ」で田代氏が熊の気配を感じたと書いていたが、今回はもっとはっきりしていた。田代氏と私は同行するときは熊に気を付けなければならんのだろうか。
 小屋からの下りはアッというまであった。途中からは登りに使った新道ではなく、尾根通しの旧道をいく。すると新道の登山口より少し手前におりてくるので車道を少し歩かねばならない。登山口付近はちょうど紅葉の真っ盛り、天気も回復し日の光があたっていっそう美しかった。
 帰路は、桧枝岐までいって温泉につかり昼食をとった。観光客もそれなりにいたようだ。東北自動車道は結構込んでおり、帰宅は遅くなった。しかし、今回の山行は目的をキッチリと果たし、ほかに会う人もなく(1日目にキノコとりの地元青年が一人、2日目の下りの途中に登ってきた中年パーティーが一つだけ)充実していたといっていいのではないだろうか。


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