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平成七年春合宿 白馬岳集中
その2 白馬岳大雪渓と雪倉岳スキー山行
井上 博之

山行日 1995年5月2日~5日
メンバー (L)佐藤明、井上

 2週間前に神楽山を一緒に滑ってきたばかりの、佐藤明さんと、また二人で雪倉、白馬へ行くことになった。なんと佐藤さんは今度も、あの扱いにくそうなテレマークでやるという。巻機山の腐った雪と急傾斜の樹林帯をこなして、すっかり自信をつけたようだった。

5月2日
 夜行列車の寝不足がたたって、「眠い眠い」を連発しながらの、蓮華温泉までのアプローチであったが、二人の息が合っていたせいか、快調に飛ばして、早いお着きとなった。
 テントを張ると早速手拭いをぶらさげて、まっ昼間から、お目当ての露天風呂へと急いだ。天気はよく、建物のまったく無い高台にある風呂からの展望がなかなかいい。明日滑ることになっている雪倉岳の美形を目の前にして、湯に浸ってのビールの乾杯は格別であった。
 テント場から「仙気の湯」までは約10分ほどのなだらかな雪の登りなのだが、帰りは鼻歌まじりで駆け下りることが出来る。湯上がりの良い気分で佐藤さんの10メートルぐらい後をついて歩いていたら、急に足下の地面が抜けて落下した。
 一瞬何が起きたのか判断出来なかったが、3メートル弱ほどの空間の底にある岩床でしこたま足腰を打ち、後向きに転倒した。そこは雪に埋まっていた小さな川で、上部が薄くなっている半円形のトンネルになっていた。落ちる瞬間、思わず大声をあげたので、佐藤さんがすぐに駆け付けて来てくれたが、中からは雪のオーバーハングになっていて自力では上がれない。下から見上げると、薄い雪の上から覗きこもうとしている佐藤さんも落ちてきそうだ。
 たまたま通りかかった人から佐藤さんがスキー板を借りて、それで雪の天井を突き崩してくれたので、やっとはいあがることが出来た。
 後頭部を打っていたので心配したが、さいわい打撲以外に怪我も後遺症もなかった。たまたま落ちた場所が濡れていて平らな一枚岩であったのがよかったようだ。
【新宿発(23:50) → 白馬大池着(5:45) → 栂池スキー場よりゴンドラに乗車(8:00) → 栂池の森発(8:30) → 自然園(9:30) → 天狗原(11:30) → 蓮華温泉着(13:15)】

5月3日
 ルートファインディングをリーダーの佐藤さんにすっかりおまかせしての、雪倉のアプローチに特に難しいところはなかった。しかし、途中瀬戸川を渉る時には緊張した。雪解けで増量している川は急流となって、水しぶきをあげている。そこにかかるスノーブリッジはいかにも頼りなさそうだ。いつ崩れるか分かったものではない。佐藤さんが先ず越えてくれたので、私も助走でスピードをあげて、ジャンプをするような気持ちで続いた。昨日の例もある。なにしろ重量級だから、私も大丈夫という保証はないのだ。
 予報では天気が崩れるということだったが、晴れ間すら見える。このように穏やかな日にシールをきかせて、平坦で視界の開けている静かな雪の樹林帯をゆくときには、スキーヤー冥利を味わうことができる。
 トレースが殆どなく、全山貸し切りかと思っていたら、頂上付近に一組の先行パーティーがいるのが分かった。
 上部の雪質は申し分なかった。春の雪倉ははじめてであったが、思ったよりずっとスケールが大きく、山スキーの醍醐味を十分に堪能させてくれた。条件がいいので、写真で見るような、きれいで長大なシュプールが出来る。それを振り返って見ると、何だかスキーが上手くなったような気になってくる。
 谷すじに入ってから、又おもむろに後ろを振り返ったときだった。直径1メートルもあろうかと思われる大きな黒い塊りが、トラバースをしようとしている佐藤さんめがけて、すごい勢いで落下しているではないか。あわてて「ラクー」とどなったら、さいわい佐藤さんは直ぐにそれに気づいて、急停止してくれたので、その雪塊は彼の直前をかすめるようにして落ちてゆき、難なきを得た。あぶなく満点ツアーが台無しになるところであった。
 われわれの食事も作ってくださることになっている菅原隊がすでに到着しているものと期待して戻ったのだが、まだテント場に姿がない。気をもんでいたら、間もなく聞き慣れた元気な声が聞こえてきたので、ひと安心した。歓迎して飛び出したのはいうまでもない。これで今夜はご馳走にありつける。
【起床(3:00) → 出発(5:10) → 瀬戸川スノーブリッジ(6:30) → 雪倉岳頂上(11:00) → 滑降開始(11:30) → 瀬戸川スノーブリッジ(12:20) → 蓮華温泉着(14:00) → 菅原隊到着(15:30)】

5月4日
 天気は今ひとつパッとしなかったが、勇躍白馬岳めざして出発した。すぐに急斜面に取り付く。佐藤さんはスキー板をザックに付け、私はシュリンゲでそれを引きずって登る。
 5月の山をみくびっていた私は、軽量化のためにアイゼンを持って来ていなかったのだが、そのツケは厳しい形で返させられた。固い雪面になかなか兼用靴が蹴込めない。急斜面でのトラバースの時はもっとやっかいだった。風は一段と強くなる。ザックとスキーの板がやけに重い。滑落すれば勿論ただではすまない。アイゼンを効かせて快調に登る佐藤さんには遅れて悪いが「慎重に」「慎重に」と何度も自分に言い聞かせながら、只ひたすら足場作りに全神経を集中させた。疲れた。
 やっと尾根に出た。今度ははい松の群生帯だ。ヤブでは引っぱれないのでスキー板を両手で抱えて歩くことにしたが、バランスが悪くて、強風に二度ほど飛ばされて転ぶ。白馬岳への道は遠かった。
 予定より遅れたために日没を心配していた時、尾根の脇に絶好の天幕場があった。そこからの展望もよい。佐藤さんから「どうしよう」と尋ねられたときには、思わずにっこりとしたが、判断は彼にゆだねた。佐藤さんはしばらく考えていたが、「やはりテント場まで行こう」ということになった。その時は惜しい気もしたが、これは結果的には好判断であった。
 山頂小屋の下にあるテント場にはすでに十数張りの幕が張られていた。大久保隊の姿をその中に見付けたときはほっとした。
 その夜は荒れた。強風で大久保隊のテントのフライが破れたらしい。他のテントも似たような被害を受けているようだった。われわれのテントもやはりかなり強い風の攻撃を受けて、とても安心して寝れるような状態ではなかったが、さいわいトラブルにはならなかった。あの稜線近くに幕を張っていたら、どうなっていたか分からない。
【起床(4:00) → 出発(7:00) → 白馬大池着(11:30) → 小蓮華山(14:20) → 三国境(15:20) → 白馬岳ピーク(16:30) → テント場(17:15)】

5月5日
 夜が明けても、昨夜ほどではないが依然として風が強く、天気はよくない。ガスもかかっている。高度3000メートルに近い周辺には厚い氷さえ張っていて冬山のようだ。危険があるかもしれない。停滞すべきかどうか、しばらく迷った。昼近くになって、何パーティーかがテント場を出て行くのをみて、とにかく、大久保隊とわれわれも和戦両様の構えで出発することにした。
 下山口では先行パーティーがザイルで確保しながら後むきになってそろそろと降りている。
 スキーをつけて思い切りとび出したら、そこはアイスバーンだった。私は最初のターンで何かに引っ掛かり、その衝撃でスキー板が靴から外れてしまい大きく転倒した。おまけに流れ止めの金具も壊れて使いものにならなくなってしまった。危なくスキー板を流すところであった。代わりにシュリンゲで縛って滑りなおしたが、すぐにまた転倒。アイスバーンとやわらかい新雪の入り交じった斜面を滑るのは私の技術では容易ではなかった。
 何度も転びながらも、高度を下げてゆくと、やがてガスが消えて、晴れ間が見えてきた。斜面の温度があがり、今度は重い雪になった。ところどころにデブリもある。ザックがやけに重くて、身体が振られる。疲労困憊している足腰は、ターンをする時におおきな負荷の掛かる遠心力と足下の重い雪に耐え切れない。曲がる度によく転んだ。雪倉岳では一度もヤッケを汚さなかったが、ここでは最悪だ。あげくの果てにはスキー板を両方とも深く雪に突込んでしまい、身動きがとれなくなって、佐藤さんに助けを求めた。
 テレマークの佐藤さんはというと、斜滑降とキックターンで要領よく無難に降りている。それでもよく転んだと言っていた。山靴で下りるよりも早い筈のスキーのほうが、むしろ時間がかかっていた。
 大雪渓の基部までくると、大久保隊はそこでもう1泊するというので、ひとあし先に下山する小林さんに同行、3人で下りることになった。
 山は荒れているというのに下界はよい天気で、バス停までのなだらかな下りは嘘みたいに楽で、たのしい滑りになった。
 佐藤さんとは来年もう一度白馬大雪渓に復讐戦を挑もうと話し合っている。今度は荷物を軽くして滑ることにしよう。もっとも私は来年62才になる。今の体力がまだ維持できていればの話だが。
【起床(7:00) → 出発(11:20) → 猿倉バス停(15:00) → 最終バス乗車(16:01)】


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