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平成七年春合宿 白馬岳集中
その4 スキー隊
山沢 幸子

山行日 1995年5月3日~6日
メンバー (L)菅原、箭内、勝部、高木(俊)、澁谷、山沢

栂池スキー場~天狗原~蓮華温泉~雪倉岳~蓮華温泉~平岩

 2日の夜は横浜の異臭騒ぎのニュースを報じていた。私は重い荷物を背負い山スキーとスキー靴をもって乗り換え駅の階段をやっと昇った。待ち合わせがよく、うまく特急電車が入ってきた、席が空いている、シメタとおもった。電車に乗ったとたん、しりごみをしてしまった、床にはゴミの山、目の前には見るからに浮浪者大きな黒い袋を持って座っている、異臭騒ぎの後では誰も近づかない筈だ。私は大きな荷物を持ったまま動けず、あやしい浮浪者と、充分あやしい私とが向き合って座ったまま、長い長い新宿までの20分間を過ごした。
 待ち合わせ場所は新宿スバルビル前、菅原氏の車に6人で乗り込む筈、ところが箭内氏が現れず、もしかしたらと電車の待ち合わせ場所にも行ってみた。やっと1時間半後に合流できた。待ち合わせ場所を間違えたとのこと、でもそのおかげで電車で行く他パーティーと元気な顔を合わせられたし、蓮華温泉でビール1本ずつごちそうになれたし、何でも吉。11時半頃新宿出発、すぐ渋滞に巻き込まれる。府中インターから一般道へ降り、大月インターから又高速へ乗り、栂池スキー場へ着いたのは朝6時頃だった。ちょっと仮眠していると大久保隊に起こされる。大久保隊は朝一番のゴンドラでいってしまった。我々は8時半頃出発、荷物の重さでゴンドラ代が加算されるというので量りに乗せてみると、19キログラム。失敗した!前夜飲むはずだったお酒とつまみまで持ってきたのがバカだった。
 天狗原までの登りは寝不足のうえ、身体の重み、リュックの重み、ウェアー、靴、スキーと合わせれば100キログラム近くなるんじゃないだろうか、地獄の責苦とはこういうことを言うのではないか、などなど考えながらただただ耐えた。地獄の道のその上を天国のごとく轟音を響かせながらヘリコプターが何回も何回もスキーヤーを天狗原まで運んでいる・・天狗原で12時の交信、交信できず振子沢の下りにかかる。私は1回こければ荷物の重さで起き上がれないだろうと思い、絶対に転ばないよう自分に誓い、ボーゲンでそろりそろりと下っていった。その後方から追い越して行った一団のテレマーカー、先頭の人のなんと優雅でむだのない滑り、スキー板にきれいに乗り、そのシュプールは写真に撮りたいほど。5~6人いただろうか皆若く全員うまい、私もテレマークスキーの魅力に一瞬クラッときた。とにかく蓮華温泉の幕場へ着き、井上・明隊と合流しさっそく宴会が始まった。みんな20キロの荷物に苦しめられたことなど忘れて、ベースまではと運んだ酒やつまみが出るは出るは、カッチャンのシシトウ焼きやキュウリのねりうめ乗せ、箭内氏の中華クラゲサラダ、私はもちろん銘酒〆張鶴にスルメと漬物、等々飲み切れないほど食べきれないほど出てくる、三峰はすごいなあ!夜7~8時が女性のお風呂の時間だというので私と澁谷さんはお風呂に行く。帰ってきたら全員寝ていた。(長い一日だった)
 夜中じゅうものすごい風が吹き荒れていた。多分今日は天気は崩れているだろうと思い目を覚ますと外を見た。ところがまあまあ良い天気、夜半の風で天候のスピードが早まり回復したことを期待して6時半5人で雪倉岳めざして出発した。(勝部氏は前日足首をひねってしまい、一人で温泉ざんまいとつまみ作りとあいなった)蓮華温泉泊まりのスキーヤーも多く、兵馬平で朝日岳へ別れていく。登り下りが何度か続く、しかし、川を渡るスノーブリッヂがなかなか見つからない。やっと渡れそうなスノーブリッヂの所に、あちこちからスキーヤーが集まって来ていた。
 一団となったスキーヤー達が上方に向かい、次に休む所は一緒で大滝の下、スキーをはずす場所となった。大滝の急な斜面に4~5パーティーが登り始めていた。ちょうど9時25分の交信時間となり菅原氏は大久保氏と交信。私はスキーを脱いでザックにくくりつけていたちょうどその時、突然大声、ナダレだ、スキーとザックを引っ張って横に逃げた。その隣を畳一枚ほどもあるブロックが2個ゴロゴロと転がって行く。突然高木氏が後方に転んだ、小さなブロックに胸を突き飛ばされたという。メガネが飛ばされ頬から血が流れている、大丈夫という声でほっとする、スキーをはずしていて逃げきれなかったという。沢の真ん中にいた人達は、スキーもザックも置いたまま逃げた、幸いブロックの下敷きにはなっていない、下になったら取り出せないところだったと言っていた。
 滝の上部にいたテレマーカー達の様子が何かおかしい。3人がナダレに巻き込まれ、雪のシュルンドにちょうどストンと落ち込み、その上をブロックが通過して行ったとのこと、九死に一生を得たとはこのこと。でもシュルンドも深く、なかなか上がって来ない、他パーティーも心配して声をかけている。しばらくして3人目がやっと顔を出した。休んでいたみんなはホッとした、3人のうち1人は女の子だった。そこでショックをうけたのか、そのパーティーはしばらく休んだ後下っていったようだ。
 谷の雪渓登りはもうビクビク、キョロキョロわき目をふりふり休憩もせず、安全なハイマツ帯までがむしゃらに登った。ここから上部はもう真っ白、空も白い為、雪倉の尾根と空とか区別つかずにドーンとせりあがっている。
 前の人の踏み跡を忠実にたどっていく、急登はカリカリ堅い。先人は軽快なシュプールで滑り降りて行く、するとシャーと氷の粒が風で降り落ちて来る。みんなうまい、ボーゲンやシュテムターンなんて1人もいない。
 頂上直下で12時25分の交信時間となり、交信するも明氏しか届かない、イブリ山隊の人達はどうしたのだろう、これだけ近くて届かないとは!
 頂上には1時ちょっと前に着いた。イブリ山~朝日岳~雪倉~小蓮華~白馬と稜線がよく見える、でも風が強くて寒くて長い時間いられない、感激のビールも飲まず、記念写真だけして下り始めた。井上氏と明氏に話では前日は程良い雪質だったとのこと、ところが今日はツルツルのピカピカ、エッヂなど全然きかない、転ぶとどこまでも滑り落ちていきそうだ。それでもゲレンデは広く気分は爽快、緊張しながらも滑って行く。
 箭内氏は快調、菅原氏はテレマークの板でエッヂがきかず苦戦、澁谷・高木氏は優雅にマイペースにスイスイと降りていく。それでも途中からは雪もほどよくくさりはじめ、楽しいと思えてくる。あの急な谷と大滝さえも、上部のツルツルと比べくさり雪では快調に飛ばせてしまう。ゆっくり下っていたのに大滝の下部まで1時間位で着いてしまった。それでも我々はラストパーティーになってしまっている。ゲレンデスキー靴でさっさと登り、あのツルツルをパラレルやウェーデルンで降りてしまう、ゲレンデスキーヤー恐るべし。時代が違ってきたのかな。
 帰路は登路と違い、登り下りのないトラバースルートで時間を稼ぎ、ベースへ着いたときには『赤のれんカッチャン』ではベーコンとシシトウのいためものが待っていました。その夜の宴会では全員がイナバのシロウサギさながらペロリとむけた足の手入れとテーピングにあけくれました。
 夜半から雨が雪に変わり、5日の朝はまだ降り続いていた。朝日岳はむりなので今日帰る箭内・渋谷組と一緒に下ることとなった。
 下る道々天候も回復して、青空となり雪倉岳がよく見える。よくもあんな頂上から滑って降りてきたものだと我ながら感心する。長い林道滑りも楽しみながら下りられる。途中からブナの木の芽吹きがでてきた、青く澄んだ空、灰色模様の幹、真っ白な雪、ほんのちょっと芽吹いたブナの黄緑、少し下ると黄緑の色づきが良くなり、もっと下ると本当の新緑。あの色の妙といったらない!その先の沼では水バショウとフキノトウ・・・・そろそろスキーで雪を探すのがむりになってきた。
 林道でスキーをかつぎ、木地谷部落でワゴンタクシーをひろい平岩の駅についたのは2時だった。
 電車で帰る澁谷さん達と別れ、我々4人は白馬で食事をし、みみずくの湯に入り時間をずらせて帰ろうかとしたが、白馬からもうすごい渋滞、菅原氏はむりと判断(5日の渋滞は夜中の1時まで続いたそうだ)どこかで仮眠して明朝早く出発することとする。そうなると早い。勝部シェフのナベ材料とビールを仕込みにスーパーへ行き、水をつめ、猿倉へ向かう川原沿いでテントをはりおえたのは30分後位か。酒はあるあるつまみもある、豪華なナベはある、3日目の宴会も静かにはじまりました。
 そんなとき話題になったのがラジオで言っていたこと。7時半頃新宿で青酸カリ入りの袋が燃えていたとのこと。箭内さん・澁谷さんは大丈夫だろうか、電車は6時半に新宿だから多分大丈夫だろうということとなる。
 翌朝3時出発で、道もすいていて、途中食事をしても東京へついたのは7時半でした。菅原さん、みなさま、おつかれさまでした。


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