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平成七年春合宿 白馬岳集中
その6 イブリ尾根隊
服部 寛之

山行日 1995年5月3日~6日
メンバー (L)服部、山本(信)、野田、鈴木(章)、笠原、小幡

 白馬岳から日本海へ延びる北方稜線上の朝日岳、そこからほぼ西北西に伸び出た山脚がイブリ尾根である。尾根は肩に前朝日、中腹にイブリ山を乗せ、その先端は北又川に洗われている。イブリ尾根に取付くには、小川温泉元湯から越道峠を越えて北又ダムまで林道を入らねばならない。夏ならダムまでタクシーが入るが、春はもちろんテクシーで行くしかない。小川元湯から林道を辿ってこの尾根を上り、朝日岳、雪倉岳、白馬岳と縦走し、大雪渓を下りて猿倉へ出るのは、30kmを超えるロングコースだ。

5月3日(曇りのち雨のち夜晴れ)
 上野駅前夜21時55分発の急行加賀は泊に4時40分過ぎに到着した。「なんで山屋がこんなところで降りるんだ??」というギネンに満ちた乗客らのねぼけ眼ずぶどろ光線の照射を受けつつホームの人となる。泊というのは日本海沿いに走っている北陸本線が新潟から富山県側にはいって最初の駅だ。行政的に言うと、富山県下新川郡朝日町泊というところらしい。といってもこの辺は馴染みがないのでやはりよく分からない。朝日町というのは朝日の昇る方向に朝日岳が見えるからそういう町名なのだろうか? 天気はくだり坂で頭上はすでに曇り空、少し前に車窓から見えた日本海も重い鉛色のモノトーンに沈んでガスにつつまれていた。30代もおしつまってくると夜行は疲れて困る。なんだかずいぶん遠くに来てしまったようで、すでにひと仕事終わった気分だ。待合室に入るとすぐ予約していたワゴンタクシーがきた。すばやくタクシーの人となって小川温泉元湯に向かう。
 ウトウトする間もなく15分で元湯に着いてしまった。地図から想像していた元湯はいい具合に鄙びているはずであったが、実際は鉄筋のビルが谷間にどおんとそびえ立っていて情緒もへったくれもない。テッコンキンクリートビルというのはどんなに外回りを旅館風につくろっても本質的に無機質なので部屋にいても魂が心から休まるということがなくてこーゆー田舎の宿なんかには不向きなんだよな、などと思いつつ朝メシを喰って出立の支度を整える。
 5時35分出発。元湯の裏から始まっている林道はきちんと舗装されているが、雪解けによるものか落石があちこち散乱していてとてもくるまが走れる状態ではない。元湯の泊まり客らしき人々がところどころ釣りやら山菜取りやらにはいっている。小川沿いのうねうね道をたらたら山に分け入って行く。山桜の淡い桃色が周囲の若い緑に映えて美しい。やがて林道は右手の尾根にとりついて大きく高度を上げ、小川の流れは左手谷底に遠くなった。前方1km強に越道峠の鞍部が見えてきたあたりから林道は大量の雪に埋まっていた。通過に思わぬ時間を食う。
 越道峠から先は全面的に雪景色となった。峠に立つと、だらだらと下っている雪の詰まった谷向こうにこれから登るイブリ尾根が急傾斜で立ち上がっている。その上に前朝日らしき白いピークが良く見えている。歩きにくい腐った雪を踏んで北又ダムの吊り橋に9時55分到着した。やっと取付きだ。やれやれだわい。
 一本取って、重い腰を上げる。象さんでも大丈夫なくらい頑丈な鋼鉄の吊り橋を渡って、いよいよ登高開始。最初夏道は雪に埋まっていたので、斜面を適当にあえぎ登る。少し登るとところどころ切れ切れに夏道がでてきて幾分歩きやすくなった。このコースを提案したゲンさんは張り切っていて先頭を行くが、夜行で来た縦走初日はいつもそうだが、みんな重い荷物にピッチがぜんぜん上がらない。たびたび積極的に休憩を提案するゲンさんに早口のアッコさんがハキハキぶつくさりながら、なんとかペースを保って登って行く。上るにつれ雪が多くなってくる。やがて雨がパラついてきたもののじきに五合目のブナ平に到着(2万5千図の1305m地点)。雪に埋まったぶなの巨木の間に幕を張り終えると雨が本格的に降ってきた。ぎりちょんで濡れずに済んだ。
 夕方雨があがり、蒼色の空の彼方に細長い茜色の夕焼け。夜テントから見上げるとぶなの枝を透かして星が見えた。明日は天気が良さそうだ。うれしいな。

5月4日(晴れ、風強し、夕方より雪)
 5時10分出発。起きぬけでメシ喰ったばかりなのにいきなり長い急登を重い荷物を担いであえぎ登る。高度も体温も急上昇で、山登りは身体に悪いというのが身体中で納得できる。「・・・・・だいたい山へ行きその俘となってしまうような人たちは、世間の常識はずれであるのが当然である」と深田久弥さんは書いているが、オレも世間の常識はずれのはしくれなのであろうか? 驚きである。
 あえぎ登ったところがイブリ山。一本取るが、まだまだ先は長い。広い頂上の先に前朝日のなだらかな大きいピークが二つ並んで立っているが、前朝日へは一旦鞍部に下りてなが~い急斜面を登り返すことになる。ルートははっきり見えていて急斜面の先の広い尾根にも迷う心配はないが、見えているだけに溜息が出る。こういう雪山景色は行ってみると見かけよりもずっと距離があるものなのだ。
 ものを考えると時間のたつのが遅いのでアタマをパー化して長い雪の斜面をひたすら登って行く。上るにつれ風は強くなり、足の速い野田さんと小幡さんが風を避けて休んでいる樹の陰にやっとたどり着いてみてもやはり風は強かった。
 そこからは90度方向を変えて前朝日に向かう。地図の夏道は前朝日の北側を捲いているが、雪崩れるとやばいのでピークを越えて行く。ピークに出ると、眼下の朝日岳との鞍部に雪に半分埋まった朝日小屋が見えた。
 9時10分朝日小屋着。中には入れないので、玄関のひさし横で一本取る。9時25分の交信で明氏と大久保委員長と連絡がとれた。菅原氏の前方パーティーがブロック雪崩に遭ったとかで一瞬緊張したが、だがみんな何とか無事やっているようなのでひとまず安心する。
 朝日岳へは直登する道と南側を捲いてピークをチョンボする道とがあるが、ゲンさんと相談した結果めったに来ることもないからちゃんとピークを踏んで行こうということになって、再び上りにかかる。朝日岳の頂上は這い松の中で、踏み荒されて広がりつつあるハゲ地をなんとか食い止めようと木道が敷設されていた。ピークには山スキーの数パーティーが蓮華温泉からピストンで来ていたが、残念ながら五輪尾根方向はガスって視界が悪かった。
 ピークの立派な看板の前で全員で記念写真を撮り、強風の頂上を辞する。山頂から赤男山の鞍部(小桜ガ原)までは400mを一気に下る。アイゼンが腐り雪のだんごを食ってバランスが取りにくい。鞍部に下りたところでどうするか迷った。赤男山はほぼ夏道どおり南西側を捲いて行けそうだが、この先幕を張れそうなところは雪倉岳を越えた向こう側の鞍部までない。そこまでハイキングマップには3時間弱と記されているが、この腐り雪では到底それでは行けそうになく、すでに半日歩いて疲れも出てきてきびしくなりそうなので、まだ11時45分でちょっと時間は早いがここで幕にすることにした。ここは風も当たらずお日さまポカポカなので、のんびりと念入りに整地する。3時頃だったか、雪倉の方からスキーの2~3人パーティーが来て、少し離れたところに設営した。夕方6時過ぎから雪が降り始め、次第に激しくなる。新雪が積もると明日の雪倉の急斜面が心配だ。鞍部に下りてしまったためか、無線が入らない。

5月5日(雪のち晴れ、風強し)
 3時(だったと思う)に起床。雪は相変わらず激しく降っているが、何時でも出発できるよう朝メシを済ませる。明るくなっても降雪は止む気配がない。ラジオの天気予報では急速に回復に向かっているはずで、今は低気圧のシッポが通過中のはずだと思いながらうだうだしていると、10時頃雪が止んで雲の間から陽ももれ出した。しかもうまいことに、雪倉の方から2~3の縦走パーティーがやってきて、ラッセルの心配もなくなった。しめしめ。
 10時25分出発する。すぐに6~7人の一行とすれちがい、挨拶を交わす。白馬から来た新潟山岳会のパーティーであった。
 オレは勘違いしていたのだが、雪倉の上りは幕場から見えていた北斜面西側の急登を直登するのではなく、赤男山と雪倉の間の鞍部を一旦東側に抜けて北斜面東側にある傾斜の緩い尾根を登るのであった。その鞍部を抜けて上りの尾根に取付く際には、さらさら雪をまき上げながら東から西へ吹き抜ける烈風を正面から受けて少々苦労したが、ベテランの野田さんが先頭に立って皆を引っ張ってくれた。サスガであった。風当たりのよい尾根は中ほどまで夏道が出ていて登りやすい。下を向いて登っていると、ヘリの爆音が聞こえてきた。振返って見ると、誰かの捜索なのか、ヘリが朝日岳の沢すじを舐めるようにたどっていた。
 稜線に出ると東よりの風はますます凄まじくなった。だが低気圧通過後の青空の下は気持ちがきゅるるっとするほど澄んで、展望はすばらしい。13時50分雪倉岳山頂着。じきに白馬の方から若い男3~4人のスキーパーティーがやってきた。山頂で記念写真を撮って出発。30分の下りで雪倉の避難小屋に到着。
 避難小屋は手前も奥も二部屋とも雪が半分詰まっていた。今日はここに泊まることにして、手前の部屋の雪を全部切り出す。スノーソーがこんなところで役立つとは思わなかった。小屋の入口前にはスノーブロックの小山ができて、空になった部屋にはドームテント、奥の部屋の雪と天井の隙間に2~3人用を張る。小屋の中は外の強風がウソのようで、まったくありがたい。だが今日は稜線に出たというのに、どうした訳か何度やっても無線が通じない。もうみんな先に下りてしまったのかいな? 薄情なやつらめ!

5月6日(晴れ)
 5時25分出発。左手に小蓮華山の稜線が高い。鉢ヶ岳はほぼ夏道通り東側を捲く。当初三国境に荷物をデポして白馬をピストンし栂池に下山しようと思っていた。足の便を考えると猿倉より栂池の方がタクシーをつかまえやすいと思ったからだ。だが、どうせ白馬に登るのならということで、そのまま白馬を越えて猿倉へ下りることになった。
 よく踏まれたトレースをたどって8時10分、白馬岳登頂。やったぜベイビー。とうとう来ました白馬岳! 嬉しくなって全員と握手してまわる。実はオレは白馬岳は二度目の挑戦、ゲンさんは実に四度目の挑戦にして登頂できたのである。白馬はゲンさんにもオレにも思い入れがあるのだ。以前91年の春合宿で共に大雪渓を登り、途中で大雪に閉じ込められ命からがら逃げ帰ったというスネキズの思い出がある。その後ゲンさんは再度白馬を目指したが果たせず、今回イブリ尾根からの縦走で再び挑んでいたのだ。だからこの登頂はゲンさんにとってはオレ以上にヨロコビが大きいのだ。誠にバンバンザイなのです。野田さんはウヰスキーで目標ピーク登頂を静かに祝っている。「ウヰスキーはですね、白馬なので、ホワイトホースなんです!」(ジャンジャン)ザックに忍ばせていた三峰の旗をピッケルにしばりつけ、皆で思い入れたっぷりに登頂写真を撮った。
 村営小屋まで下りて大休止にする。幕場にはやはり我が三峰パーティーの姿はない。連絡も取れてないというのに下山しちまうとは、薄情者メが、メモくらい残しておけってんだにゃろめ。
 大雪渓を下り始めて間もなく、ゲンさんが他パーティーとの連絡が取れて大久保パーティーは下のバス停におり金子パーティーは杓子から下りてくるところだと言ってきた。一寸はイカリがおさまる。途中の急斜面で腐り雪に手こずるというか足こずってしまったため時間を食い、そのうち金子パーティーの連中に追い越されてしまった。以前大雪で逃げ帰ったときホワイトアウトのこの斜面を下りたはずだが、あのさらさら雪の中こんな急勾配を下りてきたのかと思うと改めてゾッとする。ゾッとしてもしかしこう暑くては冷汗もかけないのだ。
 アヂアヂ化した身体を少々冷ましてから、白馬尻の台地上にテントを張っている金子パーティーに束の間の別れを告げ、猿倉荘を経てヘリポート前のバス停を目指す。タクシー無線で2台呼んでもらい、みみずくの湯へ直行。山行の疲れを湯に溶かしたあとのヨロコビの一杯がシミジミうれしかですねこれが。そんな極めて小市民的ヨロコビにうれし化しつつ駅前の食堂に行きこれまた極めて小市民的な昼メシをうれし化喰いして、特急で帰った。
 今回このロングコースに笠原さんがいた。途中でバテるかなと心配していたのも杞憂だったようで、最後まで元気に歩き通した。ついこのあいだ行者小屋への雪道でコケまくってメガネ壊してバテていた時分からみると随分しぶとくなったものだ。
 今回このコースは小川元湯から入って猿倉へ下りたが、行くんだったら逆行った方がぜんぜん楽です。帰宅後地図でコースの上り下りの高低差を調べたら、トータルで3652m登って2772m下ったということが判ったのだ。山行計画を立てるときは事前に全行程の高低差をよっく調べてどっち行った方が楽かよっく考えるべきっすね。でも今回はこれで良かったのだ。逆行ってたら白馬集中にならなかったもんね、・・・どう考えてみても。
 みなさん、お疲れさまでした。ホントに。

〈コースタイム〉
3日 小川温泉元湯(5:35) → 越道峠(8:20~40) → 吊り橋(9:55~10:10) → ブナ平(1310m)(13:25)(幕)
4日 ブナ平(5:10) → イブリ山(6:50~7:00) → 朝日小屋(9:10~40) → 朝日岳(10:45~11:10) → 小桜ガ原(11:45)(幕)
5日 小桜ガ原(10:25) → 雪倉岳(13:50~14:00) → 雪倉避難小屋(14:30)(幕)
6日 雪倉避難小屋(5:25) → 白馬岳(8:10~20) → 村営頂上宿舎(8:40~9:10) → 猿倉荘(11:50) → ヘリポート前バス停(1130m)(12:10)

JR(東京→泊) 乗車券5970円、急行券1240円
タクシー(泊駅→小川元湯) 5100円
タクシー(ヘリポート前→みみずくの湯) 2960円
JR(白馬→八王子) 乗車券4220円、特急券2270円


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