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はじめての雪洞 ― 谷川岳・天神平
小堀 憲夫

山行日 1995年2月25日~26日
メンバー (L)井上(雅)、藤井、佐藤(明)親子、小林(章)、小堀

 楽しみにしていた阿弥陀岳・南稜が、パートナーの城甲さんの風邪で翌週に延期になり、お預けを食らった犬の気分だった。花の金曜日、早々に会社を引き上げ、気分だけでもと思い、いつも山へ持っていくシェラカップで酒を飲みながら家族と夕食をとっていた。そこへ小林からの電話。「コボチャン、スキー持ってきな。」「えっ?」・・・そう言えば、彼が谷川の例会に行くと言っていたのを思い出し、昼間会社から電話したのだった。一応スケジュールは聞いてみたものの、我家では二週連続の山行にお許しが出る訳はないのだ。「来週は南稜だし、二週連続はキツいなー。やっぱし。」そう言って電話を切ってはみたものの、「いいなぁ独身は。アイちゃんは谷川で雪洞だってよー。」と未練がましくグチグチ言っていた。す、すると、何と信じられないことに敵はかくのごとくのたまわった。「そんなに行きたいんなら行ってきたら。」・・・「?!。うん、行ってくる。」その瞬間から5分後にはもう家を出ていた。途中、上野駅で偶然サリーちゃんのパパ(藤井さん)に会い、登頂ペアができて良かった良かったと話しながら(後のメンバーは全員スキー、我々は雪上トレーニングで登頂を選んだ)、二人で高崎駅へ。その夜は先に着いていた小林、後から来た井上さん達とおとなしくビバークした。
 翌朝、湯桧曽駅からバスで谷川岳ロープウェイ駅へ。天神平はスノーボード大会を翌日にひかえ、英語、ドイツ語、フランス語、??とインターナショナルに賑わっていた。天気はまずまず。ロープウェイをおりたすぐわきの斜面にさっそく雪洞を掘り始めた。本や雑誌で読んだことはあっても、とにかく初めての体験である。なるほど、なるほど、こういうふうにやるのか。と子供のころに戻って心の中は大はしゃぎだ。(でも、40歳にもうすぐなろうとしているオジさんは、体面上、そう無邪気にはしゃげないのです)まずは井上さんのお手本。後は交代で掘り進む。最初はテントの入口ほどの通路を2メートル程掘り、その後奥に部屋を広げる。中腰のままの力仕事はけっこうキツイ。掘るのを交代した後は、外で待機して、中の人が掘り出した大きな雪のブロックを雪の斜面に大きくころがす。その眺めはなかなか壮快。4人とも少し汗ばみ始める。部屋の床を平らに。天井が薄くなり過ぎないよう、あまり壁を広げ過ぎないよう、井上さんの指導が続く。「よーし、もういいだろう。今までで一番大きなのができたよ。」井上さんの声に、子供に返ったおじさん達は、先生にほめられた生徒達のように、にんまり満足そう。その後も、入念に仕上げをほどこしていた藤井さんは、性格か仕事柄か?となりに佐藤明父子のためにもう一つ小さめのを掘った後、スキーペアと、登頂ペアに分かれて遊ぶ。我々登頂ペアは、尾根まで登って明日の為に軽くウォームアップ。戻ってビールを飲んでいると、やがてスキーペアとそれに合流した佐藤親子が帰ってきた。その夜の宴会での発見。1、雪洞は意外と静かで暖かい。2、壁に適宜穴、棚等を作れるので小物の整理に便利。3、雪が臭いを吸ってくれるので、屁をこいてもそれほど臭くない?
 目が覚めると目の前に天井が迫っていた。急に息苦しくなって、すき間と化した入口を這い出て用を足した。天気はあまりよろしくない。朝食の後、スキー組と登頂ペアに分かれて出発。ゲレンデではスノーボード大会の準備が始まっていた。藤井さんと昨日つけた踏み跡を辿って稜線へ出る。昨日ははっきり見えた谷川岳も、ガスっていて輪郭さえ分からない。ええっい、ままよ!とそっちの方向へラッセル開始。登に従ってブリザード状態になって行く。所々に立っている赤旗が無かったら敗退せざるをえなかっただろう。途中、時々視界が開けると、西黒尾根南面に縦に深くクラックが走っているのが見える。頂上近くでアイゼンを履く。頂上には一応着いたが、風雪に追いたてられ、息つく暇も無いくらいに来た道を下った。途中踏み跡が見えなくなり、ザンゲ沢側の雪庇に近づいてしまったりしたが、無事安全な鞍部までたどり着いた。そこで藤井さん、おもむろに携帯電話を取り出し、「もしもーし、オレだ!今谷川岳の頂上だ!吹雪で遭難しそうだ!」さっき稜線へ出た地点を通り越し、ゲレンデの真上へ出て、ハデにしり制動をきめて、最後をしめくくった。
 昼メシを終えてからスキー組と合流、ICI石井の寮で風呂に入ってから土合の駅で列車に乗った。もちろん、雪洞の跡は落とし穴にならないように、ちゃんとくずしてから帰ったので、御安心を。


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