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栗駒山 花と山菜と温泉の旅
小林 章弘

山行日 1995年24日~25日
メンバー (L)福間、勝部、山沢、三上、澁谷、水田、杉田、渡辺(里)、小林(章)

 土曜朝6時半東京駅ホーム集合、朝寝坊が心配であったが間に合った。今回はなんと往復新幹線の豪華山行。「ウィークエンド切符」というのがあってずいぶん安い。JRの「トクトク切符」のひとつだが、これは出掛ける前には要チェックですねー。福間さん、教えてくれてありがとう。
 さて、栗駒高原駅に降り立つと、私たちを待っていたのは「歓迎福間様御一行」の立て札を持つおじさんだった。ワゴンタクシーを予約したら、こうなったのでした。それにしても、これが、この山行の性格を物語るのであります。ルートは、いこいの村より笊森避難小屋(裏掛ルート)。何年か前の地図に点線がついていて、その後整備されたらしいとのことだが、私の地図には載っていない。タクシーの運転手さんも登山口を見落としたりして、結局登り始めは11時過ぎとなりました。
 林道をしばらく行き、川筋に降りると、温泉の硫黄臭がする。帰りの温泉に期待をしつつ笹薮へと進む。ところが、やはりマイナールートの運命で、途中で道がわからなくなってしまったりして、ちょっと右往左往。まあ、ようやく正規ルートに戻って、所々水浸しの笹薮を進むのでした。勝部さんと山沢さんはネマガリダケをとりながら夕食に備えるのであった。この山の植物は実に元気。木も草も皆、生き生きしている。イワカガミなど、他では見たことがない程大きい。今晩のつまみを期待しつつ登ると雪渓が現われた。ここで一休み。この程度の標高でまだ、これほどあるのだから今年は、あるいはここら辺は雪が多かったのだろう。山スキーに最適の斜面で、次シーズンは絶対来るぞと誓ったのでした。
 雪渓は途中何ヶ所かあってトラバースしましたが、新人の杉田さんは難儀していました。その様子の写真を撮ったら怒られてしまった。ごめんねー。
 花盛りの登山道を写真を撮りながら、山菜を採りながら進むと、向こうの尾根に小屋が見えた。ところが、小屋に行く道が見つからず、薮こぎとなってしまった。たいした距離ではありませんでしたが、皆、「ただのハイキングだと思ってたけど、さすが、福間さん、ひとひねりしますねー」とリーダーを称えるのでした。
 小屋到着は3時頃(ここで一言。実はこの文章は4ヶ月もたって書いているので、時間が不正確になってしまいますが、許して。)小屋は避難小屋という名前でも、とっても立派。地元の愛好会の人が整備しているようで、ストーブ、無線のアンテナまであるのにたまげた。おまけに今日は我々だけで小屋は貸し切り、なんといっても今日は山の中で人っ子一人会っていない。新聞紙の上に一杯に広げた山菜(ネマガリタケ、ゼンマイなど)の皮むき、水汲みなど手分けして行ううちに夕方に。さてこれからは宴会タイム。採りたてのネマガリダケのうまいこと!小屋備え付けのバケツに雪で冷やしたビール、ワイン、日本酒がうまい!山沢さんがオリジナル歌集をもってきていて、外で夕日を見ながら歌の時間が続く。(中略)結局手持ちの酒は全部飲んでしまった。(水田さんのザックを捜索したりして。)
 さて、翌日は曇りもよう。頂上へは1時間ほど。大した傾斜はない。むしろ、広々とした所では道が交錯しているところもあり、ひどくガスっていると迷いそう。頂上は広く、反対側の須川コースから登ってきた人が結構いた。(古い標識には「酢川岳」とあり、これは川が硫黄泉を含むということだろう。)
 温泉目指して下り始めると、来るわ来るわ、ジャンジャカと人が登って来る。家族連れ、中高年登山者、ここはまさしくハイキングコース。あっという間に、爆烈火口に出来たという昭和湖に到着。ここでも元気なイワカガミが花盛り。木道を歩いて湿原を越えると間もなく温泉センターに到着。しかしその手前で、おいらんブロなるものがあり(穴から湯気が出てその上に横たわるものです)、一同背中を出して湯気を当ててリラックス。
 須川高原温泉で一風呂浴びて一路帰京、とはならず、「運転手さん、平泉回って!」の一言がリーダーより出ました。
 平泉観光で今回の山行はフィニッシュ。


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