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経ヶ岳(中央アルプス)
水田 洋

山行日 1995年10月1日
メンバー (L)水田、服部、小幡、渡辺(里)

 かねてから行きたいと思っていた経ヶ岳を例会に登録したはいいが、果たして参加者がいるか不安だった。人が集まらなくて例会が潰れるというのはリーダーにしてみればやっぱり淋しいものである。
 しかし、予想に反して私を含め4人も集まり、三峰の懐の深さを感じたわけであるが、どうも参加者は皆『中央アルプス』という言葉にひかれたようだ。けれどこの山は、中央アルプス主脈といっても2296mしかなく全山を黒木と笹が覆っているチョー地味な山であり、アルプスのイメージからは掛け離れているのである。
 ともかく、予定通り9月30日(土)の新宿発急行アルプスに我々は乗り込んだ。車内で酔っぱらったオッサンとひとモンチャクあったが、開けて10月1日(日)の3時半過ぎに辰野駅で下車、仮眠をと思ったが寝るような場所もなく、5時まで各自プラプラと時間を潰す。5時、寝ているタクシーの運ちゃんを起こし、登山口である三級の滝入口まで入る。途中、雨がかなり強く降っていたのでタクシーの中で私はイヤーな感じでいたが、他のメンバーは熟睡している。
 5時40分に登山口に着くが、沢の中なのでまだ薄暗い。雨はなんとかやんだようだ。経ヶ岳の登山道は伊那の羽広からが一般的であるが、今回その道は下山に使うことにして、平成4年10月に拓かれたばかりの黒沢谷コースを登りに使う。こちらの方が所用時間も長く地味で人が入ってなさそうなので、尾根とはいえ結構面白そうだ。
 道はしばらく沢沿いにいく。踏み跡がはっきりしておらずルートを外さないように注意する。歩き始めて15分で三級の滝に出る。名前の由来は知らないが三級の技量では登れそうにない。1時間10分程で林道を横切り、さらに10分程歩くと尾根に取り付く。森が深く静かで道も荒らされておらず、いい雰囲気だ。急登に苦しむかと思ったが、1時間強で黒沢山から続く稜線に出る。目指す頂上はまだ遠い。稜線からは道ははっきりしているが笹がかぶっていて先頭を行く私の膝下はビショビショになる。黒沢山を絡んで越えると道は南下し、二つの小さなコブを越えて、伊那からの登山道との合流点に登っていく。途中鹿に驚かされたり雨がぱらついたりしたが、10時45分歩き始めて約5時間で頂上に着く。メンバーが決まったときから心配はしていなかったが、体力、気力ともに十分で順調な行程である。
 頂上は、名前のとおり信仰の山らしい祠や剣がある。北面は樹林で展望がなく、中ア、南ア方面は視界が開けているが、中ア主脈はガスの中である。写真を撮り、しばらくのんびりしてから下山にかかる。頂上直下の笹原の道は、登山道脇の笹が焼き払われたように黒枯れしていて痛ましい。下山はポピュラーなルートなので歩きやすい。足が前に出るままに下っていき、展望のよい小ピークで休憩する。まだ12時を過ぎたばかりなので、予想よりかなり早く下界のビールにありつけそうだ。さらにどんどん下っていくと、植林された樹林帯になり麓がちかいことが分かる。道が林道のようになるとひょっこり、仲仙寺という寺の境内に出た。寺の中を突っ切ると廃校となった小学校(今は公民館になっている)の前が駐車場となっていて電話がある。タクシーを呼んでほっと一息、まだ2時にもなっていない。
 さて、公民館からほんの50mのところに酒屋がある。小幡さんが早速ビールを買いに一っ走り、タクシーを待つ間ビールで乾杯する。その後は、伊那市駅から岡谷にでて、飯を食いながらもう一回乾杯して帰京した。
 今回の山行を振り返ると、途中だれにも人に会わず、思ったとおりの静かな山が楽しめたこと、それと渡辺譲の『乗物に乗った瞬間に眠ってそのまま爆睡』という寝姿に一同感心してしまったことといえようか。ともかく、次も地味な山に行こうという気にさせてくれるいい山行であったことは間違いない。

〈コースタイム〉
登山口発(5:50) → 尾根取付点(7:20) → 黒沢山直下(8:50) → 登山道合流点(10:15) → 経ヶ岳頂上(10:45~11:15) → 1915m地点(12:10) → 仲仙寺(13:35)


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