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集中山行『甲斐駒ヶ岳』
その3 鋸岳ルート変更北沢峠なんてこっ隊
服部 寛之

山行日 1995年9月15日~16日
メンバー (L)服部、水田、山沢、澁谷

 「なってこったぁ・・・」
 15日の早朝テレビの天気図は、本州中部太平洋沿岸に停滞する前線とその南海上を中部山岳方面に向け北上してくる台風の予想進路を示していた。
 自分の例会なら即時中止にするところだ。だけど今回は会の集中で、他のパーティーはすでに全て出発してしまっていて連絡も取れない。仕方ない、とりあえず行くだけ行くか、と思って家を出た。
 鋸岳ルートのメンバーは小生のほか、水田氏、山沢さん、澁谷さんの4名。待ち合わせの特急に八王子から乗ると、意外にもデッキまで人があふれており、混雑の中車輌の切れ目の人々の足元に一見遠慮がちにドスンと横たえたザックの上にデンと座った澁谷さんがすぐ見つかった。あとの2人も車内にいるとのこと。キジ場の向かいの洗面所前までもぐり込み、甲府まで文庫のシーナ本を寄っかかり読みする。
 オレの計算では、この「あずさ53号」は9時05分に甲府に着くからタクシーで急げば10時30分広河原発の北沢峠行きバスに間に合うはずであった。しかし・・・・・。
 改札口の外で待つわたくしをイラつかせしめたのは、なかなか出てこない2人にかけられた自然の呼び声の長さであった。すなわち、ここで急遽キジタイム問題が浮上してきたのである。
 こういう場面でこういう問題は困る。「するな」とも言えないし、かといって「ごゆっくり」と言ってさしあげられる状況でもない。ましてや、現場まで出向いていってドアの外で「はやくしてね」などとは恥ずかしくてとても言えない。女便所に入るなんて、オレのコカンに関わる。じゃなかった、コケンに関わる。
 予想外な展開にややあわてつつ、晴れやかなお顔でようやくお出ましになった2人をうながしてタクシー乗場に急いでみれば、おお神よ、こんどは水田氏にお声がかかってしまったではないか!
 「なんてこったぁ・・・」
 顔色を変えてカミにすがりつく水田氏と、顔色を変えてなす術もなくマクドナルド前に立ちつくすオレなのであった。すると澁谷さんとしゃべくっていた山沢さんが、例の明るい声で、
 「ベーコンマックバーガー、買ってこようかしら・・・」
 (出したり入れたり・・・、えぇい、勝手にしてくれぇい!)

 10時半のバスには間に合わないことがタクシーの中で次第に明白となった。降り出しそうな空模様のなか夜叉神峠へ急いでいると、やがてフロントガラスに雨がパラつきはじめ、こりゃ鋸の岩稜ルートはやめて北沢峠から仙丈岳と甲斐駒ピストンだなと思っていると、果たして、広河原に着く少し手前からドシャ降りになってしまった。
 「なんてこったぁ・・・」

 バスを待っている間雨は降ったり止んだりで、これ以上悪くもならなければ良くもならないといった気配であった。次の12時半のバスに乗る人は、出発するころには意外にも長蛇の列になっていて、結局、30人乗りくらいの村営バス3台でた。
 北沢峠に着き、長衛小屋の幕場に下りてゆくと、およよ、なんてこったぁ、あの沢沿いの幕場がテント満開ではないか。色も形もとりどりのテントが端から端まで一面に散開している。この中に恐らく会長たちのテントもあるはずだ、と思ったとたん、あらなんとま不思議なことに、わがアタマの中で「騷」とか「難」とか「危」とか「苦」とか「窮」とか「憂」とか「悶」のレッドシグナル系文字が突如として踊り出したのである。これはいったいどうしたことか。本人にもさっぱりわからぬが、「危」や「難」が迫ればそれを事前に回避するのはリーダーの当然の責務である。幕場の入口でわたくしは皆と別れて幕営の登録をしにひとり小屋へと赴いたのであるが、だがその前に、極力隠密に行動して平和な暮らしが送れるところに敷地を確保するよう皆に指示を出しておいたのである。平素から平穏な幕場環境を好むわたくしとしてはこれは当然の措置であった。たとえあとから会長らと顔を合わせても、一旦幕を張ってしまえばこっちのものだ。ところがであった・・・。
 登録を済ませ小屋を出たわたくしが見たものは、半ば茫然と半ば放心状態で幕場の入口にどっかと荷を降ろしたたずむわがパーティーの姿であった。アタマのまわりに???マークいっぱいにして接近してみれば、彼らのかたわらでは遊佐さんが石に腰掛けせっせとスケッチに励んでおり、さらにその横には見たようなテントが・・・。
 (あっ、いかん!)
 その瞬間わたくしは凍りつきすべてを悟ったのでございます。
 まさか入口に張っているとは思わなんだ!
 わが隠密化司令もムナシく、わが隊員は偵察任務にうつる間もなくからめ取られてしまったのでありました。
 わたくしが到着すると、飲念ただようそのテントから、ノドのすべりも絶好調に「モーートォーー」の太い声が聞こえてきたのでございました。
 (なんてこったぁ・・・)

 観念してテントを張り終え、外でお茶にする。悪くなる一方だと思っていた天気がなんとか保っているので、時間もまだ2時を回ったばかりなので、うちらは駒津峰まで行ってみることにする。会長パーティーの鈴木のモンちゃんも行くという。すると、会長がテントの中より宣わく、
 「おい、だれかひとり置いてけ」
 「置いてけ堀」ならぬ「置いてけテント」のこの宣告に、潔くも水田氏が、
 「それじゃわたし残りますよ」
 水田氏はテントを張り終えるやいなや会長一味のずぶどろ的飲念テントに引きこまれ、すでに諦観の域を脱しハラが据わっていたのであります。彼の犠牲的精神に全員心のなかで手を合わせつつ、-水田氏を人質に取られてしまったけど、イザとなったらこっちにはモンちゃんがいるからな-との決意で(いったいどうしようというのか?)、2時20分出発。
 沢沿いの道から樹林帯の中の仙水小屋を過ぎ大石のガラ場をぬけると仙水峠だが、空身なのでここまで1時間もかからぬいいペースで来た。ここは摩利支天が目前のはずだが、今日は生憎ガスの中だ。何がいいのか風の抜ける峠で身を縮こませて休んでいる人たちをチラ見して、我らは樹林帯をもう少し上がって一本にする。今日も朝から酒漬けのモンちゃんは結構しんどいはずだが、苦しさをいつもの笑顔の下に押し隠すその強さには舌を巻く。
 4時12分駒津峰着。甲斐駒はガスでチラとも見えぬが、皆で一応証拠写真を撮る。これで万一明日甲斐駒に行けなくてもとにかく駒津峰までは努力したと、会のみんなに言えるのだ。
 天気はどういうわけかもち直して、駒津峰の下りではガスが大きく切れ上がり、眼下に広がる大森林から北沢峠の向こう側の峰まで見えた。ひとちぎりの綿のような霧が風にのって深い緑の樹冠を滑ってゆく様がすがすがしく、とても印象的であった。
 テントに帰ると、御料理番の原口さんが我々の分まで大鍋にいろいろ煮込んで待っていてくれた。ありがたやありがたや。2パーティー合同の野外ディナーは、夜の幕場の闇の中、それなりの盛り上がりをみせながら酒宴に移行していったのであった。そこでわたくしは先に寝てしまったので、その後の生態はわからない。

 翌朝4時に起きて外をのぞくと、ガスってはいるが雨は降っていない。今回は会の集中なので、よほどの暴風雨でもない限り甲斐駒に登らないとあとで何を言われるかわかったもんではない。だから多少の雨でも行く覚悟だったが降っていないのはシメシメだ、とにわかにシメシメ化してメシを食っていると、にわかにポツポツきてしまった。
 (なんてこったぁ・・・)

 カッパを着て5時50分出発。原口さんの見送りを受ける。今日はきのう無事取り戻した水田氏も加えてフルメンバー(といっても4人だけど)である。小雨のなか、仙水小屋、仙水峠の少し先の樹林帯、六方石と、一本立てつつ順調に進む。連休だけあって、この天気なのにかなりのパーティーが登っている。六方石の先で右へトラバースルートを行こうと思っていたが、先頭のわたくしがうっかり道を間違え、直登ルートに入ってしまった。分岐まで戻るのも面倒なので、「まっ、いいか」とそのまま行ったが、岩っぽいルートで結構おもしろかった。何年か前の正月合宿の時にも確かこのルートを登ったと思ったのだが、積雪期とは様相がぜんぜん違うのか、全く見覚えがなかった。
 12時15分甲斐駒登頂。数パーティーがすでに居り、まだ続々と登ってくる。南寄りに吹きつける雨を大岩の陰に避け、とりあえずコーラで乾杯。他の隊はどのへんにいるのかいなと思いつつ定時の12時25分にシーバーを出す。ゲンさんの声がとぎれとぎれに入ってきた。なんだか切迫したような声で別所さんが行方不明になったと言っている。切れ切れの交信を何度も聞きかえして話をつなげてみると、別所さんが昨夕沢の途中で姿を消してしまい、現在ゲンさんらは岩小屋から五合目小屋に向け捜しながら上り返しているところで、五合目小屋には大久保隊がいて別所さんがころがり込んでくるかもしれないので待機しているとのこと。こりゃ大変なことになった。今後雨が激しくなって沢が増水したら場合によっては命にかかわることになる。ゲンさんはうちらにそのまま黒戸尾根を下りてこられないかと言うが、我々は水と行動食しか持っておらず装備は全部長衛小屋の幕場にあるのでそうも行かない。動かずにいると寒くて仕方なく、結局シーバーをオープンにしたまま帰幕することにした。
 相変わらずの雨の中トラバースルートを下り、六方石の先で原口さんに出会った。「ひとりですか?」と聞いたら、出るときになって会長らは具合が悪くなったと笑って言う。「頂上まで往復してくるよ」という原口さんを見送って駒津峰に行くと、遊佐さんがいた。まだこれから頂上へ向かう人々もかなりいる。駒津峰からは遊佐さんも加わり、今日は双児山経由で北沢峠へくだる。峠へのジグザグ道は思ったより長かったが、雨の中休む気にもなれず北沢峠まで一気にくだった。北沢峠14時着。あ~あ、パンツまでびっちょりだ。
 テントに戻り、お茶で一息つきながらどうするか考える。ここにいても無線は入らないので状況がつかめず、結局広河原に置いてある会長の車で黒戸尾根の末端の竹宇駒ヶ岳神社まで行けば無線で連絡が取れるだろうし必要ならそのまま救助にも向かえるだろうという結論に達し、原口さんを待って3時10分発のバスで広河原に戻ることにした。撤収していると原口さんが戻り、会長らはひと足先にバス停へ。うちらがテントを丸めていると、近くに張った小テントから小幡さんがのっそり出てきたので驚いた。今日広河原から徒歩できてさっきここに張ったところだという。訳を話すと小幡さんも急いで撤収して合流することになった。
 広河原に着くと、ナンと台風の接近のためもうすぐ最終バスが出たら林道を閉鎖するので一般車はすぐ出て行ってくれとのこと。さっきのバスに乗らなかったら・・・、と思うとゾッとしない。不幸中の幸いというべきか。会長の運転は、昨夜で酒が切れたため今日はシラフなので余計こわい。断崖絶壁のくねくね道を前の車をあおりながらすっとばす。この運転では本人だって酒を飲まずにはおられないことがよくわかった。
 夜叉神トンネルを抜け、20号線に出て神社へ向かう。植村さんらのパーティーが溯行するはずだった大武川はまっ茶色の濁流だ。「これじゃあきっと中止にしてきのうどこかで宴会やって帰ってるよ」と誰かが言っていたが、後日聞いたら正解だった。5時過ぎに竹宇駒ヶ岳神社に到着。甲斐駒の裾野を少々まわるだけかと思っていたら、かなり時間がかかった。ずっとすっとばして来たこともあって、この「かかった感」は結構大きかった。
 登山口は広い駐車場になっており、丁度下山してきたと思われる4~5人のパーティーに聞いてみると、彼らも五合目の小屋にいてうちらの隊が無線のやりとりしているのを見ていたが、でも彼らが下りる頃には誰も小屋にはいなかったとのこと。すでに下りてきている可能性が濃厚だが、まだどこかで捜しているということも考えられる。ここでようやく下山報告先の播磨さんに電話することを思いついた。なぜ最初に思いつかなかったのか、つくづくアタマ悪いなと思いながら数人で公衆電話のあるところまで大急ぎ戻って電話してみると、「他のパーティーからはもうとっくに全員無事下山の報告があった、おたくらで最後よ」とのこと。うちらの大騒ぎにもかかわらず別所さんの件は「聞いていない」らしく、「どうなってるのか分からないけどでもとにかく無事下山していることが確認できてよかったよかった」ということになった。
 一件落着となるとホッとして、次は当然メシとフロということになる。メシが先かフロが先か車中世論調査を実施するとフロが先という結論を得たので石和温泉の公衆浴場にイチロ向かう。さっぱりしたあとうちらのパーティーと小幡さん、原口さんは石和駅から特急で帰ることにして、駅まで送ってもらい会長らと別れた。
 すきっ腹を抱えて駅前の飲み屋蒹食堂に入り、メニューを見てると、ここらでどしんといっぱつトンカツでも喰いたいという気分に全員がなったので注文し、やれやれとなり、安堵と喜びのうちにビールおよびオシンコで腹部のトンカツ受入れ体勢を整えながら、
 「特急に乗るから早くしてね」
というと、
 「お客さんが混んでてそんなに早く作れないわ」
 「じゃあ、早くできるのなに?」
 「お茶漬けならすぐできます」
 「じゃそれでいい、全員シャケね」
とあれよあれよという間になってしまった。わたくしとしては気分も腹部もその他関係諸器官もトンカツに向け各自の準備と調整がすっかり整ったというのに・・・。トンカツどしんの夢は消え、事態は急展開してお茶漬けサラサラになってしまったのだ。「どしん」と「サラサラ」の差はとてつもなく大きい。
 (なんてこったぁ・・・)

 翌日、大久保委員長に電話した。
 「うちら五合目小屋まで行ったけど、台風も来てるし、下りちゃったよ。別所さんの件?聞いてねえなぁ、ゲンさんパーティーを待たずに先くだっちゃったから」
 結局、甲斐駒頂上まで行ったのは、うちらのパーティーと原口さんだけだったことが判明した。行かなかった場合のうしろ指地獄を恐れ雨のなかパンツ濡らして一途に登っていった我々のリチギさはいったいナンだったのでありませうか?
 「あ~あ、なんてこったぁ・・・」

追記 後日ルームで聞いたところ、別所さんがいなくなったのはその日の朝のことで、それもまもなく見つかって何事もなく下山したとのことであった。うちらの大騒ぎは結局カラ騒ぎに終わって、結果としては良かったんだけど、なんか釈然としないな、ったくもう。

〈コースタイム〉
15日  北沢峠長衛小屋幕場(14:20) → 駒津峰(16:12~30) → 帰幕(18:00)
16日  北沢峠長衛小屋幕場(5:50) → 駒津峰(8:00) → 甲斐駒(12:15~50) → 北沢峠(14:00) → 帰幕(14:10)
タクシー甲府駅→広河原12,890円
バス広河原→北沢峠500円+荷物代250円

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