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エル・キャピタン "THE NOSE"を登った話
吉江 信也
(元三峰山岳会→雲表クラブ→現東海山岳会)

 雲表クラブでの話
 1994年10月、しばらく山から遠ざかっていた僕は、卒業論文も提出できる目処が立ち、就職先も決まったので、先鋭なクライミングを行っている雲表クラブの門を叩いた。
 話を聞くと、正会員になるためには、5級以上の夏壁と、4級以上の冬壁と、5.12以上のフリーを1年間にこなすとか。二つこなせば準会員、それ以下は鼻糞会員ということで、雲表の名を語ってはいけないとされている。
 「どちらの山岳会ですか?」
 「あー、いえ、某Uクラブです・・・・。」
 5.13クライマーが3人、5.12クライマーも10人以上おり、代表の藤原雅一氏も5.13クライマー(エクセレント・パワーを登っている)である。
 石の上にも三年、こりゃ3年間は鼻糞会員を覚悟しなければならない。
 毎週、会員の誰かが必ずどこかの岩場に行っているので、空いている車に乗せてもらい、早速フリークライミングに同行する。平日は都内の室内壁に通い、ボルダリングを行い、少しずつではあるがグレードも上がっていくことができた。
 また、弱冠18歳ではあるが、クライミングを始めて1年で5.12を登り、ヨセミテでは、ノーズ、ゾディアックを登っている兼原慶太氏に、波勝崎の海金剛でアメリカンエイドの技術を教えてもらい、正月には一緒に甲斐駒ヶ岳で、Aフランケ(同志会右)~Bフランケ(赤グモ)~奥壁(中央稜)の継続登攀も行った。
 そして95年3月には、屏風岩東壁 "ディレッティシマルート" 、海金剛 "ノーベンハーレイン(225m、5.11c、AA3)" を登り、フリーでは城ヶ崎のシーサイドで5.11cをレッド・ポイントすることができた。

 名古屋での話
 4月から社会人、それも真面目な公務員となり、勤務地は名古屋となった。東海山岳会に入会し、週末は近場の、鳳来湖、石巻山、豊田の岩場に、5月の連休は、東北ツアーを行い、山寺、三崎海岸を訪れ5.11台のルートを数本落とした。
 6月になると、鳳来湖のハイカラ岩にある "たぶんだいじょうぶでショウ、5.12a/b" に手を付けた。このルートはルーフになっており、登っていると、どちらが上か下かわからなくなる程頭に血が上り、また、強烈なパワーが必要とされる。3週目で9回目のトライで、レッドポイントすることができた。夢の5.12、これで少々クライミングに自信がついた。
 今年の10月までは、条件付き採用期間であり、いつでもクビになるのでおとなしくしている予定であったが、雲表クラブの兼原氏に、
 「行けば、ノーズは登れる。」
とそそのかされ、6月の終わりに思い切って所長に、
 「あ、あのー、いや、そのー、無理ならいいんですが、そのー、9月に2週間ほど長期休暇を取りたいんですが・・・・・。」
 「・・・・・。いいよ。」
 「Oh! ほんまかいな、なんていい職場に就職したんや。」
となった。
 それからは、黒部丸山の右岩稜フランケ "京都府立大ルート" 、屏風岩東壁 "アウトロー" でネイリングを行い、敗退ではあったが、"動物ランド" にも出かけ、8月は小川山でクラックルート、 "カサブランカ" "ジャックと豆の木" などをレッドポイントした。

 ヨセミテ渓谷、エル・キャピタンについて
 8月25日、午後4時に成田からノースウェスト航空でサンフランシスコへ。往復チケット代が10万5千円。サンフランシスコでは、日本で予約しておいた "ハーツ" というレンタカー会社に行き、16日間日産の "アルティマ" を借りる。対人、対物の保険料を含めて約$800。
 メンバーは、"ゼンヤッタ・メンダータ" を狙っている兼原、井上、 "ノーズ" 組の、吉江、青木の4名、他の3名は全員雲表クラブである。
 吉江、井上は共に公務員であり、仕事の都合上9月9日に、兼原、青木は共に学生であり、9月30日帰国予定である。
 何度もでてくる、この兼原慶太氏についてここでもう少し紹介してみたいと思う。
 彼は現在弱冠19歳の法政の学生で、まだクライミングを始めて2年にも満たないが、今回のヨセミテに来る3日前に小川山で5.13aの "エクセレント・パワー" をレッドポイントしており、今年だけでも、唐沢岳幕岩 "ドリームタイム" 、黒部丸山 "アイアンマン" 、また3月には、雄山忠氏と、奥鐘山西壁の "広島ルート" を冬期第三登、しかもワンディという偉業を成し遂げている。
 サンフランシスコには、8月25日の午前9時頃に到着。道を間違え、ロサンゼルスの方向に向かってしまったが、その日の午後8時にヨセミテ渓谷の通称 "キャンプ4" にたどり着く。
 渓谷内には山道具屋、大きなストアーがあり、何でもあり、また、シャワーにコインランドリー、プールなどもある。人口の殆どが観光客であり、一割にも満たないクライマーが小汚くキャンプ4、正式名称は "サニーサイドキャンプ場" に長期滞在している。
 クライマーにも、始めたばかりの初心者から、ショートのフリークライミングを目的とする者、我々のようなビッグウォール初めてで、真新しいホールバックに銀テープを貼って補強しながら、ああだこうだと言っている者、著名な大ベテランなど、様々である。
 キャンプ代は1人1泊当たり$3。
 8月26日に準備して、27日はロープ4本持って、 "ノーズ" を4ピッチフィックス。クラックにあるアングルスカーをエイリアンの掛け替えで登る。3ピッチ目で2回も墜落してしまい、とてもショック、やはり僕は下手糞であった。時間もかかり、取り付きが午前9時頃、フィックス終了して下に降りたのが午後4時だったと思う。奇数ピッチを吉江、偶数ピッチを青木がリードする。
 28日は休息と準備。水20リットル、食料は缶詰を中心に3日分、予備として2日分の軽い機能食品(パワーバーとペミカン)、行動中もパワーバーとし、ホールバックに詰める。ギアは、
 エイリアン 2セット
 キャメロット 2セット(#3は3個)
 ストッパー 1セット(#8まで)
 ハンマー、ピトン類数本
 ロープ3本(11mm、10.5mm×60m、9mm×50m)
 他は、ユマール、滑車、ビナ、シュリンゲなど、どのルートにも必要な物。
 エル・キャピタンの取り付きには、キャンプ4から車で10分、それから、しっかりした踏み跡を歩いて20分ぐらいだったと思う。

 "THE NOSE" について
 8月29日から取り付く。朝6時に取り付きに着くが、ドイツ人3人パーティーが、ユマーリング、荷上げを行っており、その後となる。結局、今後ずっと順番待ちでひどい目に遭う。
 34ピッチずーっと続くクラックを、カム類とナッツの人工で登り、クラックからクラックへは振り子トラバースを行う。
 荷上げ中に引っかかる40キロ以上のホールバッグ、日本と違いロープ丸々1本ある各ピッチ、照りつける太陽、登っても登ってもまだまだ続く・・・・・。
 29日は、ドルトタワーまで、30日は、キャンプ4のちょっと下、31日は、27ピッチ目までフィックスしてキャンプ5でビバークする。
 22ピッチ目、グレートルーフの下で、乗っていたアブミの縫い目がちぎれ大フォールする。右足を捻挫してしまいその後は痛い痛いクライミングが続く。
 9月1日の午後4時に壁を抜け、4回の懸垂下降を交えて下山路を下降、ゆっくりゆっくり降りたため、午後8時半頃、下の道路まで降りる。

 ゼンヤッタ・メンダータ組も2日の朝下山、AA3+に感じたとか。50mのネイリング、コパーの連打、恐ろしいスカイフックの掛け替え、どっかぶりのため敗退ができないなど、凄いねぇ。
 僕はその後は、もう1本登る予定であったが、捻挫のためフリークライミングもできず、グレイシャーポイント、トウラミなどに行き、完全な観光客と化した。

 最後に
 三峰山岳会には18歳の時から、岩登り、沢登り、冬山等教えて頂き、また本当に親切にして頂き、とても感謝しております。また、マッキンリー登山にも参加させて頂き、貴重な体験をすることもできました。これほどお世話になっているにも拘わらず、遠く三峰から遠ざかり、非常に恩知らずなことをしていると反省しております。お許しください。てっきり除名されていると思っておりましたが、会友にして頂きありがとうございました。また、今回岩つばめを郵送して頂き、ありがたく拝読いたしました。
 現在僕は、フリーでは、5.13、エイドではAA5を目指し、来年までにもっともっと力を付けて、またヨセミテ(ゾディアック、タンジェリン、・・・・・)に挑戦したいと考えております。まだまだ三峰のお役には立ちませんが、今回のクライミングを報告し、少しでもビックウォールに興味のある方のお役に立てば幸いです。


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