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秋の小無間山・大無間山縦断紀行
- 面従腹背リーダーはつらいよ編 -
服部 寛之

山行日 1995年11月3日~5日
メンバー (L)服部、水田、大久保、勝部、金子、井上(雅)、澁谷

 名前に引かれて登る山というものがあるとすれば、南アルプス南部の大無間山・小無間山はその筆頭格かもしれない。
 誰もが連想するに違いない「無限」ということばは、ロマンチックな響きで満ちている。「無限の可能性」とか「無限の宇宙」とか「無限の時間」とかいうとSF的わくわく気分になるし、「限り無き夢」とか「限り無き愛」とかいうと少女マンガ風もしくはハーレクインロマンス風でイイ年こいたオジサンなんかは思わず赤面してしまうけれど、「切が無い」というのはおしなべて豊かな気分になるものです。「無制限1本勝負!」などとキッパリいわれたりすると、もう聞くだけでコーフンるつぼ的に気分が浮き立ってきちゃう人もおりますね。
 「こういう多方面にロマンチックな言葉にひかれて山登りする人はやはりロマンチックなんでしょうね」、などと言われるとたいていの人は「イヤイヤ」なんて顔の前で手を振ってみせるけど、でもそういう人は本人もそう思っているとみてまず間違いないのだ。
 そういうフツーの人がいる一方で、世の中には「無限のやぶ!」を連想して心湧きたち笑みがこぼれてどうしようもないなどという「恐怖のやぶムフムフウキウキ男」略して「やぶムキ男」なるヘンなのがいる、わけないじゃんかと思っているとサにあらず、いないようでいるんですねこれが。
 心当たりのある人がいるでしょう。
 こういうヒトもロマンチックと呼べますね、ちょっと中身が恐ろしいけんど。
 しかし、ここで水を差すようで申し訳ないが、この山は正しくは「だいむけんざん」「しょうむけんざん」というのだ。「むけん」というのは仏教でいう「無間地獄」のことです、と本にあった。といっても無間地獄というのはどういう所なのかよく分からないので広辞苑を見ると、
 『・・・八大地獄の第八。五逆謗法などの大悪を犯したものが、ここに生れ、間断なく剣樹・刀山・钁湯(かくとう)などの苦しみを受ける、諸地獄中の最も苦しい地獄。・・・阿鼻叫喚地獄、阿鼻焦熱地獄、阿鼻大城。』
 とあった。何やらおどろおどろしい超恐怖的世界らしいので、仏教徒の人は気を付けた方がいいのだ。しかし、どうしてこの山にこんな名が付けられたのか?何やら魑魅魍魎的世界を彷彿させるネーミングではないか。ゲゲゲの鬼太郎はマンガだから笑って見ていられるけど、妖怪たちが現実に目の前に現れたら替えパンツなんか何枚あっても足りないのだ。というわけで、「げ」と読むのと「け」と読むのでは文字どおりイメージがテンで違ってしまうけど、だけどしょうがないのだ。
 初めてこの事実を知ったときわたくしはこの世の不条理現実の味気なさに泣きました。けれども、やはりこの山は「だいむげん」「しょうむげん」と読む方がボクは好きです。誰が決めたのか知らないけど、「無間」という字を当てたのは読み方の点で気がきいていたと思う。誰が迷惑するというわけでもないので、この山に関しては今後もロマンチックな方針で行きたいと思う。

 この山に行ってみようと思ったのは、去年山伏から八紘嶺をまわったときのことだ。山伏の頂上から熊がうずくまったような力強い大小無間山のシルエットが見えて、かねてより抱いていたこの山のロマンチックなイメージがにわかに重なり、ムクムクと登高欲が湧いてきてその時水田氏と山行を約したのだ。だから当初は個人山行で行くつもりだった。それを「どうせ行くなら」と例会に入れたのは、あの地味な山では参加者も殆どいないだろうと踏んだからです。ところがであった・・・。
 フタを開けてみると、驚いたことに参加者は最終的に7人にもなってしまったのである。水田、大久保、勝部、金子、井上ノ雅の諸氏と澁谷さん、それにわたくしである。ま、足はそれなりに揃っているのでなんとかなるだろうと思ったのだが、しかしこれが甘かった。ツラもまた揃っていたのです、このメンメンは!

 11月2日の夜23時52分品川始発大垣行きに茅ヶ崎からわたくしが乗って全員そろう。金曜夜行の山行に地元駅から合流して行くなどということは普段まったくないのでうれしい。みんな静かに酒を飲み、うつらうつらするうちに2時半過ぎ静岡駅に到着。すぐ仮眠する。
 翌3日朝、6時に予約していたジャンボタクシーで井川湖の田代へ向かう。タクシー待ち合わせの北口の交番前には、同じく田代から大無間山に登るという一行を待つジャンボタクシーがもう1台あって、静かな山行の当てがはずれてややあせる。むこうさんも同じ気分だろうなあ。
 7時半過ぎ田代に着き、集落の北外れの鳥居前で降ろしてもらう。だがここは登山口である目指す諏訪神社(標高680m)の裏手で、神社は細い道を100mほど集落の中へ入ったところにあった。鳥居の前に神事に使うという水が湧いている。水は大無間山頂まで無いので、保険としてひとり最低2リットル持つ。支度をしていると、単独行のあんちゃんがひとり先に登って行った。ここは結構人気の山なのかもしれない。
 それは8時10分出発してじきに判った。登山道は一級国道であった。ある程度薮道を予想していたが、完全に外れてしまった。45分ほどで1060m付近の左手から上がってくる道との合流点に出た。その少し先で一本取る。ウォーミングアップはこれで終わり、ここから急登が続くので根性を入れて登る。オレは計画した当初から大無間山で幕を張りたいと考えていたので、先頭で少々とばして皆を引っ張る。
 11時10分、1796m峰に到着。ここには木立の中に小さな市営の避難小屋があり、樋から貯めた水樽には1cm厚くらいの氷がはっていた。小屋はベニヤの床で小ぎれいだった。大久保氏が少々遅れがちだが、他のみんなは元気でまだまだ行けそう。一番重い4~5人用エスパースを持っている水田氏はさすがにまだ余力たっぷりだ。
 ここから小無間山までは鋸歯と呼ばれる大きなアップダウンが続く。その名からは岩稜を想像するが、そうではなく樹林の尾根道である。三つ目のピークを越えて鞍部から300m弱急登を登り返し、小無間山(2149.6m)に到着。この300mの登り返しはきつかった。皆ふうふう言いながら三々五々到着したが、よくがんばった。
 小無間山は樹林の中の狭いピークで、展望はない。幕は4~5張がせいぜいだ。ここでどうするか迷った。まだ2時前だし、オレとしては大無間山まで行きたい気持ちが強かった。そのために少々とばして皆を引っ張ってきたのである。水田氏とオレと、恐らく勝部氏も2時間あれば大無間まで行けるだろうが、他のみんなはどうだろうかと腰を下ろして考えていると、勝部氏がオレの顔を見て首を横に振る。そして今日はここで幕にしようと言うのである。すると、それを聞いた水田氏が何を思ったかザックからエスパースを取り出しさらに袋からも取り出してドスンと地面にころがしたのである。その瞬間みんなの顔がヨロコビに輝いた。(ような気がした。)それで今日の行動予定は実質決まりであった。
 「リーダー、もう幕でてますっ!」
汗だくの井上ノ雅氏が指差しながらうれしそうに言った。
 だけども水田氏よ、リーダーのオレはまだその時どうするか決定してなかったんだぜ、ったくもう。ま、あそこで幕の決定は皆の疲れ具合をみると良かったと思うけどね。この「瞬間幕出しお披露目方式」による世論操作の有効性を皆がしかと確認し学習したことは、ここで特筆しておかねばならない。

 翌4日朝は4時起きで6時出発。今日も上天気だ。出発前、まだ暗い樹林の山頂で全員で登頂写真を撮る。きのう後から来て同じくここに2張り張ったもう1台のジャンボタクシーのパーティーはまだ朝飯がおわっていない。
 小無間山から大無間山までは気持ちいい樹林の尾根道で、きのうよりずっと楽だ。少し行くと、昨日うちらと同時に小無間山に到着したカップルのテントが薮の中に張ってあった。途中、北側に光岳、仁田岳、上河内岳、聖岳などのピークがよく見えた。それらの稜線はもううっすらと白い。道は2109mのピークでくの字形に曲がって南西に向かうが、ここは北側の尾根の方へも踏跡があるので注意が必要だ。ここのピークの木には「中無間山」の標識があったが、それはまだ新しく裏面には早稲田大学の平家落人部落研究会だかの名があった。しかしその後ろの薮の中にもうひとつ古びた中無間山の標識が打ち捨てられているのを澁谷さんが見つけた。それは慶応大学のワンゲルのものであった。これは明らかに早稲田の連中のシワザであると断定する。やつらはこんなところでも早慶戦をやっているのか。
 そこから大無間山までは尾根もぐっと広くなり、途中一本取って大無間山(2329.3m)に7時50分到着した。ここも樹林の頂上で展望はないが、小無間よりはずっと広く平らだ。「ああ、きのうここに幕を張りたかったなあ」と心からオレは思ったが、口には出さなかった。頂上には先のテントの2人連れがいた。今日はこれからが長いので、皆で写真を撮ってすぐ出発する。
 大無間山の斜面を下り小さなコブを乗っ越すとカチカチに凍った三隅池で、その先笹を漕いで下りきった三方窪は頭をこす深い笹薮であった。そのすぐ先で「突然!」というかんじで青い養生シートがデカデカと頭上の大きな倒木にかけられている所に出くわしたが、勝部氏は以前ここで伊藤ちゃんたちとキャンプしたことがあるといくぶんコーフンぎみに語っていた。
 その先で、踏跡は不鮮明になり、先頭を歩いていたオレは何度か道を間違えた。するとその度に後ろから大久保委員長がしゃしゃり出てきて「こっちだ」と指差すのである。言葉には出さないが、ヤツは明らかにオレが道を間違えたことをヨロコンでいるのである。オレが薮で方向を誤ったことを「ヘヘン」と笑っていやがるのである。それがヤツの頬周辺の動きならびに手足の振り回し方に表れているのだ。全くイヤなヤツだ、と思っていると今度は本当に行き詰まってしまった。道は尾根をはずれて北側を捲いているはずなのだが・・・。結局勝部氏の記憶でこっちの方だろうと見当をつけて登って行くと赤テープのある踏跡が見つかった。これで1時間つぶれてしまった。
 正しい道に復帰しやれやれと思っているとすぐに3人パーティーと単独行の男と相ついで行き違った。その先の展望の開けたガレっぷちの草地で一本にする。そこからは合地山やらその向こうの中ノ尾根山から黒沢山に連なる稜線など南ア深部のめったにお目にかかれない山々がはっきりと展望できて、勝部氏や水田氏ら「隠れやぶムキ男」達には感涙モノの景色であった。その先のワサビ田跡の沢で水を補給し、そこから半時間ほどで寸又川左岸林道に下り立った。
 林道は目をうばう紅葉の斜面に囲まれていた。この辺りの山も所どころ緑のパッチワークのように杉が植えられているものの、まだかなり広葉樹林が残されている。しかし今秋の紅葉は、夏の長日照りのせいか、くすんだような色彩で発色が悪い。
 そこから30分ほど林道を歩くとベンチと展望図のある休憩場があったので一本取る。そこは尾根を廻る谷側に出っ張ったカーブで、ブルドーザで少し押し広げて臨時のヘリポートが作られており、燃料のドラム缶が大量にころがしてあった。時折音が聞こえるヘリは伐採した天然木を吊り上げて運んでいた。そこはまた千頭ダムへ下りる近道のついているところでもあった。寸又峡へ下りるのはこの左岸林道をそのまま行っても良いのだが、わがパーティーの一部にはこのままこの林道を下ってあわよくばトラックに拾ってもらって寸又峡まで行こうというふらちな意見を持つ者がいた。しかしわたくしはそのような軟弱な意見は断固排し、右岸林道に下りてあくまでも自分の足で寸又峡まで歩き通すことを主張したのである。すると驚いたことに大久保委員長がオレの意見に同調したのである。そこでオレは急いでさっきの「イヤなヤツめ」という評価を取り下げヤツを少し見直したのであった。そこでその近道を下りて行ったのだが、その道は200mほど標高を下げたところで左岸林道に上がってくる林道を一旦横切りさらにダムへと下るようになっていた。ところが、その林道との出合が5~6mの崖になっていて道が途切れているのである。立木に短いよれよれの工事用ロープがぶらさがっていたので何とか下りることができたのだが、一瞬あせった。勝部氏の指摘でよくよく地形図を見てみると、その地点は僅かに崖マークになっていてそこに点線は描いてないのであった。しかし一見しただけでは上から来た点線は引き続きダムへと延びているので、誰だってそこで道が途切れているとは思わないのではないか、こういうのってズルイのではないかと思ったが、しかしよく考えると地形図はすごく正確だということなのである。今後地形図は細部までよーく見ることにするのだ。
 千頭ダムは林道のどんづまりの小さなダムで、こういう所で勤務する人は退屈だろうなと少々同情する。ダムからちょっと行くと林道の路肩が少し広がったところがあった。まだ3時前なのでオレはもう少し行って幕にしようと主張したのだが、だがここで事もあろうに金子氏が実力行使に出たのだ。座り込みである。そしてさらにあの「瞬間幕出しお披露目方式」を敢行せよと暴言を吐く者もでて、オレは完全にお手上げになってしまったのであった。きのうに続いて今日もこれである。「オメーらリーダーを立てるとかリーダーの意見を尊重するとかいった気はさらさら無いのか!」と言いたかったがやめた。決まっている答えを聞くほどヤボじゃないんだオレは。・・・し、しかし・・・・、ウ~ン、くそっ!
 路肩に幕を張りおえると、秋の陽に炎える対岸の紅葉を見上げながら、早々と焚火宴会が始まった。「焚火」「酒」となるとつい今しがたもう動くのイヤだなんて座り込んでいた者も結構積極的に枯れ枝なんか集めてきたりするのだ。ゲンキンなのだ。夜のとばりの降りる頃、そのまま外で夕食となり、錦繍映す焚火を囲むわれわれの話も弾んで、酒杯ならぬコッヘルは大声の割にはちびちびと夜更けまで重ねられていったのである。

 翌5日朝は7時に出発し、右岸林道をテクテク2時間半歩いて寸又峡に着いた。右岸林道は、きれいに舗装されているのに車が来ないと思ったら、大間ダムの奥で閉鎖され、一般車は入れないようになっていた。大間ダムには紅葉狩りだかの観光客が群れていたが、山から下りてきた目には大間ダムは十分文明臭く映る。ダム周辺の山は植林の杉が育っていて紅葉する木は山頂付近にちょぼちょぼ残っているにすぎず、ダム湖はコンクリートで塗り固められているというのに、すがすがしそうに周辺を散策する観光客の目には楽しむに足るほど"自然な"環境だと映るのだろうか?もし寸又峡が自然のふところとか紅葉狩りで売っているなら立派な詐欺である。
 寸又峡では露天風呂で汗を流し、バスで千頭駅へ、さらに大井川鉄道で金谷に出、駅前のSL食堂(主人が元SL機関士)で下山を祝ってから帰途に就いた。
 今回の大小無間旅行は上天気に恵まれ快適な山行であった。リーダーとしては少々扱いにくいメンメンではあったが・・・。
 終わり良ければすべて良しと言うから、マ、いいか。
 お疲れさまでした。

〈コースタイム〉
3日 諏訪神社(8:10) → 1085m(8:55~8:00) → 1215m(9:20~30) → 1600m(10:25~40) → 市営小屋(11:10~25) → P2とP1の間(12:25~35) → 小無間山(13:40)
4日 小無間山(6:00) → 中無間山(6:35) → 2080m(6:55~7:10) → 大無間山(7:50~8:00) → 展望のガレ場(10:55~11:10) → ワサビ田跡(12:05~25) → 左岸林道(13:10) → ベンチの休憩場(13:25~35) → 千頭ダム(14:30) → 林道路肩(幕)(14:45)
5日 幕場発(7:05) → 休(水場)(8:05~18) → 寸又峡(9:30)

JR静岡駅→田代(静鉄ジャンボタクシー・客席9) 21,600円
 静鉄タクシー(株) 電話054-281-5111
 静岡駅構内タクシー組合 電話054-252-6882
寸又峡→千頭駅(バス) 840円
千頭→金谷(大井川鉄道) 1,620円


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