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平成八年正月合宿 剱・穂高・塩見
その2 早月尾根~剱岳
金子 隆雄

山行日 1995年12月30日~1996年1月3日
メンバー (L)金子、井上(博)、田代、小幡

 ツルギダケ、なんといい響きだろう。初めて剱岳に登ったのは今から十数年前になる。その時からいつかは冬の剱岳に登りたいと思い続けていた。その後、残雪期の頂には何度か立つことがあったが冬の剱岳へ行くチャンスはなかった。私が三峰に入会してから一度も合宿、例会山行、個人山行のいずれでも冬の剱岳は計画されたことはなかった。冬の剱岳となると長期の休みが必要になるが、会社勤めの身では正月くらいしか長期休暇は取れない。正月は会の合宿があり個人での活動は制限される。半ば諦めかけていたが思わぬところでチャンスが転がり込んできた。
 今年は冬合宿の場所がギリギリまで決まらずもたもたしていた。会としてみれば委員会にハッパをかけたいところだが、私個人としては幸運だった。好きな所へ行っていいという委員会のお墨付きをもらい、それならばとメンバー集めにかかった。
 メンバーも確定せぬまま取り敢えず富山県に登山届を出した。当初私は3日間で登頂して帰ってくるという無謀な計画を立てたが、後でじっくり検討してみると最低5日間は必要と思えたので計画を変更した。初めて冬の剱に入るのでルートは一番易しいと言われている早月尾根からとした。

 12月30日 雪
 前夜の夜行急行能登で穂高へ向かうパーティと一緒に出発する。暖房の利き過ぎで暑くてよく眠れないうちに乗り換え駅の魚津に着く。富山地方鉄道に乗り換えるがJRの駅と離れているので解かりづらい。上市で下車するとこれから剱へ向かうと思われる登山者達がたむろしているが皆なかなか出発していかない。共同装備の再分配をしてタクシーで伊折へ向かう。上市に着いたときはどんより曇っていたがタクシーが走り出した途端みぞれっぽい雪となってきた。
 冬季は伊折と馬場島間は通行止めになっており約9キロの道を歩くしかない。雪の多い年は伊折までさえ車が入れないこともあるという。民家があるのは伊折まででその先は剣センターと発電所があるだけだ。雪上車が通った跡があるのでラッセルもなく馬場島に昼ごろ到着する。
 山岳警備隊の派出所に寄り入山届けをし、ヤマタンを渡される。ヤマタンは富山県警が開発した発信機能だけを持った小型、軽量の雪崩ビーコンで、1個ずつ発信周波数が異なっており持っている人を特定することができる。ただ残念なことに受信機能がないので万一雪崩に埋められてもヤマタンを使った自力救助は不可能で、受信機を持った救助隊を待つしかない。雪崩に埋まった人間が救助隊到着まで生存しているとはとても思えないので御守りと思ってぶらさげているしかない。私の古い記憶によるとヤマタンを借りるには保証金として5千円必要でヤマタンを返すとお金も返してくれるというシステムであったが、現在では無償で半強制的に持たされるようだ。市販されている雪崩ビーコンには送信、受信両方できるものがありパーティで複数個持っていれば自力救助も可能だ。最近では自前でこのビーコンを装備している山岳会も増えてきているそうだ。
 余計な話が長くなったが、派出所を出て白萩川沿いに小窓尾根方面に続く踏み跡と別れ早月尾根に取り付く。登り始めからいきなりの急登である。トレールは風のため消えかかっているがそれほどのラッセルでもない。重荷にあえぎながら約2時間で標高1000mちょっとの松尾平に着く。この辺は尾根が広く平坦なため視界が悪くトレールがない場合はルートファインディングに苦労するだろう。
 今日の行動予定はここまでなので整地してテントを設営する。初日に予定通りに行動できてまずは順調なすべりだしだ。
 日本海の水分をたっぷりと吸ってきた湿った雪に降られて体はかなり濡れている。テントの中も湿度100%の状態で雪洞の中にいるようだ。コンロに火をつけてテント内が暖まっても不快感が消えない。

 12月31日 晴れ
 今日は朝からすっきりと晴れわたりこれから登る尾根が朝日にキラキラと輝いている。やっぱり冬山っていいなぁと思える一時だ。我々が朝飯を食べていると早くも馬場島から登ってきた人達がテントの横を通り過ぎていく。我々もぐずぐずしてはいられない。今日の行程は4、5時間くらいだし、危険箇所もないので昼過ぎには早月小屋に着くだろうと気楽に考えて出発した。
 松尾平を過ぎるとまた急登となり尾根も少し細くなる。入山者が多くラッセルの苦労もなく高度を稼いでいく。登るにつれ地形が複雑になってくるが見通しが利くので迷うようなことはない。
 2時間も登ったろうか、井上さんが遅れぎみになり不調を訴える。動悸が激しくかなり苦しいらしく、単なるバテとは違うという。どうしたものかと悩んでしまった。即刻登山を中止して下山するか、それとも早月小屋まで登ってもらうか。所要時間はほぼ同じくらいだろう。結局早月小屋まではがんばって登ってもらうことにしたがこの判断が果して正しかったのか今以て自信がない。共同装備を他のメンバーに分散して荷物を軽くしても他のメンバーとの差はひらく一方だ。小幡、田代の両名が先行しているのでテントの設営場所は確保していてくれるだろうと思い、井上さんとゆっくり登る。
 早月小屋手前の2200mほどのピークへの登りはかなり急なので先に登り荷物を置いて引き返し、井上さんの荷物を担いで一緒にこれを越える。このピークを越えると早月小屋だ。小幡、田代がテントの設営場所を整地して待っていてくれた。小屋の周りは色とりどりのテントの花が咲いたようでずいぶん賑わっている。早月小屋も営業している。この季節まさか営業しているとは思わなかった。小屋に人がいるということはずいぶん心強い。
 少し休んで自分の荷物を取りに戻る。もうだれも登って来ない。我々が最後だったようだ。だいぶ陽も傾いて夕暮れが迫ってきており長かった1日が終ろうとしている。
 夜になって低気圧の通過により天気が崩れてきた。夜のうちに通過して明日は回復していることを願う。

 1月1日 風雪のち晴れ
 願いも空しく今日は降雪と風でコンディションが良くない。多少無理すれば登れないでもないが日数に余裕があるので今日は停滞することにする。アタックに出発したパーティもいたが大多数は様子待ちのようだ。停滞するとなったら1日が長い。酒も豊富にあるわけではないので朝から飲んだくれているわけにもいかない。ゴロゴロして過ごして1日が終わった。働き者の小幡さんは一生懸命になって雪洞を掘り中に立派なキジ場を造った。
 午後になって天候が回復してきた。

 1月2日 無風快晴
 昨日の予報で今日は晴天が期待できたので早起きしてアタックの準備をする。期待通りの晴天でいやがうえにも登高意欲が高まる。井上さんにはテントキーパーとして残ってもらい3人で夜明けを待って出発する。2500mくらいまでは危険箇所もなくひたすら高度を上げていくだけだ。左上にトラバースしていくと2600mのピークに至る。ここからは剱岳山頂や剣尾根が良く見える。今日は無風快晴で空は抜けるように青く雲一つない絶好の登頂日和だ。
 この先はかなり急な雪壁となり慎重に越えていく。やがてシシ頭と思われる岩稜となる。ここは冬山のセオリー通りトラバースせずに岩稜通しに通過する。雪庇のはり出しはほとんど見られない。カニのハサミとのコルへの下降はザイルをフィックスする。コルから少しで頂上直下の氷の詰まったルンゼとなる。カニのハサミと呼ばれている所だ。昔は2本の岩塔が蟹の鋏のように聳えており、またいで通過できたそうだが昭和44年に崩壊し今は名前だけが残っている。ここはノーザイルでアイゼンを効かせて駆け登る。上部は鎖が出ているのでそこまで登れば一安心だ。
 すぐに別山尾根との分岐となり広い斜面を一登りで祠が見えてきてわりと広い頂上に着く。遮るものがなにもない山頂からは穂高方面、後立山や北方稜線などなど見渡すかぎりの白い山々をしっかりと目に焼き付ける。いつまでもただぼんやりと煙草でもふかしながら景色を眺めていたい、そんな気分にさせるほど暖かな日だ。
 名残惜しいが山頂を後にする。登りはノーザイルで来たルンゼは慎重を期して懸垂下降する。シシ頭は池ノ谷側をトラバースするパーティもあったが我々は登りと同じように岩稜通しに通過する。その先の急雪壁は前向きでは降りられず後ろ向きで下降する。そこから先は難場もなくひたすら高度を下げていくだけだ。約2時間でベースの早月小屋へ戻り着く。ベースでは井上さんがビールを用意して待っていてくれた。
 当初の計画では登頂後もう一泊する予定であったが時間もまだ早いので今日中に馬場島まで降りることにして撤収を開始する。ほんとはのんびりともう一泊していきたいところだが、すんなり登頂できたとはいえここは剱なのだ。天候が急変して閉じ込められるという事態にならないうちに行動できるときは動いたほうがいい。
 撤収していると元会員の朝岡君が降りてきた。彼は岩峰登高会に入会して活動しているそうだ。今日は小屋に泊って明日下山するという。
 下山は登りより荷物が重い気がする。荷物が重いので滑るとバランスが保てなく転びまくって体力の消耗が激しい。ヨレヨレになって松尾平までは下れたが、既に薄暗くなってきており疲れもピークに達しようとしている。馬場島はもう少しだがここまで来ればもう急ぐことはないと自分に言い聞かせて幕営する。
 残り少ない酒を空にして登頂を喜び合い、夢を語り、歌を歌う。酔うほどに嬉しさがしみじみと込み上げてくる。次は小窓尾根だ、赤谷尾根だ、やれ八ッ峰だと大風呂敷を広げる。酔いが覚めれば大風呂敷が中風呂敷になりやがて小風呂敷になるだろうが広げた風呂敷は決して畳むことはない。
 テントから外に出れば満天の星空。星明りに登ってそして降りてきた尾根がくっきりと浮かび上がっている。周りには誰もいない、我々だけの夜が静かに静かに更けていく。

 1月3日 晴れ後雪
 帰りは夜行列車でと決めたので急ぐ必要もなく朝は遅く起きる。早月小屋から降りてくる人達がテントの横を通り過ぎる時間になってもまだ出発の準備ができていない。
 重い腰をあげて出発したのは11時近くになってからだ。松尾平から急な尾根を約40分の下降で馬場島に着く。派出所に寄り下山届けをする。ほとんどのパーティは下山しており我々は最後から2番目だった。小窓尾根に向かったパーティはほとんどが中止して早い時期に下山している。帰ってから聞いた話では小窓尾根は深い雪と頻発する雪崩でとても登れる状態ではなかったとのことだ。
 また平坦な道を伊折までトコトコと歩く。途中どこかの大学山岳部と思われる一団に追い越される。先輩に怒鳴られ、こづかれながら山のようなキスリングを背負いヨタヨタと歩いていく。社会人山岳会と根本的に違う縦社会をそこに見たような気がする。でもこうやって鍛えられていくのだろうなぁと将来のクライマー達に心の中で声援を送る。
 伊折に着くと呼んでもいないのにタクシーが待っている。来る時に乗ったタクシーの運転手がいて我々を見つけると乗れ乗れと促すのでそのまま乗り込む。どうも別の客のために来たようなのだが走りだしてしまったので我々も運転手もまっ、いいかということでなにごともなかったかのように上市へ向かう。
 上市駅前の上市鉱泉で汗を流す。その後、富山へ出る。入山前から下山したら富山でうまいものを食おうと話していたので夜の街へ繰り出す。うまい肴を食い、うまい酒を飲んで幸せいっぱいで夜行列車で家路につく。

 長年の課題が一つ解決した。家に帰ってから女房に「冬の剱を登ったんだから冬山はもう止めるんでしょ、確かそう言ったよ」と言われてしまった。「え、い、言ってない。断じて言ってないもし言ったとしても酔っ払って言ったんだろうから本気にするんじゃない」などとごまかしたが、これは後を引きそうだなぁ。こんなおもしろい事止められるわけないよね。
 今回の山行では井上さんには大変苦しい思いをさせてしまって申し訳なく思っている。また私のこだわりに付き合ってくれたメンバーに感謝したい。

〈コースタイム〉
12月30日 伊折(8:20) → 馬場島(11:10) → 松尾平(13:20)
12月31日 松尾平(7:50) → 早月小屋(16:00)
1月1日停滞
1月2日 早月小屋(6:40) → 2600m(7:50) → 山頂(10:20~11:00) → 早月小屋(13:00~14:30) → 松尾平(17:00)
1月3日 松尾平(10:50) → 馬場島(11:30) → 伊折(13:00)
剱岳・早月尾根周辺図

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