5月合宿の準備でバタバタするルームで、小堀さんから「丹沢のボッカレースに出てみない?」とお声が掛かった。私は、奥多摩の山岳マラソンのような鉄人レースを想像して一瞬たじろいだが、話しをよく聞くと、実際は30分程20キロを担いで歩けばいいとのことで「それくらいならなんとかなるか」と思って、参加をOKした。私自身、山岳競技など高校生時代に経験したきりなので、「たまにはこういうのもいいかな」という思いもあった。
こんな軽い気持ちで参加するのだから、当日までそのためのトレーニングなど一切するわけがない。「自分の普段の実力を試してみよう」という思い上がりを言い訳にズボラをこいていた。
ここで、丹沢ボッカ駅伝について、概要を説明しておきたい。
(1) | 日時:毎年6月第1日曜日の午前9時スタート | |||
(2) | コースおよび区間:(下記参照) | |||
(3) | クラス編成: | |||
A1 | 40キロ負荷 | 一般 | ||
B1 | 20キロ負荷 | 一般 | ||
B3 | 20キロ負荷 | 高校生 | 4区ゴール | |
C | 10キロ負荷 | 女子 | 4区ゴール |
となっており、われわれはB1クラスにエントリーした。
6月1日(土)
いよいよ明日が本番となった。4時半に大倉のバス停に集合し、近くの駐車場で幕営し、明日に備えてゆっくり休養するのが優勝を狙うチームであるが、我々は前夜祭と称し、歌も飛びだす宴会を執り行う。
6月2日(日)
7時頃、スタート地点の大会本部の受付けでゼッケンと10キロの石袋2個を有り難く頂戴する。この石袋のパッキングから、すでに勝負は始まっている。
7時半、小堀、水田、小幡はそれぞれのスタート地点までコースをたどる。ここで、体力の消耗を避けつつアップを兼ねる。
9時頃、水田が4区のスタート地点に到着、区間のエントリーを済ませて用を足しに走る。3区の小堀さんが来るのは10時頃だろう。
9時40分頃はやくもトップチームが到着する。そうこうしているうちに「216番」と大声で呼ばれ、心の準備もなく半ば戸惑いながら、小堀さんから背負子を受け取った。20キロというと合宿山行時のザック重量に相当するが、石袋なので密度が高い分、重たく感じる。
歩き始めると直ぐに汗が吹き出し、息が苦しくなる。とても走れる傾斜の道ではない。重みが腰にダイレクトに伝わる。一心不乱に歩くが、時たまよろけて手を着いてしまう。2人3人と抜かれて申し訳ないがとても付いていけない。
道は中間くらいで平坦になるが、それも束の間、花立山荘までの急登が始まる。「なんで、こんな馬鹿なことをしているんだろう。はやく荷物をおろしたい」頭の中でそんな思いがグルグル回っている。途中2区の松井さんが追い付いてきて励ましてくれる。小幡さんの顔が見えたところで走り出す。倒れ込むようにして道端に腰掛けたときは、息が上がって頭の中が真っ白だったが、差し入れのジュースを飲んで段々落ちついてくるうち、充実感が沸き上がってくる。「ああ、終わった。」
結果は、目標の2時間を大幅に切る1時間45分14秒、84チーム中16位という満足のいくものであった。小堀さんから「水田のおかげだ」といわれて素直に喜んだが、区間別にみると他のメンバーは全て20位以内なのに、私は27分ちょうどの43位だったので、足を引っ張ったことに違いはない。
大倉のバス停に戻ると、何とゲンさんが待っていてビールを奢ってくれた。昨夜も来たが、幕場が分からなくて帰ったという。テントを撤収し、バスで渋沢の駅まで出て、駅前の「いろは食堂」で盛り上がってから帰宅した後は、倒れるように寝てしまった。
来年は、三峰で1チーム組んでみたいものだ。とくに、ブラックジャージ隊の面々には、是非、女子クラスに参加して実力を見せ付けてほしい。
1区 | 25分46秒 | 19位 |
2区 | 18分46秒 | 14位 |
3区 | 8分51秒 | 19位 |
4区 | 27分00秒 | 43位 |
5区 | 24分51秒 | 13位 |
総合 | 1時間45分14秒 | 16位 |