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鬼太郎山 -実存的考察と現地検証-
服部 寛之

山行日 1996年11月30日~12月1日(土~日)
メンバー (L)服部、佐藤(明)、今村、遊佐、遠山、井上(淳)、(小山)

発端
 鬼太郎山の存在を知ったのは、かれこれ4~5年前のことである。道路地図を見ていて気がついた。当時私は妖怪を重視してはいなかったが、山名を見るなり「ゲゲゲッ!」と驚き、いきおい余って18センチのけぞり、懐かしき『ゲゲゲの鬼太郎』のテーマソングを思い出して、おもしろい山もあるものだ、そのうち登りに行ってみよう、と心に留めていた。
 それからしばらくして、大久保氏のところへ行った折に鬼太郎山の”大発見”を話したことがあったが、奴は「どれ」とメガネをずり上げながら地図をのぞき込んでも、「ふ~ん」と別段驚くでも感心する風でもないソッケない態度だったので、オレは
(鬼太郎山なのにおもしろくねーのかよ)
とおおいに反発を感じ、その話しはそれで断ち切れになってしまっていた。奴は、ひとがおもしろいことを見つけると、内心ニヤリとするくせにわざと過小評価的態度をとることがある。かわいくないのだ。

計画と準備
 時は流れて平成八年。ひょんなことから妖怪に開眼したわたくしにとって妖怪元年のこの年、友人の某氏がいわき市に転居することになったことがきっかけでその近くのこの山のことを思い出し、妖怪研究の中期的展望のうちに鬼太郎山探訪も含めることにした。
 さっそく水田委員長に計画をうち明けると、「ハハハ、おもしろそぉっすね。わたしも行きますよ」
 素直にものごとをおもしろがるストレートなところがこの人の人柄ですね。ヘンに屈折してませんねぇ。
 2万5千図(成子内、坂シ内)で検討した結果、道はなさそうなので、ヤブが薄くなる冬枯れの季節に決行することにした。
 決行日が決まれば、次は下準備である。まずは、入手すべき妖怪文献リストに数々の鬼太郎本を加え、順次読破する。秋にはハットリとよく似た響きのトットリは境港の『水木しげるロード』にくるまを飛ばし、居並ぶ妖怪ブロンズ象を前に妖怪の立体的考察をおこなった。等身大?の鬼太郎象のところでは、来るべき鬼太郎山探訪に備えてキッチリあいさつも入れた。鬼太郎の活躍をつたえる日曜朝の人気報道番組『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ系)もあい努めてこれを見、事前研究に抜かりはない。山行実施のための重要な柱である財政問題についても、鬼太郎とぬりかべとねずみ男の貯金箱を入手し、ついでにゴジラの貯金箱も突発的に入手し、資金づくりに計画的に取り組んだ。
 こうして、A型的緻密さで山行準備を進めるなか、さらにすてきなことをわたくしは思いついてしまったのだ。
 どんな素敵なことを思いついてしまったのか、という話に行く前に、ここで突然話は異次元へ飛ぶのだ。

秘められた謎
 今日、鬼太郎に関しては、さまざまなことが明らかにされている。貸本の『墓場の鬼太郎』以来、彼の言行録は膨大な数が出版され、テレビでも四度にわたる定期報道化、夏休み・春休みの銀幕出演も板につき、最近ではセガサターンとプレイステーションにも相次いで登場するといった超人気ぶりである。むろん、音楽CDも発売されているし、それどころか丸美屋からはカレーとフリカケ、森永からはチョコやキャラメル、バンダイBHMキャンディ事業部からはおもちゃ入りラムネ菓子まで出ているのだ。
 こういった人気者となると、その身辺について詳細に調べあげた暴露本や研究書が出るのが、霊ではないが、ツキモノである。
 鬼太郎の場合も、そのたぐいのものが、落とし紙ではないがウンとある。
 わたくしも勿論それらを蒐集・熟読し、これを書いている今も、タヌキやキツネではないが、ソバにある。
 そういう数ある鬼太郎研究文献のなかでも秀逸なのが、講談社が出している『鬼太郎ひみつ大百科』だ。この本は、鬼太郎研究の第一人者、水木しげるの手によるだけあって、さすがに詳しい。
 巻頭の主な妖怪との戦いの紹介から始まって、出生の謎から片目を失うに至った経緯、身長・体重はもちろん、体内の仕組み、骨格のレントゲン画像まで載っている。自慢の小道具(チャンチャンコ、リモコン下駄、パンツ、等)、八大秘術(妖気アンテナ、髪の毛針、指鉄砲、等)の解説をはじめ、日々の日課や食事の内容、住まいの様子からエコロジカルなトイレ・システムまで、実に解かりやすく説明されている。その詳述ぶりは、個人のプライバシーや人権がセンシティブな問題となっている今日、ファンにとっては誠に落涙ものである。よくぞここまで、と豆絞りの手ぬぐいも乾く暇がない。
 しかしである。この鬼太郎研究の集大成とでも言える本をもってしても、どうしてもわからないことが一つあるのだ。
 それは鬼太郎の住所である。
 彼が『ゲゲゲの森』に住んでいることは、周知の通りである。言行録をみると何度か転居した形跡が認められるが、住居は立木を利用した高床式の家屋で、屋根は藁葺き風であり(これは幽霊族の住居形式に準ずる)、現在は周囲を鬱蒼たる混淆林に囲まれた沼の畔に建っているようだ。これは誰でも知っている。
 では、ゲゲゲの森はどこにあるのか?
 日本国内であることは、確かである。それは、鬼太郎が日本の妖怪界を代表する存在であることからも、日本に住んでいることは間違いない。「日本に鬼太郎あり」と、ドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン、魔女ロンロン、バック・ベアードなど外国妖怪の名士たちからも一目置かれ、佐渡島で行われた妖怪ラリーにも日本代表として出場しているほどである。
 また、人里からさほど遠い所でないことも、確かである。鬼太郎の家には、過去何度か人間が訪ねている。「マンモス殿下」事件の際には毛虫に案内された二人のこどもが、「手足の怪」事件では妖怪研究家の水木氏が来訪しているが、いずれの場合も彼らは空荷で訪問しており、そのことからも人里からそんなに遠くないことは明らかである。
 だが、この森の所在に迫れるのも、ここまでである。さまざまな文献を検証してみても、ゲゲゲの森周辺の地理については常に曖昧で、うまくはぐらかしてあるからだ。
 この問題はどうも、当初から意図的に隠すという合意が鬼太郎とメディアとの間にとり交わされていたのではないか、と考えざるを得ない節がある。
 世の中にはヤブをうとんじるどころか逆に大好きで、どこにでもガサゴソ入り込んでは酒を食らって月に吠えまくるクレージーな人種がいることを鬼太郎も知っており、そんな奴らに居場所を知られてやって来られたらたまったもんではない、と彼が思ったとしても不思議ではない。日本に於ける山屋の現状を知る者にとっては、これはあながち的外れな推論でもあるまい。従って、右の仮説はじゅうぶん検討に値するのだ。
 その後検討を重ねてゆくうちにわたくしは、怪しいと思われたその節を或るうた資料の中に発見したのである。それは、かない以前テレビ報道が始まった時点からさりげなく示唆されていたのであった。
 その節とは、次の有名な節についていたのだ。

下駄の音の彼方に
  カラン、コロン、カラン、カラン、コロン、
  カラン、コロン、カラン、カラン、コロン、

  おばけのポストに 手紙を入れりゃ
  どこかで鬼太郎の 下駄の音

  ゲゲゲの鬼太郎 たたえる虫たち
  どこかへ鬼太郎は 消えてゆく

 右は、言わずと知れたかの名曲、『カランコロンのうた』(作詞・水木しげる、作曲・いずみたく)である。現在は、前述のテレビ番組のエンディングテーマとして、憂歌団が唄っている。世代を超えこどもたちによって唄い継がれているこの唄は、歌詞の深層を考察されることもなくこどもたちの脳裏にインプットされているが、だがその指示する主題は「鬼太郎の住所については公表しない」ということなのである。それは、この歌詞の考察を進めれば明らかとなろう。
 始めの『カラン、コロン、・・・・』は、繰り返しの部分であるが、これは鬼太郎の登場を告げる音を表わし、歩行の際に彼の下駄が地面と接することによって発生する共鳴音である。これは円朝の人情噺『牡丹灯篭』を思い起こさせる音でもある。あれは作り話ではあるが、新三郎が聞いたお露の「カラン、コロン」音は、恋人の到来を告げる、艶っぽい、湿度を含んだ音に響いたに違いないと想像される。(その音は、やがて新三郎自身の生命を脅かす不吉な音へと変化し、それがこの噺に絶妙な演出効果をもたらし、話し手の力量が問われる聴きどころのひとつとなっていることは、周知の通りだ。)
 だが、ここで鬼太郎が響かせる音は、事件解決の依頼主(及び一般視聴者)にとっては、力強い助っ人の到来を告げる、頼もしく、明るい、乾いた音に響く。被害者としての悲惨な状況の終焉の始まりを告げる、つまり、不運から幸運への運命の好転を示唆する、喜ばしい音なのである。その意味では、ベートーヴェンの第五交響曲ハ単調《運命》第一楽章冒頭の、四つの音符によるあの劇的な動機にも匹敵する音である、と言えよう。同じ「カラン、コロン」でも、このように大違いなのである。
 だが、私がここで着目するのは、そういったことではない。ここで問題とすべきは、「カラン、コロン」が開始された地点が明示されていない点にある。
 彼の言行録をみると、事件を知った鬼太郎が自宅から出掛ける際には、一反木綿やカラスの吊下式ヘリコプターによる空輸サービスを受けることが多い。歩いていく場合もあるようだが、だがその出動の描写からは、前述の住所隠蔽協定によるものか、発進地点の地理的特定はできないようになっている。この唄でも、出動の経緯・経路はすべて省かれ、いきなり下駄の音から始まっているのである。
 続く「お化けのポストに手紙を入れりゃ」は、鬼太郎専用の通信手段の存在を意味している。『お化けのポスト』とは『妖怪ポスト』とも呼ばれているもので、ひっそりした竹ヤブの中や橋の下に設置されていたり、橋の欄干、南瓜や瓢箪の実がポストになっている場合があり、そこに悩みや相談を書いた手紙(日本語でよい)を投函すれば、鬼太郎の友人である化けガラスや虫たちが鬼太郎のもとへ届けてくれるというシステムである。郵政省の管轄ではないので、投函に際して切手を貼る必要はなく、誰でも無料で利用できる。ボランティアで事件解決に力を尽くす鬼太郎の人柄が忍ばれる機構だが、しかしこれは第三者による住所特定を防止する安全装置としても機能しているのだ。
 民俗学が明らかにしたところによれば、日本社会では、霊界との通信は「口寄せ」「市子」「憑坐(よりまし)」等と呼ばれる霊媒を介して行われるのが通例である。即ち、霊と交信できる特殊能力を持ったこうしたシャーマンたちは、何らかの手段で特定の霊を捜しだすことができるわけだが、鬼太郎は独自の通信システムを用意することで、シャーマンたちの要らぬ詮索を注意深く避けていると考えられる。
 こうして、最初の繰返しと一番を合わせて考察してみると、事件解決の依頼主が妖怪ポストに手紙を投函することと鬼太郎の到着が語られているだけで、その間の手紙の配達と鬼太郎親子による事件への検討、出動の経緯は一切伏せられていることが解かる。
 二番では、二つのことが語られている。「たたえる虫たち」とは、鬼太郎と昆虫たちとの友好関係を意味している。ここでは言及されていないが、広い意味では動物たちとの友好関係も含まれると解釈することも可能だろう。虫たちは当然鬼太郎の居場所を知っていると思われるが、しかし人間は虫や動物等野生生物との意志疎通の手段を欠いており、この線でも人間からのアプローチで住所を突き止めることはまず不可能とされるのである。
 最後の「どこかへ鬼太郎は消えてゆく」の節でも、「どこかへ」と「消えてゆく」で彼の帰還先並びにその経路や手段はぼやかされており、ここにも住所隠蔽の意図を感ぜざるを得ない。
 以上のことから、ゲゲゲの森の所在は以前から明確な意図のもとに注意深く隠蔽されていたことが、理解されたであろう。

鬼太郎山探訪の意味
 ところが、ここに『鬼太郎山』の存在が浮上してきたのである。
 これをどう考えれば良いのか?と思いつつ三省堂の『コンサイス日本山名辞典』を見てみると、

おにたろうやま 鬼太郎山
福島県双葉郡川内村。常磐線滝田駅の西北西13km。[高]755m。阿武隈高地東武に位置し、太平洋に注ぐ井出川の源頭をなす。北西麓にある平伏沼(へぶすぬま)モリアオガエル繁殖地は、天然記念物に指定されている。

とあった。「きたろう」ではなく「おにたろう」というのは、後日現地検証の際に佐藤明調査員が地元民から採取した話とも符合する。茅ヶ崎市立図書館にあった地名辞典でも、それは確認された。だが、「おにたろうやま」という名の由来となると、同図書館にあるその他のいかなる地理・地誌の文献にも、なぜかその由来はおろか山名さえ掲載されていないのだ。
 当初私は「おにたろう伝説」なるものが現地で語られているのではないか、という仮説を立ててみた。日本では山は伝統的に霊場であり異界であり、荒ぶる者たちの棲まう場所である。山姥にせよ、山男にせよ、鬼のイメージと重なって語られることが多い。一方、「太郎」というのは、「桃太郎」「金太郎」「親指太郎」「ものぐさ太郎」「浦島太郎」などの例にあるごとく、長男或いは最もすぐれたもの、最も大いなるものにつける古典的男子名である。従って、昔「おにたろう」と呼ばれたつぇえのがいて、「おにたろうやま」はその住処なり何らかの関係が語られる場所なのではないか、と考えたのである。東北地方には坂上田村麻呂将軍(758-811)にまつわる鬼退治の伝承が各地に残されているので、その線の可能性もある。
 だが、前述のように、どの資料にも「鬼太郎山」については完全に沈黙しているのだ。川内村の民話・伝説を紹介した資料にも鬼太郎山に関しては何もない。伝承は消えてしまったのであろうか?だが鬼太郎山という名が残っているのに、その謂れが消滅してしまうというのはおかしい。いや、あやしい。
 「おにたろう」と読ませるのは、やはりゲゲゲの鬼太郎との関係をぼやかすための方便なのではあるまいか?
 鬼太郎はゲゲゲの森の中で幾度か住まいを移し、今は沼の畔に暮らしている。山麓にモリアオガエルが生息する沼があり、天然記念物に指定されている、つまり開発の手から遠ざけられそのままの静かな環境が守られているというのは、ますますもってあやしいではないか。「鬼太郎山」とそのままズバリの山名を地図に載せているというのは非常に大胆であるが、大胆過ぎて誰もが「マサカ」と思って問題にもしないという奇襲的発想は、ありえないことではない。逆転の発想による、これこそ究極の住所隠蔽工作であるとも言えよう。本当のところは現地に行って検証してみなければ判らないだろうが、だがここまで考察したところでオレはこの山が鬼太郎と何らかの関係を持つ山である可能性は大きいと、ほぼ確信したのだ。
 そこでわたくしは、現地検証で登った際にその山頂に鬼太郎と目玉のおやじさんの親子肖像入り山名標識を掲げ、日頃から活躍めざましい鬼太郎を顕彰することにしたのだ。前述の思いついた素敵なことというのは、そのことなのですね。
 早速、わたくしは適当な板とペイントを友人からタダで入手し、標識の製作にとりかかった。毎夜カリカリシコシコ彫刻刀で削り、彩色後ニスで仕上げて、約2週間で完成した。大いにエネルギーを傾注しただけあって、我ながら素晴らしい出来に満足。
 まったく、仕事もこれほどの熱心さで取り組んだら、と大久保氏の言を待つまでもなく自分でもそう思うが、しかし、仕事でないから熱き情熱を傾注できるというのも真実なのだ。
 人生まさにゲゲゲ、ですね。
 しかし、自分で言うのもナンだが、ようやるわ、まったく。

現地検証
 11月30日(土)、午前10時に品川駅前に集合した鬼太郎山現地調査団一行5名は、服部車で一路常磐道を北上する。今回のスケジュールとしては、逢魔が時までに登路の当りをつけて幕を設営、明日朝一番で頂上を目指し、帰路温泉で厄を落として帰京、という段取りである。
 常磐道の終点近くの湯ノ岳PAで別働隊の遊佐氏と井上(淳)さんと待ち合わせ、いわき中央で一般道へ降り、国道399号線をさらに北へ川内村をめざす。
 湯ノ岳PAはトイレだけの小さなパーキングだが、交通量も少なくスペース的にもテントでの仮眠にうってつけであった。
 399号線は途中「前田原」という所での右折が狭くてわかりにくい。その先は国道とはいえ山間を行く狭いくねくね道となるが、対向車もほとんど無くスイスイ行ける。鬼太郎山に近づいたところで道は集落に下り、古峯神社の小さな鳥居前で遅れた遊佐車を待って、さらに鬼太郎山の西~南西麓を捲いている林道に入って行く。
 鬼太郎山は、山頂からやや離れて、送電線が2本北東~南西方向にほぼ平行して走っている。事前の図上検討で、ヤブに鼻の利く今村調査員は「送電線の下がクサい」と当りをつけていたが、ズバリ的中、林道が送電線とクロスする二地点を観察すると、送電線の下には巡視道が通っていた。二本目すなわち山頂寄りの送電線をくぐった先でくるまを停め、服部がその下の巡視道の偵察に出る。巡視道はよく整備されており、どうやらそのままずっと続いているようでありこれを利用すれば山頂まで数百メートルの距離にまで楽に接近できそうな感触を得、また遠望したところ頂上への斜面のヤブも濃くはなさそうとの見当がついたので、まもなくくるまに戻る。その間に今村調査員は、水場つきの絶好の幕営場所を付近に発見していた。早速そこへくるまを移動し、幕を張っていると、佐藤調査員が食材探査並びに地元民からの聴取り調査を終え、無地帰還した。
 幕を張り終えれば、次にやることは決まっている。明日の作業に備え、体内を清めて英気を養うのだ。今回はギャル二人を含む新人3名がいるので親睦にもリキが入る。食材探査で成果を得られなかったことを残念がりながらもいろいろツマミが出てくる佐藤調査員は、ザックといわずカラダといわず隙間さえあれば酒を詰め込むことができる特殊能力の持ち主だ。この人は間違いなく大江山の酒呑童子の末葉であるとわたくしは固く確信している。つまり、状況としては、鬼の子孫が先祖の足跡を訪ねに来たということになる。
 酒呑的側面から言えば、確かに佐藤調査員がいちばん鬼に近いところにいるが、身の丈的側面から言えば、今村調査員が最も鬼に近い。この人はマイナー山域の専門家で、先の例からもわかるように、地形図からその場所を透視する能力は霊能者に勝る。個人的進化論の見地から言えば、ヤブ中でのナビ能力を最大限発揮させるため、身長が伸びて高い有利な視点を獲得した。山の神も一目置く実力派である。
 一方、メガネの曇りを拭いている遊佐調査員は、画像固定技術の専門家である。写真機や絵筆を操り、スキあらば人や景色を紙に写し取りヒソカにコレクションしている。つまり、カメラ魔、絵描き魔のお仲間ですね。そのうち土佐光起ばりの絵師となれば「画霊」を発生させる可能性がなきにしもあらずだ。今回もしこわい妖怪に出会ったら、ぜひいちばん最後まで踏みとどまって迫力ある映像をものにしてもらわねばならない。
 残る小山、遠山、井上(淳)の各隊員は、入会してまだ日の浅い新人見習い隊員である。この人たちは、どういう特殊能力を持つのか、飲酒反応は陽性か陰性か、好みのパンツ・カラーは何色か、などなど不明な点が多い。つまり、未だ海のものとも山のものともつかない状況であるが、やはりここはぜひ山のものとなってもらいたいところだ、酒呑童子にまでなる必要はないが。果たして、猫の下から鬼がでるか蛇がでるか、虎か狐か狸か鶴か、磨けば光る勾玉か。楽しみですね。
 この日は朝は晴れていたがお空は下り坂で、幕を張り終える頃にはすっかり曇り空となってかなり冷え込んできた。そのうちチラチラと風花の舞う宵となる。しばらくしてキジ射ちに出ると、放物線の手元からブルブルッと震えが走った。懐電の光が揺れ、水流が落ち葉を乱れ打つ。すでに我々は、魔のパワーを孕んだ濃厚な闇中にとりこまれていた。

 翌朝、7時20分、うっすらと白い景色の中を出発。きのう偵察した巡視道をたどる。林道から数えて二本目の鉄塔のところで一時道を見失ったがじきに続きを発見、道はやがて落葉の積もる小沢に入り、その先で急登して尾根に上がった。上がり切ったところが三本目の鉄塔で、一本いれる。ここは景色が開けていて見晴しがいい。数人がキジに散る。
道はまだ先へ続いているが、地図を見ると鬼太郎山へはこの辺りから取りつくのが良さそうだ。今村ヤブコギ指導員も同意見で、そこから道を外れて頂上をめざすことにする。その辺りはヤブは薄く、我につづけとばかりにズンズン進む今村指導員の後を、みんななんとか遅れまいとついて行く。オレは佐藤酒呑童子から差し出された悩ましげな感触の桃色紐を所々枝に結びつけながら行く。聞けば、童子が以前さらった女の寝衣を引き裂いたものだという。オレはドキドキしてしまったが、どういう状況で引き裂かれたものか、そこまでは聞かなかった。
 やがて密集した笹ヤブに突入する。あちこち引っ掛りながらもなんとか笹ヤブを抜けると、こんどはうっすらと雪化粧した落葉の林床が美しい緩斜面の林を行く。振返れば、踏み跡が一条の落葉色の曲線を描き、佗寂の世界を演出していた。
 その先で主稜線に出た。見れば、右手からまばらな木々の間を縫って上がってきたひと筋の踏跡が左手頂上の方へと点々と続いているではないか!踏跡はあまり大きな図体のものではないので、スワ鬼太郎か!と一瞬驚いたが(鬼太郎は身長130センチ、体重約30キロ)、だが残されたものは明らかに下駄の歯型ではなかった。鬼太郎は雪中でも下駄にチャンチャンコのスタイルを通し、重ね着などしない。俗に「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、河を渡って彼岸世界の仲間に入ると暑さも寒さも関係なくなるのかも知れない。「小鬼のものか?」とする意見もあったが、猫むすめの可能性もある。いずれにせよ、その足跡を辿って頂上へ向かうことにした。
 そこから頂上へは10分もかからなかった。そこは、里山の雰囲気を色濃く留めた雑木林のなかにあった。頂上を示す標識など何もなく、登頂感の薄い地味な場所である。念願のピークであるが、今村調査員の高いナビ能力のおかげで当初の予想より楽に到着したこともあって、なんかアッケないかんじでもあった。当初は先人の鬼太郎ファンが残したグッズなど何らかの登頂痕がごてごてあるのではと予想していたが、それが外れてうれしさもひとしおである。だって、鬼太郎ファンいちばん乗りの印を置くのはオレなんだも~ん。
 さっそく、入魂の鬼太郎親子の肖像入り山頂標識掲示の儀をとりおこなう。佐藤酒呑童子に手伝ってもらって、適当な松の木にワイヤーとスプリングで取り付けた。一礼して、その前で皆で記念撮影。至福の時がながれる・・・・。
 ところで、肝心の鬼太郎との係わりはどうなったのかと言えば、実は、哀しいかな、頂上のすぐ手前まで営林署の魔の手がのびていたのである。我々がやって来た南西の尾根の反対側には北東方向に伸びる緩やかな尾根があるのだが、そこには踏跡に沿って伐採計画か何かわからないが赤ペンキで木々の幹に印がしてあったのだ。こう荒らされてしまっては妖怪はもう棲めない。静かな闇がなくなれば、妖怪が棲める住環境ではなくなる。鬼太郎たちがいたとしても、もうとっくに転居していることは明らかであった。目の前に広がるこの森がかつてゲゲゲの森であったのであろうか。かつてこの森で鬼太郎や猫むすめや児啼爺や砂掛け婆や塗り壁が遊んだのであろうか。もしかしたら、鬼太郎の家や別荘、砂掛けの妖怪アパートなどを訪問できるかもしれないとの期待は、夢と消え去ってしまったのである。近代化の波は日本の闇を駆逐し、動物たちと同様、妖怪たちの住処も確実に闇の向こうに押しやっているのである。ああ、罪深き日本人よ・・・・。
 下山は登路を戻ることにした。すでに吸血木、樹木子(じゅぼっこ)、人面樹(にんめんじゅ)などの妖木の不在が確認されており、安心だからである。
 東京への帰路は、鬼太郎山の北側をまわって海側の国道6号線を南下、湯本温泉の『さはこの湯』に寄って厄を落とし、小名浜で飯とお魚ショッピングを楽しみ、品川駅で解散した。
 今回は当初参加を予定していた水田委員長がケガのため同行できなかったことは残念であった。何の因果か、ケガというのは「怪しい我」と書くのである。ゲゲゲ!
 みなさん、ご苦労様でした。

余波
 入魂の鬼太郎山探訪は、それだけで終ってしまっては余りに惜しいので、一文をしたため登頂の証拠写真と肖像入り標識の写真をつけて山溪に投稿した。すると、二月号の山溪で「お山の大賞」をいただいてしまった。山溪編集部はいい人達なのだ。妖怪界から何らかの働きかけがあったのかも知れない。

〈コースタイム〉
幕場発(7:20) → 3番目の鉄塔(8:05~8:25) → 鬼太郎山(8:55~9:20) → 林道(10:10) → 幕場(10:15)

常磐道
三郷→いわき中央 (普通車) 4,250円
いわき勿来→三郷 (普通車) 3,850円
いわき湯本温泉『さはこの湯』 150円(入館午前8時~午後9時、10時閉館)


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