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聖岳偵察行2・身延側からの偵察
服部 寛之

山行日 1996年11月23日~24日
メンバー (L)服部、笠原

 23日(土・勤労感謝の日)、朝7時に茅ヶ崎駅前で笠原女史を拾う。日和がら女史の早朝からの勤労に感謝しつつ厚木インターから東名高速に乗り静岡に急ぐ。
 一般的に聖岳東側の登山口へは、鉄道ならば東海道線の金谷から大井川鉄道で井川まで行き、そこからバスで八木尾又または畑薙第一ダムへ、そして徒歩で登山口へ向かう。マイカーやタクシーならば、静岡から安倍川そしてその支流の中河内川沿いの道をさかのぼって大日峠から井川湖へ下り、畑薙第一ダムまで入ることができる。
 しかし、現在のところ93年の土砂崩れで井川湖より奥へは車両通行止め状態が続いているということなので、今回はそこがどういう状況になっているのか調べることと、通行止め以来長らく人が入っていないであろう東尾根の状態を見てくるという二大使命をおびての偵察行となった。
 車両通行止めの話は土砂崩れで道が埋まったとの印象を持っていた。だがそれならば土砂を取り除くのになぜ何年も手間取っているのか不思議であったが、実際は道路自体が崩落してすっぽり無くなっているのであった(後記参照)。井川湖を過ぎて迂回路を河原へ下りてゆくと、ゲートがあって、番のおっさんが脇の小屋の中から紐を引いて通せんぼしていた。そのおっさんに迂回路のことをいろいろ聞く。うちらがやってきた訳を話すと、遠路はるばるご苦労さんと内緒でゲートを開けてくれた。女子がいるとこういうとき効果があるのだ(迂回路についても後記参照)。
 畑薙第一ダムの駐車場の先の林道ゲートまで行くと、なんと開いているではないか!当初はここにくるまを置いて登山口までチャリンコで行くつもりで、家のママチャリを2台積んできたのだが、開いているのなら「ええい、行ってしまえ」と聖平への登山口まで直接くるまで乗りつけた。途中で工事のくるまとすれ違い、また聖平登山口の先にも工事車両が7~8台駐車してあって、ゲートが開いているのは工事のためらしい。まだ2時だが、今週末中に岩つばめの再校正をしなくてはならないので、登山口付近の林道脇にテントを張り、お茶を沸かして再校正に取りかかる。今日は編集委員の笠原女史の同行なので、ちょうどよかった。
 その晩、人里離れた山中のテントで二人っきり、秋の月夜にナニして過ごしたのか、それは教えない。

 翌朝、テントを撤収して5時半出発。ハイキングマップに50分とあるところ、30分で東尾根の取付きの廃屋に着く。明るくなるまで30分ほど待って、取付きらしき西側の沢沿いの笹ヤブに突入する。やがて笹ヤブを抜け伐採跡のある尾根上に出ると、下草が枯れてかなりすっきりした樹林帯で、はっきりした踏跡には比較的新しい赤テープが点々と付けられていた。1700m付近の緩傾斜地まで上がると、東尾根の稜線を聖岳まで仰ぎ見ることができた。
 その少し先の大岩まで登って引き返す。帰りは伐採跡地から稜線通しの踏跡をたどってみる。上りにたどった踏跡よりは明瞭さに欠けるが、尾根の地形ははっきりしており問題はない。最後に少し笹ヤブを漕ぐと廃屋前に飛び出た。(後記参照)
 くるまに戻り、再び来た道を引き返して河原の迂回路を行くと、ナンと鍵付きの鉄パイプでゲートが閉じられているではないか!鍵は三桁の番号合わせなのでガチャガチャやっていると、反対側から工事関係者のハイエースがやってきて、「おお、助かった!」。一般車は通行禁止なのにどうやって入ったのかと問いただされたが、そのへんは適当にごまかして、尚迂回路の不明な点をそれとなく聞いてしまう。ハイエースのあんちゃんがくるまに積まれたママチャリを見て不思議がっていた。
 その後、大日峠で地元農家の露店をひやかし、静岡のみかん農家でにかんを仕入れ、再び静岡インターから東名に乗る。途中長い渋滞にひっかかったので秦野中井インターで降り、平塚駅で解散した。
 笠原さん、偵察と校正、ご苦労さまでした。

 〈コースタイム〉
 聖平登山口(5:30) → 廃屋(6:00~6:30) → 1720m大岩(8:00) → 廃屋(9:00) → 登山口(9:15)

 厚木IC~静岡IC(普通車)    3,200円
 静岡IC~秦野中井IC(普通車) 2,900円

南アルプス公園線道路崩落による通行止めと迂回路

聖岳東尾根

考えられる方策


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